時事から

またか…と思ってしまう事件が起きてしまった。千葉の虐待のことだ。

傷痣の確認もされていて、子ども本人からの明確なSOSもあり、一時保護もされていたのに…と思うけれど、後から出てくる情報からは関係機関の行った対応に問題があったことが次々と見えてくる。

教育委員会の対応が最悪だったのはそうだけど、そもそもこの様なケースの時に絶対にしてはいけないことは何なのかという認識がなかったのではないだろうか。認識ではなくて、“知識”といってもいい。子どもを守ろうとしていなかった…などの批判も分かるけど、関係機関従事者の精神論で終わらせてしまってはいけない話である。

今回の様に子ども本人からの訴えということに限らず、虐待通告者の秘密は絶対に守るというのが相談機関の鉄則ではあるけれど、教育委員会の対処だったとはいえ、これが崩れたことの悪影響が今後生まれないことを願うばかりだ。

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恫喝をしてくる保護者と相対することは児相の職員ならばある程度慣れているとは思う(電話相談の担当だったぼくですら何度恫喝を受けたかわからない)。なので、一歩踏み込み切れなかった要因は、他にもあるのだと思う。

今までもこのブログで何度か触れてきたけど、たとえどんな親であっても子どもは一緒にいたいと思うことがほとんどで、それを逆手に取るようなことをする親がいる。親は「子どもは一緒にいたいと言っている」と時には周囲の同情を買いながら児相に訴えてきたりする。そして、DV加害者などもそうだけど、理屈を重ねるように自己正当化することに長けていることが多い(そもそも、自分は悪いことをしていなく、自分にこういうことをさせる相手が悪いと心の底から思っていることもある)。こうなると相談を受ける側は、当事者の言葉以外のものを積み重ねて慎重に判断せざるを得ない。だから、関係機関の密な情報共有と協力体制が不可欠になってくる。

日々続けられる今回の事件の報道からは、父親があの手この手で関係機関を遠ざけようとしていた話も出てきているけど、そういう状況下においてもこの親子は分離させなければならないと判断し対処することができる唯一の機関が児相なので、その責任は重たい。

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(弁護士が子どもに向けて「困ったことがあったら弁護士に相談するように」とメッセージを送っていることが話題になっているけれど、弁護士もいろいろな専門性を持った人がいるので、一括りに弁護士への相談を勧めるのはそれこそ難しい気がしてしまうのだが…)

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今回の件ということではなく(というか、このブログを書いている時点では関係機関の対応は表に出てきて糾弾されているけれど、家庭内での詳細はまだよくわかっていない)、母親がたとえ父親の虐待行為に加担していなかったとしても、子どもが虐待されている状態を放置したネグレクトに当たるとされるケースがある。家庭において児童虐待だけが存在しているとは考えにくくDVも併存しているかもしれないことは容易に想像できるため、夫婦関係においては被害者である母親にそのような判断を下すのはあまりに酷だとは思うのだけど、児童福祉法やそれに基づく児相はあくまで子どもの立場にあり、その上での判断ということになる。

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児童虐待やDVというのは、報道されるような事件が起きた時にセンセーショナルに目に触れらるようになるけれど、いつの間にか他のニュースに代わられて忘れられていってしまう。児相新設についてのブログも書いたばかりだけど、悲しい出来事の一つ一つは残念ながら社会の基盤の一つとして定着されないで過ぎ去られてしまっている気がする。

大人が負けてしまうような恐怖を与える恫喝を、あの児童も受けていたことは想像に難くない。また助けられる機会を二度三度と逃しているということは、その度に虐待がエスカレートした可能性もあり、子どもの恐怖・絶望感も増幅していったのだろうと思うとやりきれない。同じことが起きないようにするためには、同じようなことをする親がいなくなるのが一番いいのだけれど、残念ながらこれはあまりに現実味がない。

なので、これから行われるだろう関係機関の徹底検証の結果を児童福祉の視点として社会のどこまで浸透させていくことができるのかが、これからの子どもを守ることに関わってくるのだと思う。そして、上記のことに現実味を持たせる第一歩になるとも思う。