最近のこと

中学一年生の時に、中国からの転校生がいた。年齢はぼく達より上だったはず。日本語でやり取りはできたけれど、休み時間に読んでいる本はやっぱり中国語で書かれていた。授業も一緒に受けていたし、席が近かった時にはちょこちょこ話もして中国語の本のことも教えてくれた。今思えば授業は大丈夫だったのかなと思うのだけど、ちょっと変わり者扱いされていた社会の先生だけは、板書の漢字の上にせっせと読み仮名を振っていたな。

二年生以降は違うクラスだったので接点はなかったのだけど、三年生の時にたまたま通った下駄箱で、彼女が上履きに水を入れられているのを担任の先生と掃除していたのを見かけたのが最後の記憶。

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岐阜県可児市で工場で働く親を持つ外国籍の子どもを学校に受け入れるドキュメントを見た。日本語も十分にできないのに日本の学校の教室にいなければならなくなった子の様子というのは何ともズキッとした。

外国籍の子だけのクラスを作って日本語と数学、英語を勉強するように促したりと学校側の努力も取り上げられていた。普段のクラスでは見られなかった緊張感の解けた表情が、そのクラスの中では見られた。けど、学校の中で外国籍の子どもだけのコミュニティーを作ることが良いのか、はたまた日本の子どもたちの間にポツンと置かれている状況が良いのか…どのような対処が一番良いのか正直わからなかった。ドキュメントの中では、クラスを行き来させることで“日本の学校”に慣れさせていくという感じだったけれど、それも休みがちになる子に登校を促すための苦肉の策だったような。中学生という年齢もあるのかもしれないけれど、本当に難しい話だった。

ただ、外国籍の子どもも可能ならば高校に進学して勉強を続けたいと思っていることはハッキリしていた。毎日の“日本の学校”に馴染むことを目標にするよりは、学力と進路に力点を置き、おそらくは日本で暮らしていくであろう将来を念頭に置き、道筋を立てて考えていけるサポートが今ある中ではベターなのかなと思った。

ドキュメントの中では本人の頑張りもあって高校には合格したけど、このコロナの影響で工場で働く親の仕事がなくなり、入学時の制服購入の費用もないからせっかく合格したのに進学を諦めるという場面もあった。入学費用のまとまった金額は支援団体が何とかする…となったけど、ホッとした子どもの横で何とも不安そうな親の表情が辛かった。

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映画『上を向いて歩こう』を観た。鑑別所を逃げ出した子が、社会の中で居場所を探していく話だった。誰からも認められない、必要とされない、もしくは排除されるというのは将来を奪い、自暴自棄を起こさせるということが常に話の根底に流れていた。

そういう不安定さが社会にありつつも、居場所に出会えれば衣食住には困らないし、慎ましい生活ならば何とか手にしていけるものとして存在するのが“あの時代”だったのかなぁと、今日の状況と比べながら思う。

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放課後教室。

辞書を片手に読んでいるのは、テニスの大坂なおみ選手の英文。

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可児市のドキュメンタリーでは、数十年前に中学校が外国籍の生徒に積極的に関わるきっかけになった男性が出ていた。中学校に行っても外国人ということでいじめられていて、素行もどんどん悪くなっていったようだ。それでも「お母さんが頑張ってたから」と当時を語り、その横でお母さんが涙を流す姿は何とも居た堪れなかった。

日本で育った子もたくさんいて、その中には日本語しか話せない子もたくさんいる。だけど、外国籍だからという制度上の不安定さ、「外国人だから」という周囲の目が引き起こす精神的な不安定さが存在する。本来ならば全ての子どもが持てるべき将来への展望を、先の見えないトンネルの中で探させてしまっているのは、日本で生活していく選択肢を“消極的なもの”にしてしまう状況と繋がっているのだろう。そして、その状況を作っているのは子どもたちではなくて、同じ国に住んでいる“ふつうの”日本人なんだと思う。

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映画『上を向いて歩こう』の、高橋英樹、吉永小百合の眩しさと言ったらもう半端じゃなかったです。途中に何があっても最後に『上を向いて歩こう』が流れれば、もうそれで全て良しな映画でした。