雑感

少し前に児童相談所から虐待と言われた父親(確か継父)の記事を読んだ。中でも、小学校3年生か4年生くらいの娘と一緒にお風呂に入ろうと追いかけまわしていたことを、児相から性的虐待と言われてショックを受けたという話があった。父親としてはコミュケーションの一つだと位置づけていたらしく、継父という立場からの精一杯の努力だったとのことだったような。

良かれと思ってやっていたことを性的虐待と言われたので、父親は文字通り“ショック”だったのだろう。ただ、子どもは本当に嫌がって逃げていたので、良かれと思ってでは済まされないのは当然。子どもの様子を感じ取れていないことからしても、その一方的な行動に弁明の余地はない。

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虐待をしていた親が良く口にするのが「躾だった」という言葉。ぼくはこの“躾”という言葉は漢字も含めてものすごく嫌いなのだけど、“躾”という言葉の下では、子どもに対しては多少の強引さは仕方がなく、それは子どものためなんですよという意識を共有している人の方がこの国では多いと思われる。

見方を変えると、“躾”という言葉がなかったらどうにも説明できない行動だとしか思えないというのがぼくの感覚で。躾と称してなされる大人の身の振る舞いが得てして美しくない理由は、この一方的な勘違いによる放漫さにあると思っている。

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最近寝起きで読んで、ぱっちり頭が起きたブログ。

相談者は読まないほうがいい回答 幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。 (https://cakes.mu/posts/27569)

その時は全文読めたのだけど、今は有料記事で途中までしか読めない様です。けど、無料で読める部分だけでも、相談職に就いたことのある人は頷いてしまうのではないだろうかという内容。

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電話相談をしていた時に、他の相談員の方も含めてよく口にしていたのは「子どもに対して、約束したとか、言質を取るようなことはやめた方がいい」ということだった。よく口にしていた…ということはこういう相談が頻繁にあったということでもあるのだけど、例えば習い事を最後まで続けると言ったとか、ゲームを買ってあげたら成績を上げると言ったとか、端から見れば“そうは言っても…”と思う内容も、当の親からは「子ども自身の口で約束したから」という一点で頭がいっぱいになってしまっているという場面は珍しくなかった。

親によっては、「約束を守れない子」「嘘つき」なんていう風に子どもを見るようになってしまい、さらに「この子をどうにかしないと」と悪循環に陥ってしまっていたり。ただ、よくよく話を聴いていくと、最初の段階で親が子どもに“約束”を言わせているのが透けて見えてしまうケースも珍しくなかったりする。

ようは「自分で約束した」「自分で選んだ」というためのアリバイ作りを親がしてしまっているということなのだけど、年齢が小さい頃はそれで進められるかもしれないことも、大きくなるにつれ必ずといいって言いほど上手くいかなくなり、いろいろな方向にこじれていく。それは、どんな理由付けをしようとも、親が子どもにさせたいことの責任を巧妙に子どもに追わせ続けてしまっていることには違いなく、目標完遂できなかったことについて言い逃れできない状況に置かされた子どもは、ただただ追い詰められていってしまうからだとしか思えなかった

今は有料記事になっている上記ブログの回答を読みながら、こんなことを思い返したのでした。

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ツイッターでのやり取りを興味深く追った。

今、本当にこの意思が必要なのだと思う。親の世代だけではなく、当事者である子どもたちにも。

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こんなブログを書いていた時に入ってきたニュースは、新しい大学入学共通テストで不利益を被る高校生が出てくるかもしれないという懸念に対して文部科学大臣が「自分の身の丈に合わせて」と発言したというものだった。この共通テストについては当初から本当にそんな試験できるの?と危惧する人はたくさんいたのだけど、直前の時期にこんな発言するとはもう本当に開いた口が塞がらないといった感じだった。

そんな中、こんな記事を読んだ。

筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」

自分以外の立場の受験生にも目を向けながら理路整然と問題提起していて、それはもう感心させられっぱなしだった。数年前にセンター試験が変わるという情報が出た時、教育業界の中にも何の吟味もなくただただ“新しい情報”として無批判に対応を促している人も少なくなかったので、こういう優秀な若い世代がいることに胸がとても熱くなりました。

土曜オープン日の様子とあれこれ

大きな台風のニュースで頭がいっぱいでした。沖縄に来る前まで過ごしていた埼玉県の狭山市や入間市といった地名を検索しながら、馴染みのある川の様子を調べていました。

決壊した堤防や緩んだ土地の状況などが心配なのに、今後さらに悪天候が予想されるということで、“過去に経験したことのない”という形容が現実味を帯びてしまっているような。。今の状態で可能な対策というのも限られてしまうかもしれないけれど、とにかく被害が拡大しないことを願うばかりです。

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土曜オープン日の様子です。普段とは違って、「ここは二等辺三角形だから…」とかあれこれと口に出しながら考えている様子が微笑ましかったり。家で勉強するより集中できるそうで何よりです。

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コーラルでは板書をノートに写す…という作業を意識的に行っています。学習内容を穴埋め式のプリントにして授業を進め、子どもはそのプリントをノートに貼るという手法も珍しくないのだけど、板書が授業者の手を離れ子ども自身が真っ新なノートの上に学習内容を再構築させていく作業は、授業を改めて能動的に認識することに繋がっていくと考えています(この能動的に認識する作業の延長に様々な練習問題を位置づけています)。学習内容が、授業という時間の中から子ども自身の中に独り立ちしていくためには、一見遠回りに見えて最良のプロセスだと思っています。

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ノートを一から作るのが「めんどくさい」という気持ちも分かる。ほんとは板書を書くことも結構大変。だから「プリントの方が楽だよ」というのは子どもの声だけではなく、授業者としても一度プリントを作ってしまえばレールが完成した状態で授業を進められるという点も含めて同じです。

ただ、昔教わった先生の「勉強の最初を不精しちゃいけないよ」という言葉がいつも頭の片隅にあります。そして何を隠そう、今でもその先生のノートを中心に授業を進めているのです。

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上記のものは普段の数学や英語など教科の授業に関して。
コーラルではもう一つの授業の形として、この前はみんなでゲーム形式のものも。以前も行った都道府県カードゲーム。

47都道府県が書かれたカードを配り、真ん中にはお題カードを積みます。お題カードには「東」や「人口」、「平均年齢」といったお題が書いてあります。お題カードを一枚めくり、自分が持っている都道府県カードからお題に沿った一枚を選んだら場に伏せて出します。「せーの!」でオープンした都道府県カードの中で、お題のランキング最上位の人が場に出た都道府県カードを総取りするルール。(例えば、「東」のお題カードだったら、場に出たカードうち一番東の都道府県カードを出した人の勝ち)

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お題カードには「?」があって、これは自分の好きなお題を設定できます。
「じゃぁ、カキが多く取れるところ」
「カキ?木になるやつ?」
「違う、海の。貝のカキだよ」
「なんで!もう内陸の都道府県しか持ってないのに!」なんて大笑い!

「?」カードを引いたら引いたで手持ちの都道府県カードで勝てそうなお題(都道府県のイメージに沿って、外国人旅行客の数や森林の率が高いところなどなど)を出したいので、またまた頭を使います。それにしても、インターネットでその場で即座に検索できるって便利…。

「もう一回!」が何度も続いて盛り上がったね!!

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ラグビーワールドカップ、盛り上がりましたね。「あ、あの子だ」と大学時代を思い出す選手が次々出てきて応援にも熱が入ったり。それにしてもこれだけ帝京大学出身の選手が活躍しているのを見ると、帝京大学の岩出監督の功績は大きいなと思いました。

日本代表の試合は終わったけれど、残りの試合も楽しみです。

夏休みも終わって…

夏休みの宿題に追われていたみんな。社会科の課題で人口問題について書くことにしたということで、一緒に総務省のデータを見ながらあれやこれや。

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「ちょっと調べた」と“社会活動が低調になって…”との視点から。

また別の子は、介護や年金という言葉が出てきた後に、
「でも、保育園に入れない人もいるんでしょ?子ども少ないのになんで?」
疑問は続きます。

もうずいぶん前から少子化で大変だ大変だと言われているけど、そもそも子どもが減っている理由ってなんだろう?と考えてみました。(ただ、沖縄は子どもの数が多いので、そこは実感ないかもしれないのだけど…)

それにしても、総務省のデータは戦前から未来予測まで情報が入っていて、「え?これ、何??」とあっちにこっちに話が広がっていきました。

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「忘れ物したら卓球できないんだよ」
「ん?何の話?」

どうやら学校に卓球のセットがあって休み時間とかに遊んでいるらしいのだけど、忘れ物のペナルティでその卓球をやらせてもらえないルールがあるとのこと。うーん、何だか腑に落ちないナァと思っていると、他にも雑巾がけをやらされたりすると聞いて驚愕。

忘れ物の“指導”をするなら忘れ物について話さなければならないと思うのだけど(←根本的にバカバカしいことがよくわかる。忘れ物が良くないなんて分かっていることだから)、何か他の罰を与えることで“指導”とすることには疑問を持たざるを得なく、一言でいうと手抜きだとも思う。ぼくの記憶では学校から体罰を含めこういうことは排除していく流れだったと思うのだけど、最近別の小学校でもペナルティで雑巾がけをやらされるということを聞いて、何がどうなっているのか良くわからなくなってきました。

そもそも“指導”とかいう言葉があまり好きではないぼくですが、こういうやり方って大人になってから「あれって意味ないし、変だったよね」と振り返られるようなことだと思うのだけど今の先生はそういう経験ないのかな??

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映画『1987、ある闘いの真実』を観た。ぼくの記憶にもはっきり残っているソウルオリンピックの前年の話だと知って驚いた。

韓国の民主化運動を取り上げた映画というと、少し前に『タクシー運転手 約束は海を越えて』が話題になったけれど、それよりも良かったかも。

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みんなの夏休みも終わり、土曜オープン教室も再開しています。二学期からは隔週での開催となっています。見学などの際には、オープンしているかどうか事前にお問い合わせください。

夏休み

今年の4月から行っていた土曜オープン教室も8月は夏休みになります。なので、先週の土曜は、一学期最後のオープン教室でした。

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「学校の宿題が大変!」と説明してくれた内容は、なるほどなかなかのボリューム。。。けど、グループ学習のためにみんなで待ち合わせをして図書館に行ってきたなど、楽しそうな話も出てきています。

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通常の放課後教室は、夏休み期間仕様ながら開催中。毎回、プールに行ったとか自転車で遠くまで行ったとか、どんどん日焼けしていく顔で教えてくれます。

自分のことを思い出してみれば、朝から晩まで外で野球をしたり虫を捕まえたりしながら遊んでいた記憶しかなくて、お昼ご飯はどうしていたんだろう?と思うほど。自由課題も夏休み終盤に紙粘土で貯金箱をちゃちゃっと作る年が続いて、貯金箱の形がサイなのかゾウなのかの違いで済ませていたような。

そんな宿題なんて二の次で遊んでいたことを思い返しながらみんなの話を聞いていると、小麦色の顔もちょっと眩しく感じます。

夏休みっていいなぁ。。

英語の授業から

中学校で習う英文法の集大成である関係代名詞を勉強中。個人的にはこの単元を念頭にbe動詞から教え始めると言ってもいいくらいで、ここまで一通り理解できれば英文法の土台はある程度出来上がって、その後は自分自身で勉強をしていけると思っています。

あと一息!

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「これは曲の歌詞だから文にはなっていないけれど」
と紹介したのはアメリカのバンド、The Killers の『Land Of The Free』という曲の一節。

People who just want the same things we do

難しい単語もないので、勉強中の関係代名詞を追って和訳。

「で、この歌、何?」ということで、一緒にPVを観てみます。

アメリカのトランプ大統領が選挙中に国境に壁を作ると言っていたのは周知の事実だし、もちろんその上で大統領になったということも知っている。そして、このPVにもなっているキャラバンについても知っていて、

「あれ、違法に入ってこようとしてるんでしょ」ということまでも知っている。

そして、その後に出てくる言葉は
「でも、なんで??」

“違法”という言葉だけで判断しようとすれば答えは明快だし、実に単純なこと。ただ、この「なんで??」というところに事の本質があるとしたら、“違法だから”という言葉で済ませてしまうことは解決からは程遠くなってしまう。アメリカを目指した人達の背景にはどんな生活があったのか…まずはそのきっかけに接近する意思が第一歩。

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その後も、
「ほら、あの難民のこともあったでしょ?」というので、シリア難民のことを調べてみれば、満員の船で海を渡ろうとしている人たちの映像が出てくるし、国連のページを見れば「世界では2秒に一人が家を追われている(2017)」なんてデータが出てくる。

そうなってくると、みんなの世代は
「日本はどうしてるの?」
という疑問を持つ。日本の対応を調べたり、積極的に難民を受け入れている国ではどういう意見があるのかなどもお話。

“支援する”という言葉に対してそれこそ単純ではない状態になっているのがこの国の現状だけど、遠い国の会ったこともない人たちのことに、そこに国という媒体を経ながらも自分との関わりを見出そうとする若い世代に少し安堵したのでした。

あれこれ&土曜オープン教室を始めました

数年前にテレビに流れていたCMで、とても気になったのものがある。それは、沖縄県内の無料求人誌のCMで、土木作業員風の服装をしたチンピラ風貌の4人がその求人誌を手に取っていたところ、「字、読めるの?」みたいなことを言われるというような内容だった。

ブラックユーモアなどではなくただただ特定の社会層を馬鹿にした視点に思えて「こんなのクレームが来るんじゃないの?」と思っていたのだけど、予想とは正反対に気が付けばシリーズ化されていたのでした。

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沖縄に来て6年。誰も知らない土地での生活を始めてから、いろんな人とも知り合うことができたし、楽しく過ごすことができている。ただ、そんな中で気になったことの一つは社会層がはっきりと分かれていることで、それが世代を超えて受け継がれていること。少し前には県内でも子どもの貧困がクローズアップされ、子ども食堂の活動などが話題になったけれど、支援する側と支援される側がくっきりと分かれていて、個人的には上述の社会層の存在を強く感じるきっかけにもなってしまった。そして実際にいろんな世代の人と一緒に働く職場に身を置いて、若いうちから既に存在する個人の能力とは全く関係のない部分での格差を肌で感じたのでした。

この様なことは沖縄に限った話ではないとは思う。そして、もちろん支援活動の意義自体を否定するつもりはない。けど、活動の中身・質によってはその社会層をさらに固定しかねないという気もしている。支援活動をする家庭(支援活動を行うだけの余裕がある家庭と言ってもいい)の子はそれを受け継ぎ、それを利用する家庭の子は…といったように。

例えば、無料で子どもを集めて学習指導をしている場所がある。けど、その学習指導の内容が漢字練習と計算が主だったりする。漢字練習と計算ももちろん必要だとは思うけど、それを学習の中心に設定してしまうことには疑問が残る。それこそ、「字、読めるの?」に類似した根強い“何か”を感じ取ってしまうのはぼくだけなんだろうか。

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「将来の夢、何かある?」
医者、コック、はたまたお金持ちにお父さん…。

「けど、ダメって言われたら?」
「ダメって、なんで?」
「なんでって、ダメって決まってるから」
「何それ!」

「自分の仕事を選ぼうと思っても選べなかった時代もあったんだよ」
昔、職業選択の自由に世襲や差別の話を絡めた授業をしたときの子どもの反応は、“信じられない!”そのものだった。

けど、本人の意思ではなく様々な条件で勉強することから遠ざかる子どもが少なくない今日、あの授業での“信じられない!”と思えた子どもの感性は長い歴史が産んだ尊いものなんだと大人が再確認しなければいけなくなってしまっているような気もする。

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コーラルでは、この4月から“土曜オープン教室”を始めています。毎週土曜日10時から13時まで、一回千円の参加費を集めて行っています。

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放課後教室のような完全なる個別指導とはいかないのだけど、普段行っているコーラルの授業をベースにした学習対応をしています。まだ始めて間もないので、時間・メンバー・スペース等あらゆることの配分も含めて試行錯誤の段階です。今はそれぞれの勉強をしていますが、そのうちみんなの希望をとって、ものつくりや実験、料理なんかもできたらいいなと。まぁ本来はお休みの週末土曜なので、緩やかなオープン日にしたいと思っています。

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それにしても、みんなが集まってそれぞれに勉強している姿が、この場所を借りたときに“こうなったらいいな”と想像していた風景に少し重なって見えました。ゆっくりみんなで育てていく、そんなオープン教室にしていきたいなと。

正負の数の続き

数学は正負の数の乗除へ。

気球が同じ速度で上下する状況を想定。上っている時の〇秒後・〇秒前、下りている時の〇秒後・〇秒前の位置をそれぞれ一緒に考えてみます。

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今いる位置と比べて上にいるのか、下にいるのか…。
「あ、上。プラスの位置」と、符号の変化を気球の変化になぞらえて。
数字ではなくて、絵を見ながら考えた数学でした。

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映画『誰も知らない』を観た。実際にあった子どもの置き去り事件をモチーフにしているということで、確かにどこかで聞いたような場面がいくつも出てきた。多くの人にとっては普段の生活でなかなか関わることのない世界かもしれないけれど、例えばこの映画でも大きなキーになっている無戸籍の子どもの存在というのは今でも大きな問題になっていて、近所にその様な子どもがいる可能性は否定できない。

児相で働き始めた時には「事実は小説より奇なり、だよ」ということを、心しておくようにというニュアンスでちょくちょく言われた。実際にはそういうケースはそう頻繁にあるわけではないのだけど、一方「そこまでというわけではないけれど…」と似たような状況を思い起こさせるケースは想像をはるかに超えるほどあった。もちろんそれぞれの状況下にある子ども一人一人にとっては、程度の問題ではないことには違いない。

映画の中で母親が子どもに向かって「お母さんは幸せになっちゃいけないの?」と言い放つシーンでこんなことを思い出したのでした。

正負の数

正負の数の加減法に入っています。カードやトランプを使って正負の数の導入をしていたのだけど、加減法の説明もそのイメージを引き継ぎながら。

まず加法。(+5)+(-3)ならば、
「“+5”のカードがまずあって、その隣の空の枠に足し算だから“-3”のカードを足す。合計の点数は?」
「あ、この前のゲームと同じ…」

次に減法。(+5)-(-3)ならば、
「“+5”のカードがまずあるところは同じ。引き算だから、隣の空の枠から今度は“-3”のカードを取る。けど、何もない状態から“-3”のカードを取るってどういう感じ?」
「何もない?」
「そう、数で言うと何もないっていうのは?」
「ゼロ…。あ!」

これも、この前のゲームの得点計算のときにみんなが工夫していたこと。“+3”のカードと“-3”のカードがある状況ならば、数としてはゼロ。

「これで、“-3”のカードを取るから、残るのは“+3”のカード」
ここからの計算は、今までやったものと同じだね!

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「減法では、符号を逆にして足し算に変えて計算」と言ってしまえばそれまでだけど、コーラルではどうしてそうなるの?を一緒に確認です。

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3月11日です。震災から8年が経ちました。震災がなかったら今沖縄に暮らしていることはなかったろうなと。今日、あの震災は一段落したかのような事柄を目にすることも少なくないけれど、今なおあの日の延長上で暮らしている人はたくさんいるということを改めて思います。

最近のこと

中学入学に向けて少しずつ数学も始めています。まずは正負の数からだけど、これは最初が肝心。財産と借金など、反対のベクトルを持つものを一つの数直線に乗せるとはどういうことなのかを、ゆっくり時間をかけて。

定番のトランプゲームも。赤札はマイナス、黒札はプラスで手元のカードの数の合計が一番大きいと勝ちというシンプルなもの。自分の点数は計算しなければいけないけれど、小学生でも「同じ数字でプラスマイナスゼロ…」とコツを掴んで計算しています。
※この“符号の違う数字を合わせてプラスマイナスゼロ”というのは、正負の数の減法の説明に重要な考え方になってきます。

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全部で五回戦。総得点ももちろん計算!

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沖縄に引っ越してきてもうすぐ丸6年。毎日バタバタと過ごすようになって、5年以上関東には戻っていない。そんなで、旧友に会うのは沖縄に旅行に来た時に立ち寄ってもらうような機会しかない。

何年ぶりかにかかってきた高校の同級生から電話に出ると、
「今日、お店やってるの?」
おー、久しぶり!というはずの時間の流れを全く感じさせない言葉が電話の向こうから聞こえて、少し混乱。ちょうど4月1日だったこともあって、その混乱はさらに大きなものに。

急いで買い出しからお店に戻ると、彼は待っていてくれた。どうやら出張で沖縄に来たらしく、せっかくだからとうちの店に寄ってくれたようだ。

「ギター、まだやってるの?」
「もうやってないよ」
「あんなに上手かったのに?」
「えぇー、そうかなぁ」
と、近況報告と思い出話。

この後に移動があるということで、つかの間の二人同窓会の後「次はちゃんと連絡するよ。飲もうよ」と、帰っていった。

そして、翌年の同じころ。
「今日、お店やってるの?」と、突然の電話があったのでした。

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高校時代はアホなことしたなぁという人は多いけれど、ぼくにとっての大きな思い出はみんなで一晩ママチャリをこいで熱海まで行き、フェリーで渡った伊豆大島の浜辺で夜を明かしたこと。大島に何かをしに行ったというわけでもなくただただペダルをこぐことが目的で、あてのなさに溢れていたとしか言えないのだけど、こうやって書いているだけでノスタルジックな気持ちになる。

そういえば、思い出話として20年以上前に書き綴ったものを以前こちらにも転載していました→夏の思い出

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斜め前の席に座っていた彼は夜中にギターを練習していたらしく、授業中寝ているか、鼻をほじっているか、ほじりすぎて鼻血を出しているかのどれかのことが多かった。

けど、日々の練習の成果は一目瞭然で、ヘビメタが大流行だった当時のぼくたちの間でギターヒーローだったポールギルバートやヌーノベッテンコート、イングウェイという超絶テクニシャンの曲を次々とコピーしていて、みんなで楽器屋へ行った時にはとりあえず彼に「あれ、弾いて」と試奏してもらったりしていた。

そんな彼がギターで落ち込んだ話をしてくれたことが一度だけあった。
「母ちゃんの前で弾いたんだよ。すごい難しい曲を、どうだ!って。そしたら、なんで鼻の穴広げるの?とか言うわけ」
友だちの間では速弾きで無敵だった彼も、お母さんには敵わないのでした。

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一緒に自転車で旅行をして、クラスのギターヒーローだった同級生が他界したという知らせが入った。なかなかみんなと直接会うことはできなくなったけど、遠くにいるけど心のどこかには存在しているという関係なので、全く実感がない。

ただ、もう「お店やってる?」の電話がないのかと思う時、急に胸がどっしりと重くなる。やっぱりつらい。

同窓会をしてみんなで思い出話をしようという連絡が回って来たけど、一足早く哀悼の意を込めて。

時事から

またか…と思ってしまう事件が起きてしまった。千葉の虐待のことだ。

傷痣の確認もされていて、子ども本人からの明確なSOSもあり、一時保護もされていたのに…と思うけれど、後から出てくる情報からは関係機関の行った対応に問題があったことが次々と見えてくる。

教育委員会の対応が最悪だったのはそうだけど、そもそもこの様なケースの時に絶対にしてはいけないことは何なのかという認識がなかったのではないだろうか。認識ではなくて、“知識”といってもいい。子どもを守ろうとしていなかった…などの批判も分かるけど、関係機関従事者の精神論で終わらせてしまってはいけない話である。

今回の様に子ども本人からの訴えということに限らず、虐待通告者の秘密は絶対に守るというのが相談機関の鉄則ではあるけれど、教育委員会の対処だったとはいえ、これが崩れたことの悪影響が今後生まれないことを願うばかりだ。

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恫喝をしてくる保護者と相対することは児相の職員ならばある程度慣れているとは思う(電話相談の担当だったぼくですら何度恫喝を受けたかわからない)。なので、一歩踏み込み切れなかった要因は、他にもあるのだと思う。

今までもこのブログで何度か触れてきたけど、たとえどんな親であっても子どもは一緒にいたいと思うことがほとんどで、それを逆手に取るようなことをする親がいる。親は「子どもは一緒にいたいと言っている」と時には周囲の同情を買いながら児相に訴えてきたりする。そして、DV加害者などもそうだけど、理屈を重ねるように自己正当化することに長けていることが多い(そもそも、自分は悪いことをしていなく、自分にこういうことをさせる相手が悪いと心の底から思っていることもある)。こうなると相談を受ける側は、当事者の言葉以外のものを積み重ねて慎重に判断せざるを得ない。だから、関係機関の密な情報共有と協力体制が不可欠になってくる。

日々続けられる今回の事件の報道からは、父親があの手この手で関係機関を遠ざけようとしていた話も出てきているけど、そういう状況下においてもこの親子は分離させなければならないと判断し対処することができる唯一の機関が児相なので、その責任は重たい。

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(弁護士が子どもに向けて「困ったことがあったら弁護士に相談するように」とメッセージを送っていることが話題になっているけれど、弁護士もいろいろな専門性を持った人がいるので、一括りに弁護士への相談を勧めるのはそれこそ難しい気がしてしまうのだが…)

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今回の件ということではなく(というか、このブログを書いている時点では関係機関の対応は表に出てきて糾弾されているけれど、家庭内での詳細はまだよくわかっていない)、母親がたとえ父親の虐待行為に加担していなかったとしても、子どもが虐待されている状態を放置したネグレクトに当たるとされるケースがある。家庭において児童虐待だけが存在しているとは考えにくくDVも併存しているかもしれないことは容易に想像できるため、夫婦関係においては被害者である母親にそのような判断を下すのはあまりに酷だとは思うのだけど、児童福祉法やそれに基づく児相はあくまで子どもの立場にあり、その上での判断ということになる。

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児童虐待やDVというのは、報道されるような事件が起きた時にセンセーショナルに目に触れらるようになるけれど、いつの間にか他のニュースに代わられて忘れられていってしまう。児相新設についてのブログも書いたばかりだけど、悲しい出来事の一つ一つは残念ながら社会の基盤の一つとして定着されないで過ぎ去られてしまっている気がする。

大人が負けてしまうような恐怖を与える恫喝を、あの児童も受けていたことは想像に難くない。また助けられる機会を二度三度と逃しているということは、その度に虐待がエスカレートした可能性もあり、子どもの恐怖・絶望感も増幅していったのだろうと思うとやりきれない。同じことが起きないようにするためには、同じようなことをする親がいなくなるのが一番いいのだけれど、残念ながらこれはあまりに現実味がない。

なので、これから行われるだろう関係機関の徹底検証の結果を児童福祉の視点として社会のどこまで浸透させていくことができるのかが、これからの子どもを守ることに関わってくるのだと思う。そして、上記のことに現実味を持たせる第一歩になるとも思う。