雑感

少し前に児童相談所から虐待と言われた父親(確か継父)の記事を読んだ。中でも、小学校3年生か4年生くらいの娘と一緒にお風呂に入ろうと追いかけまわしていたことを、児相から性的虐待と言われてショックを受けたという話があった。父親としてはコミュケーションの一つだと位置づけていたらしく、継父という立場からの精一杯の努力だったとのことだったような。

良かれと思ってやっていたことを性的虐待と言われたので、父親は文字通り“ショック”だったのだろう。ただ、子どもは本当に嫌がって逃げていたので、良かれと思ってでは済まされないのは当然。子どもの様子を感じ取れていないことからしても、その一方的な行動に弁明の余地はない。

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虐待をしていた親が良く口にするのが「躾だった」という言葉。ぼくはこの“躾”という言葉は漢字も含めてものすごく嫌いなのだけど、“躾”という言葉の下では、子どもに対しては多少の強引さは仕方がなく、それは子どものためなんですよという意識を共有している人の方がこの国では多いと思われる。

見方を変えると、“躾”という言葉がなかったらどうにも説明できない行動だとしか思えないというのがぼくの感覚で。躾と称してなされる大人の身の振る舞いが得てして美しくない理由は、この一方的な勘違いによる放漫さにあると思っている。

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最近寝起きで読んで、ぱっちり頭が起きたブログ。

相談者は読まないほうがいい回答 幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。 (https://cakes.mu/posts/27569)

その時は全文読めたのだけど、今は有料記事で途中までしか読めない様です。けど、無料で読める部分だけでも、相談職に就いたことのある人は頷いてしまうのではないだろうかという内容。

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電話相談をしていた時に、他の相談員の方も含めてよく口にしていたのは「子どもに対して、約束したとか、言質を取るようなことはやめた方がいい」ということだった。よく口にしていた…ということはこういう相談が頻繁にあったということでもあるのだけど、例えば習い事を最後まで続けると言ったとか、ゲームを買ってあげたら成績を上げると言ったとか、端から見れば“そうは言っても…”と思う内容も、当の親からは「子ども自身の口で約束したから」という一点で頭がいっぱいになってしまっているという場面は珍しくなかった。

親によっては、「約束を守れない子」「嘘つき」なんていう風に子どもを見るようになってしまい、さらに「この子をどうにかしないと」と悪循環に陥ってしまっていたり。ただ、よくよく話を聴いていくと、最初の段階で親が子どもに“約束”を言わせているのが透けて見えてしまうケースも珍しくなかったりする。

ようは「自分で約束した」「自分で選んだ」というためのアリバイ作りを親がしてしまっているということなのだけど、年齢が小さい頃はそれで進められるかもしれないことも、大きくなるにつれ必ずといいって言いほど上手くいかなくなり、いろいろな方向にこじれていく。それは、どんな理由付けをしようとも、親が子どもにさせたいことの責任を巧妙に子どもに追わせ続けてしまっていることには違いなく、目標完遂できなかったことについて言い逃れできない状況に置かされた子どもは、ただただ追い詰められていってしまうからだとしか思えなかった

今は有料記事になっている上記ブログの回答を読みながら、こんなことを思い返したのでした。

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ツイッターでのやり取りを興味深く追った。

今、本当にこの意思が必要なのだと思う。親の世代だけではなく、当事者である子どもたちにも。

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こんなブログを書いていた時に入ってきたニュースは、新しい大学入学共通テストで不利益を被る高校生が出てくるかもしれないという懸念に対して文部科学大臣が「自分の身の丈に合わせて」と発言したというものだった。この共通テストについては当初から本当にそんな試験できるの?と危惧する人はたくさんいたのだけど、直前の時期にこんな発言するとはもう本当に開いた口が塞がらないといった感じだった。

そんな中、こんな記事を読んだ。

筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」

自分以外の立場の受験生にも目を向けながら理路整然と問題提起していて、それはもう感心させられっぱなしだった。数年前にセンター試験が変わるという情報が出た時、教育業界の中にも何の吟味もなくただただ“新しい情報”として無批判に対応を促している人も少なくなかったので、こういう優秀な若い世代がいることに胸がとても熱くなりました。