あれこれ&土曜オープン教室を始めました

数年前にテレビに流れていたCMで、とても気になったのものがある。それは、沖縄県内の無料求人誌のCMで、土木作業員風の服装をしたチンピラ風貌の4人がその求人誌を手に取っていたところ、「字、読めるの?」みたいなことを言われるというような内容だった。

ブラックユーモアなどではなくただただ特定の社会層を馬鹿にした視点に思えて「こんなのクレームが来るんじゃないの?」と思っていたのだけど、予想とは正反対に気が付けばシリーズ化されていたのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

沖縄に来て6年。誰も知らない土地での生活を始めてから、いろんな人とも知り合うことができたし、楽しく過ごすことができている。ただ、そんな中で気になったことの一つは社会層がはっきりと分かれていることで、それが世代を超えて受け継がれていること。少し前には県内でも子どもの貧困がクローズアップされ、子ども食堂の活動などが話題になったけれど、支援する側と支援される側がくっきりと分かれていて、個人的には上述の社会層の存在を強く感じるきっかけにもなってしまった。そして実際にいろんな世代の人と一緒に働く職場に身を置いて、若いうちから既に存在する個人の能力とは全く関係のない部分での格差を肌で感じたのでした。

この様なことは沖縄に限った話ではないとは思う。そして、もちろん支援活動の意義自体を否定するつもりはない。けど、活動の中身・質によってはその社会層をさらに固定しかねないという気もしている。支援活動をする家庭(支援活動を行うだけの余裕がある家庭と言ってもいい)の子はそれを受け継ぎ、それを利用する家庭の子は…といったように。

例えば、無料で子どもを集めて学習指導をしている場所がある。けど、その学習指導の内容が漢字練習と計算が主だったりする。漢字練習と計算ももちろん必要だとは思うけど、それを学習の中心に設定してしまうことには疑問が残る。それこそ、「字、読めるの?」に類似した根強い“何か”を感じ取ってしまうのはぼくだけなんだろうか。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

「将来の夢、何かある?」
医者、コック、はたまたお金持ちにお父さん…。

「けど、ダメって言われたら?」
「ダメって、なんで?」
「なんでって、ダメって決まってるから」
「何それ!」

「自分の仕事を選ぼうと思っても選べなかった時代もあったんだよ」
昔、職業選択の自由に世襲や差別の話を絡めた授業をしたときの子どもの反応は、“信じられない!”そのものだった。

けど、本人の意思ではなく様々な条件で勉強することから遠ざかる子どもが少なくない今日、あの授業での“信じられない!”と思えた子どもの感性は長い歴史が産んだ尊いものなんだと大人が再確認しなければいけなくなってしまっているような気もする。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

コーラルでは、この4月から“土曜オープン教室”を始めています。毎週土曜日10時から13時まで、一回千円の参加費を集めて行っています。

20190413_112215

放課後教室のような完全なる個別指導とはいかないのだけど、普段行っているコーラルの授業をベースにした学習対応をしています。まだ始めて間もないので、時間・メンバー・スペース等あらゆることの配分も含めて試行錯誤の段階です。今はそれぞれの勉強をしていますが、そのうちみんなの希望をとって、ものつくりや実験、料理なんかもできたらいいなと。まぁ本来はお休みの週末土曜なので、緩やかなオープン日にしたいと思っています。

20190413_112609

それにしても、みんなが集まってそれぞれに勉強している姿が、この場所を借りたときに“こうなったらいいな”と想像していた風景に少し重なって見えました。ゆっくりみんなで育てていく、そんなオープン教室にしていきたいなと。

正負の数の続き

数学は正負の数の乗除へ。

気球が同じ速度で上下する状況を想定。上っている時の〇秒後・〇秒前、下りている時の〇秒後・〇秒前の位置をそれぞれ一緒に考えてみます。

20190327_175416

今いる位置と比べて上にいるのか、下にいるのか…。
「あ、上。プラスの位置」と、符号の変化を気球の変化になぞらえて。
数字ではなくて、絵を見ながら考えた数学でした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

映画『誰も知らない』を観た。実際にあった子どもの置き去り事件をモチーフにしているということで、確かにどこかで聞いたような場面がいくつも出てきた。多くの人にとっては普段の生活でなかなか関わることのない世界かもしれないけれど、例えばこの映画でも大きなキーになっている無戸籍の子どもの存在というのは今でも大きな問題になっていて、近所にその様な子どもがいる可能性は否定できない。

児相で働き始めた時には「事実は小説より奇なり、だよ」ということを、心しておくようにというニュアンスでちょくちょく言われた。実際にはそういうケースはそう頻繁にあるわけではないのだけど、一方「そこまでというわけではないけれど…」と似たような状況を思い起こさせるケースは想像をはるかに超えるほどあった。もちろんそれぞれの状況下にある子ども一人一人にとっては、程度の問題ではないことには違いない。

映画の中で母親が子どもに向かって「お母さんは幸せになっちゃいけないの?」と言い放つシーンでこんなことを思い出したのでした。

正負の数

正負の数の加減法に入っています。カードやトランプを使って正負の数の導入をしていたのだけど、加減法の説明もそのイメージを引き継ぎながら。

まず加法。(+5)+(-3)ならば、
「“+5”のカードがまずあって、その隣の空の枠に足し算だから“-3”のカードを足す。合計の点数は?」
「あ、この前のゲームと同じ…」

次に減法。(+5)-(-3)ならば、
「“+5”のカードがまずあるところは同じ。引き算だから、隣の空の枠から今度は“-3”のカードを取る。けど、何もない状態から“-3”のカードを取るってどういう感じ?」
「何もない?」
「そう、数で言うと何もないっていうのは?」
「ゼロ…。あ!」

これも、この前のゲームの得点計算のときにみんなが工夫していたこと。“+3”のカードと“-3”のカードがある状況ならば、数としてはゼロ。

「これで、“-3”のカードを取るから、残るのは“+3”のカード」
ここからの計算は、今までやったものと同じだね!

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

「減法では、符号を逆にして足し算に変えて計算」と言ってしまえばそれまでだけど、コーラルではどうしてそうなるの?を一緒に確認です。

20190306_174057

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

3月11日です。震災から8年が経ちました。震災がなかったら今沖縄に暮らしていることはなかったろうなと。今日、あの震災は一段落したかのような事柄を目にすることも少なくないけれど、今なおあの日の延長上で暮らしている人はたくさんいるということを改めて思います。

最近のこと

中学入学に向けて少しずつ数学も始めています。まずは正負の数からだけど、これは最初が肝心。財産と借金など、反対のベクトルを持つものを一つの数直線に乗せるとはどういうことなのかを、ゆっくり時間をかけて。

定番のトランプゲームも。赤札はマイナス、黒札はプラスで手元のカードの数の合計が一番大きいと勝ちというシンプルなもの。自分の点数は計算しなければいけないけれど、小学生でも「同じ数字でプラスマイナスゼロ…」とコツを掴んで計算しています。
※この“符号の違う数字を合わせてプラスマイナスゼロ”というのは、正負の数の減法の説明に重要な考え方になってきます。

20190225_181310

全部で五回戦。総得点ももちろん計算!

20190225_182735

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

沖縄に引っ越してきてもうすぐ丸6年。毎日バタバタと過ごすようになって、5年以上関東には戻っていない。そんなで、旧友に会うのは沖縄に旅行に来た時に立ち寄ってもらうような機会しかない。

何年ぶりかにかかってきた高校の同級生から電話に出ると、
「今日、お店やってるの?」
おー、久しぶり!というはずの時間の流れを全く感じさせない言葉が電話の向こうから聞こえて、少し混乱。ちょうど4月1日だったこともあって、その混乱はさらに大きなものに。

急いで買い出しからお店に戻ると、彼は待っていてくれた。どうやら出張で沖縄に来たらしく、せっかくだからとうちの店に寄ってくれたようだ。

「ギター、まだやってるの?」
「もうやってないよ」
「あんなに上手かったのに?」
「えぇー、そうかなぁ」
と、近況報告と思い出話。

この後に移動があるということで、つかの間の二人同窓会の後「次はちゃんと連絡するよ。飲もうよ」と、帰っていった。

そして、翌年の同じころ。
「今日、お店やってるの?」と、突然の電話があったのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

高校時代はアホなことしたなぁという人は多いけれど、ぼくにとっての大きな思い出はみんなで一晩ママチャリをこいで熱海まで行き、フェリーで渡った伊豆大島の浜辺で夜を明かしたこと。大島に何かをしに行ったというわけでもなくただただペダルをこぐことが目的で、あてのなさに溢れていたとしか言えないのだけど、こうやって書いているだけでノスタルジックな気持ちになる。

そういえば、思い出話として20年以上前に書き綴ったものを以前こちらにも転載していました→夏の思い出

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

斜め前の席に座っていた彼は夜中にギターを練習していたらしく、授業中寝ているか、鼻をほじっているか、ほじりすぎて鼻血を出しているかのどれかのことが多かった。

けど、日々の練習の成果は一目瞭然で、ヘビメタが大流行だった当時のぼくたちの間でギターヒーローだったポールギルバートやヌーノベッテンコート、イングウェイという超絶テクニシャンの曲を次々とコピーしていて、みんなで楽器屋へ行った時にはとりあえず彼に「あれ、弾いて」と試奏してもらったりしていた。

そんな彼がギターで落ち込んだ話をしてくれたことが一度だけあった。
「母ちゃんの前で弾いたんだよ。すごい難しい曲を、どうだ!って。そしたら、なんで鼻の穴広げるの?とか言うわけ」
友だちの間では速弾きで無敵だった彼も、お母さんには敵わないのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

一緒に自転車で旅行をして、クラスのギターヒーローだった同級生が他界したという知らせが入った。なかなかみんなと直接会うことはできなくなったけど、遠くにいるけど心のどこかには存在しているという関係なので、全く実感がない。

ただ、もう「お店やってる?」の電話がないのかと思う時、急に胸がどっしりと重くなる。やっぱりつらい。

同窓会をしてみんなで思い出話をしようという連絡が回って来たけど、一足早く哀悼の意を込めて。

時事から

またか…と思ってしまう事件が起きてしまった。千葉の虐待のことだ。

傷痣の確認もされていて、子ども本人からの明確なSOSもあり、一時保護もされていたのに…と思うけれど、後から出てくる情報からは関係機関の行った対応に問題があったことが次々と見えてくる。

教育委員会の対応が最悪だったのはそうだけど、そもそもこの様なケースの時に絶対にしてはいけないことは何なのかという認識がなかったのではないだろうか。認識ではなくて、“知識”といってもいい。子どもを守ろうとしていなかった…などの批判も分かるけど、関係機関従事者の精神論で終わらせてしまってはいけない話である。

今回の様に子ども本人からの訴えということに限らず、虐待通告者の秘密は絶対に守るというのが相談機関の鉄則ではあるけれど、教育委員会の対処だったとはいえ、これが崩れたことの悪影響が今後生まれないことを願うばかりだ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

恫喝をしてくる保護者と相対することは児相の職員ならばある程度慣れているとは思う(電話相談の担当だったぼくですら何度恫喝を受けたかわからない)。なので、一歩踏み込み切れなかった要因は、他にもあるのだと思う。

今までもこのブログで何度か触れてきたけど、たとえどんな親であっても子どもは一緒にいたいと思うことがほとんどで、それを逆手に取るようなことをする親がいる。親は「子どもは一緒にいたいと言っている」と時には周囲の同情を買いながら児相に訴えてきたりする。そして、DV加害者などもそうだけど、理屈を重ねるように自己正当化することに長けていることが多い(そもそも、自分は悪いことをしていなく、自分にこういうことをさせる相手が悪いと心の底から思っていることもある)。こうなると相談を受ける側は、当事者の言葉以外のものを積み重ねて慎重に判断せざるを得ない。だから、関係機関の密な情報共有と協力体制が不可欠になってくる。

日々続けられる今回の事件の報道からは、父親があの手この手で関係機関を遠ざけようとしていた話も出てきているけど、そういう状況下においてもこの親子は分離させなければならないと判断し対処することができる唯一の機関が児相なので、その責任は重たい。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

(弁護士が子どもに向けて「困ったことがあったら弁護士に相談するように」とメッセージを送っていることが話題になっているけれど、弁護士もいろいろな専門性を持った人がいるので、一括りに弁護士への相談を勧めるのはそれこそ難しい気がしてしまうのだが…)

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

今回の件ということではなく(というか、このブログを書いている時点では関係機関の対応は表に出てきて糾弾されているけれど、家庭内での詳細はまだよくわかっていない)、母親がたとえ父親の虐待行為に加担していなかったとしても、子どもが虐待されている状態を放置したネグレクトに当たるとされるケースがある。家庭において児童虐待だけが存在しているとは考えにくくDVも併存しているかもしれないことは容易に想像できるため、夫婦関係においては被害者である母親にそのような判断を下すのはあまりに酷だとは思うのだけど、児童福祉法やそれに基づく児相はあくまで子どもの立場にあり、その上での判断ということになる。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

児童虐待やDVというのは、報道されるような事件が起きた時にセンセーショナルに目に触れらるようになるけれど、いつの間にか他のニュースに代わられて忘れられていってしまう。児相新設についてのブログも書いたばかりだけど、悲しい出来事の一つ一つは残念ながら社会の基盤の一つとして定着されないで過ぎ去られてしまっている気がする。

大人が負けてしまうような恐怖を与える恫喝を、あの児童も受けていたことは想像に難くない。また助けられる機会を二度三度と逃しているということは、その度に虐待がエスカレートした可能性もあり、子どもの恐怖・絶望感も増幅していったのだろうと思うとやりきれない。同じことが起きないようにするためには、同じようなことをする親がいなくなるのが一番いいのだけれど、残念ながらこれはあまりに現実味がない。

なので、これから行われるだろう関係機関の徹底検証の結果を児童福祉の視点として社会のどこまで浸透させていくことができるのかが、これからの子どもを守ることに関わってくるのだと思う。そして、上記のことに現実味を持たせる第一歩になるとも思う。

雑感~映画『砂の器』とあれこれ

数年ぶりに映画『砂の器』を観た。原作者の松本清張がこの映画を絶賛したという話があるけど、ラストシーン(と区切るには長すぎるけど…)は日本の映画史に残る名シーンだと言っていいと思う。淡々とした文章で進んでいく原作小説と、音楽家の犯人が奏でる壮大な音楽をバックに日本の原風景をポツポツと親子が足を進める姿が映し出される映画はあまりに対照的で、小説を読んでストーリーを把握した上で映画版を観ると、その展開の激しさのあまり驚きも伴いながら引き込まれていって涙が止まらなくなってしまう。

小説『砂の器』は何度もリメイクされていて、ぼくが最初に観たのは田中邦衛が主演のドラマバージョンだった。その後、小説を読んだのだけど、大きな設定の違いは、犯人秀夫の父・本浦千代吉が村を追われるようになった理由で、確かドラマでは殺人だか傷害だかの事件を起こしたということだったはずだったけど、原作ではハンセン病が理由となっている。

ドラマ版は現代にそぐうように設定を変えたのかもしれないけれど、映画『砂の器』を観ると、『砂の器』がただの推理小説ではない理由はハンセン病という設定にあると思えてくる。登場人物の心の動きと行動は、ハンセン病とそれに対する差別偏見以外に太く繋がるものがないくらいに強く結びついているからだ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

このブログにも書いたことがあるけれど、昔住んでいた近くに多摩全生園という施設があった。当時は知りたいことをすぐにスマホで調べるなんていうことはできなかったので、前を通るたびに「ここはなんなんだろう?」ということで終わってしまっていたのだけど、何の施設なのか知ってからはいつか行かなければと思い、沖縄に来る前にようやく行くことができた。

ひっそりとした館内の展示や資料から見えてくる、連綿と続く偏見と差別、それに圧し潰されるように(いや、圧し潰されながら)生活していた人。そこには人権という言葉はなかった。ずっしりと重いものを抱えて帰った。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

最近目の記事→宮崎駿監督が流した涙の意味 「もののけ姫」で描いた”ある病”との出会い

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

なかったことにはしてはいけないし、なかったことにしていることこそが現在も差別の連鎖を生んでいるともいえる。ハンセン病の患者の団体が宿泊拒否をされたということもそんなに昔の話ではない。こうなると、なかったことにするもなにも、ハンセン病に関わるいろいろなことは過去のものというのは絵空事に過ぎないという事実だけがある。

そして、『砂の器』において設定を変えることは都合の悪いことに蓋をするということに他ならないと思う。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

少し前に話題になった映画『この世界の片隅に』でも似たような感想を持っている。

原作漫画では、終戦とともに主人公がたくさんのものを失った自分たちは実は加害者でもあったということに気付くのが重要な場面で、そこからは辛いときも工夫を重ねて必死に耐えてきた戦時中の庶民の暮らしも、実は戦争を後押しする社会を構成する要因になっていたというメッセージが読み取れる。その上でラストの戦争孤児(弱者であり被害者)を引き取る場面に繋がっていくのだけど、映画ではこの主人公が自分も加害者だった気付く場面がバッサリとカットされている。

これでは、戦時中の苦しい時でも健気に生活した人達の物語で終わってしまっていると思う。そういう物語もたくさんあるので、それでいいと言えばそうなのかもしれないけれど、それなら加害者という視点を持ち合わせた原作『この世界の片隅に』を用いなくても良かったのでは、と思う。

現在のこの国では加害者だったという点を改めて見つめ直そうという考えとその逆をいく考えがあって、どうも後者の考えの人たちの声の方が大きいようだ。その類の発言や表現が一種の“的”にされてしまったことには枚挙に暇がない。そんな状況を踏まえたうえで上記のことを見返すと、原作者の本意はどうだったのかな…と思ってしまう。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

ぼくがフリースクールに関わるきっかけになったジャパンフレネでは、この2月に長崎に行くようだ。そして、長崎では長谷川集平さんと交流するらしい。ぼくにとっての小さい頃から馴染みがある絵本の多くは長谷川集平さんの作品で、大人になってから改めて買い揃えて続けているくらいファンなので、うらやましい限り。

ジャパンフレネでは長谷川集平さんの絵本を読み聞かせ(一方的に読んで聞かせるのではなく、読み手と聞き手が絵本を媒体にコミュニケーションするアニマシオンという手法)しているだけど、子どもの感想の報告に対する返信がブログに紹介されていた。

→ジャパンフレネ/おーい仲間たち/長谷川集平さんからのお便り-質問は直接長崎で・・・

物を創る人の思いが伝わってくる。
やっぱり素敵な人だなぁと。そして、上記のようなことも頭をかすめたのでした。

それにしても、子どもたちに対してこれだけ真摯に向き合う大人と出会うことは、みんなにとって一生の財産だろうなぁ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

映画『砂の器』の秀夫の音楽は、創る人の思いそのもので、それに気付いた「音楽の中でしか父親に会えない」という今西刑事の言葉がずっしりくるのでした。

英語の授業が二つ

年が明けてから、この4月に中学生になる子には英語と数学の授業を緩やかに始めています。

今日みんな小学校で英語の授業を受けているので、アルファベットはある程度書けるし単語もいくらか知っているみたい。そこで、改めてアルファベットの確認をしながら辞書の使い方に触れるための単語しりとりゲームを。ただ、しりとりといっても語尾のアルファベットを繋げていくのは難しいので、前の人の単語の綴りにあるアルファベットのどれからか始まる単語で繋いでいくことに。続けていくと“英単語階段ゲーム”みたいな感じ。

自分の番が来る度に、
「んー…。あ、ティータイム!どうやって書くかな」
「あ!コーヒータイム!コーヒーってどう書くのかな」なんて子も。
「またタイム!どれだけ、休みたいの!」と突っ込まれたり。

発音できる単語は多いけど、綴りとなるとなかなか大変。書きたい単語が決まったら、「辞書!」。
とはいうものの、辞書を引くのも初めてなのでこれまた大変。今は電子辞書なる便利なものがあるけれど、アルファベット26文字が26進法で並んでいる辞書を使うこともまた大事。ページを行ったり来たりしながらもお目当ての単語にたどり着いていました。

20190122_182202

ゲームの終盤、
「じゃぁ、書いたアルファベットの数が多い方が勝ちにしようね」
「何それ!ずるい!最初に言って!」
最初はそんなこと考えていなかったんだけどね。。思い付きの一言でゲームの様相もちょっと変わってきたり。

自分の点数を英語で書いておしまい。最後までやんややんやと賑やかでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

日本ではアルファベットを覚える最初のきっかけがローマ字ということは多いと思うけど、中学生になって発音・綴りなど英語学習の入り口で大きな混乱をきたしているのが、このローマ字学習ではないだろうかと感じる場面に出会うことも多い。このローマ字の影響から抜けるには英語と触れ合う時間がある程度必要で、この“ある程度”が中学生の間に埋まらない子も少なくない。そうなると、英単語をローマ字表記を頼りに書こうとするまま中学卒業…なんてことも目にするようになる。

ローマ字学習はそれはそれで一つの単元であるかもしれないけれど、上述の様なことを避けるためには、これが子どもたちにとっては後々の英語学習に繋がっていくという長期的展望は不可欠。これはローマ字→英語に限ったことではなくて、算数→数学など他の分野に関しても同じ。例えば、計算問題を正答のためだけにトレーニングの様に解かせるということは、その教え方によってはむしろ悪影響にすらなりうるということ。目の前にいる子どもにとって、自分が今教えていることがこれからどういう展開をしていくのかという展望を持ち続けることは、学年や上級学校という区切りのある学校制度の中で教員が持ち続けることは難しいのかもと思う面もあるけれど、それはやっぱり大人の都合でしかないと思う。

そういうところから距離を置ける立場で教えることができるぼくとしては、「あ、これって昔やった○○と同じこと?」なんていう場面が生まれることこそが授業の楽しさの一つだと思っています。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

大きい子の英語は現在完了に入りました。英語の表現の中で日本語とは違うものの一つといっていい現在完了。それまでの過去、未来の表現とは違って、言葉で説明にしても「???」とイマイチ腑に落ちないという感じになることもしばしば。

そこで、まずは簡単に現在完了の説明をした後に、歌詞を渡して「この曲を聴いてみよう!」と。Phil Lynott の『old town』という曲です。

20190123_184744

一言で言ってしまうと失恋ソング。

Romance has broken down.

となり、

This boy is crack’in up.
This boy has broken down.

と、サビに続く…。

「break down したのは過去だよね。で、今は?」
「今も、でしょ?これ、ひどいよー」

“crack up”という歌詞にも注目して一緒に辞書で引く。crack「ヒビが入る」という意味があるけど、crack upで「大笑いする」という口語表現も。

「大笑いしてるって、悲しすぎる…」

こんな風に歌詞を一緒に読みながらだったけど、第一の目的だった現在完了の持つ雰囲気も感じられたかな?素敵な歌が響いた英語の授業でした。

年の瀬

今年の沖縄の冬は暖かすぎて、ちょっと前なんて半袖で過ごしていました。なので、もうすぐ今年も終わっていくなんていうのが実感できなかったり。

けど、クリスマスの話題をあちこちで耳にすると、やっぱり年末なんだなぁと。
放課後教室の子は「クリスマスなのになんで学校があるの!」なんてブーブー言っていたけど、いざ終わってしまえば冬休みの遊びの話題でいっぱい。

そんな感じが一番いい。

年内最終日は、お勉強も一段落したので、新年に向けて年賀状作りをしました。

20181226_173254

帰りがけには大掃除もしてくれました!

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

児童相談所の新設で揉めているニュースをいろんなところで目にした。地域に向けた説明会での建設反対意見がクローズアップされているけれど、以前も保育園設置に反対するニュースがあり、「子どもの声は騒音か」なんていうことが話題になっていたので、さもありなんといった感じではある。

今回のニュースでは、社会層を強く意識させるような言葉が注目を集めていて、本来の児童相談所新設云々というのはその陰に隠れてしまっているかのようでもある。メディア上では児童相談所の情報があまりに希薄で、間違ったイメージあるいは無知から発せられている言葉が多いけれど、世間の興味は児童相談所自体ではないからかそれをそのまま垂れ流しているような状況が続いている。こうなると、そもそも児童相談所がどの様な機能を持っている場所なのかを社会として共有できていないことが一番大きな問題だと思えてくる。

児童相談所は18歳以下の子どものあらゆる相談を受けるところ。この“あらゆる”の中の一つが虐待に関することであって、他にも発達だったり学校生活のことだったり、大人の立場からすると子育てをしていて「困ったな…」ということを持ち込める福祉の場所になっている。(大本は児童福祉の場所である)

ちなみに話題になっている港区は北新宿にある児童相談センターが担当している地域なので、港区の人は基本的には必要な際にわざわざ新宿まで相談に行かなければならなくなる(もしくは新宿から児相職員が来るまで待つことになる)。なので、拠点が増えることは単純に利用しやすくなることに繋がる。

また、港区の予定では子ども家庭支援センターが同じビルに入ることになっているけど、この子ども家庭支援センターは多くの部分で児童相談所と同じ役割を担う。児童相談所の方が持っている権限が多いなどの点があるけど、児童相談所は都道府県が設置するのに対して子ども家庭支援センターは市区町村が設置するというのがそもそもの大きな違いで、子ども家庭支援センターの方がより地域に根差したものとなる。
(この“子ども家庭支援センター”という名前は東京都で使われているもので、地域によって異なる。例えば那覇市では家庭児童相談室がそれに当たるものだと思う。)

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

児相の話をしていると声高に児相を糾弾し、中には解体しろという人達の存在に直面するけど、今新設に反対している人と根っこは同じだなと思うことが多々ある。もちろん、児童相談所には改善していかなければならない点は多々あるのは事実だけど、それは中にいる人達も強く感じている。少なくとも児相で働いていた時の僕はいろんな場面で感じたし、その課題を一緒に働いている人達と共有することも多かった。ただ、そこには子どもを対象とした福祉が社会には必要だいう動かざる大前提があり、その大前提の上に業務のレベルを少しでも上げなければという方向性があったと思う。

だから、質を理由に児相を不必要と言ってしまうのは、内容は違えど画面に映っている大声で新設反対をしている人と根底では同じだと感じてしまう。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

今回は児童相談所が話題になったけれど、お年寄りに対する福祉、子どもに対する福祉…その他諸々は同等のものだという意識のもと、老若男女関わらず福祉が行き渡るようにする、福祉事業を利用しやすくするということは社会の成熟度の根本に関わること。ゆえに、自分は利用することもないから関係ないという個人の視点でその必要性を語ることはできない。今この時に必要ないと思っている人でも、現時点でその社会の構成員の一員には違いないからである。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

今年は、本と音楽に触れる時間がほとんどなかった。

沖縄に来る前は仕事帰りに本屋やCD屋に寄っていたけれど、今は車通勤になってその様なタイミングがなくなった。まぁ電車通勤に使っていたエネルギーって何だったんだろうと疑問に感じることの方が大きいのだけど、車からいつも同じ音楽が流れているのが寂しいのも事実。

代わりというわけではないけれど、映画を結構観るようになった。(テレビを見なくなったということもある)
『ラ・ラ・ランド』が良かったというのは前に書いたけど、今年一番印象に残ったのはヤン・イクチュンの『息もできない』かな。もう一回観ようと思ったけど、切なすぎて観られなかった。『スタンドバイミー』にあったような、生い立ちがもたらす生き辛さをヒリヒリ感じた映画だった。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

個人的なこと。

春にものすごく辛い出来事があって、自分で分かっていてもどうにもできないくらい不安定な時期があった。そんな頃に火傷をしたのだけど、それから意識が治療に移り、同時に少しずつ前を向こうと気持ちを持っていけた。その間、周りの人にはたくさんの迷惑と心配をかけてしまい、自分としては何とかそれに報いなければと思いながら過ごしていた。

夏には父親という立場になった。夜明け前に目が覚めて、子どもの寝顔を確認するのが毎日の始まりに。そして、何だか今まで経験したことのない感情に日々埋もれている。

ただ、喜怒哀楽は相殺されるものではなくて、今年起きた大きな出来事としてそれぞれ自分の中に存在している。本当に、これからも自分の中で抱えていくべき大きなことがあった一年だった。

なかなかブログを更新できなかった理由にこういうことがあったからとも言えるのだけど、来年は徐々にこちらに戻ってこなければと思っています。

お国自慢カルタを作ろう!

だいぶ間が空いてしまいました。久しぶりの活動紹介です。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

県内の二期制の学校には秋休みなるものがあって、うちの子達も数週間前には一週間の秋休みを送っていました。せっかくの休みだし…、と普段とは違う宿題でカルタづくり。

“あ”から“ん”までを二人に割り振って、
「どこでもいいから、都道府県に関係する読み札を作ってきてね」
「“あ”だったら青森県とか?」
「そういう感じだと足りないから、“り”の札で“リンゴがたくさん青森県”とかいう風で」
「えー、できるかなぁ…」

担当の文字数が多いので大変かなと思ったけれど、
「やってきたよ!」と、ぎっしりと書いた下書きを。インターネットや教科書、はたまたおうちの人に聞いてみたりしながら見事に全部作ってきてくれました。

「結局食べ物ばっかになっちゃった」と言いつつも、

きんぱくがきらきらひかる石川県
なまはげこわいぞ秋田県

なんて素敵な読み札から、

わに園がある静岡県
というマニアックなものも!
(静岡県のワニ園は、熊谷にいたころに遠足で連れていってくれという子がいて調べたことがあったのだけど「埼玉からわざわざ静岡までワニを見に行くのはちょっと…」という反対意見多数で実現しなかったのでした。代わりといっては何だけど、お隣群馬県のスネークセンターには行きました。。)

はもがたくさんとれる鹿児島県
「これはお母さんに教えてもらったよ!」
鱧というと京都とか関西のイメージをもっていたけれど、志布志の方では鱧をドンブリにしているものが有名なんだとか。知らなかった!

いい読み札が出そろったところで、カルタづくり。出来上がりが楽しみだね!

20181015_180454

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

英語も進んでいます。
「なんか、だんだん仕組みが分かってきた気がする!」

20181015_184326

コーラルでは、文法中心の英語。ネイティブではないぼくの発音で耳を慣らす必要はないということもあるのだけど、何より、英語を話す必要性を感じていない子に「英語を話せるようになりましょう」と会話を中心に英語を勉強してもなかなか身が入らないので、将来自分が英語を使う時が来た時の手助けとなるように文法を固めておこうと考えています。

英語の授業も「なるほど!」という言葉が出るくらい進めば進むほどに楽しくなってきているようです!