雑感~映画『砂の器』とあれこれ

数年ぶりに映画『砂の器』を観た。原作者の松本清張がこの映画を絶賛したという話があるけど、ラストシーン(と区切るには長すぎるけど…)は日本の映画史に残る名シーンだと言っていいと思う。淡々とした文章で進んでいく原作小説と、音楽家の犯人が奏でる壮大な音楽をバックに日本の原風景をポツポツと親子が足を進める姿が映し出される映画はあまりに対照的で、小説を読んでストーリーを把握した上で映画版を観ると、その展開の激しさのあまり驚きも伴いながら引き込まれていって涙が止まらなくなってしまう。

小説『砂の器』は何度もリメイクされていて、ぼくが最初に観たのは田中邦衛が主演のドラマバージョンだった。その後、小説を読んだのだけど、大きな設定の違いは、犯人秀夫の父・本浦千代吉が村を追われるようになった理由で、確かドラマでは殺人だか傷害だかの事件を起こしたということだったはずだったけど、原作ではハンセン病が理由となっている。

ドラマ版は現代にそぐうように設定を変えたのかもしれないけれど、映画『砂の器』を観ると、『砂の器』がただの推理小説ではない理由はハンセン病という設定にあると思えてくる。登場人物の心の動きと行動は、ハンセン病とそれに対する差別偏見以外に太く繋がるものがないくらいに強く結びついているからだ。

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このブログにも書いたことがあるけれど、昔住んでいた近くに多摩全生園という施設があった。当時は知りたいことをすぐにスマホで調べるなんていうことはできなかったので、前を通るたびに「ここはなんなんだろう?」ということで終わってしまっていたのだけど、何の施設なのか知ってからはいつか行かなければと思い、沖縄に来る前にようやく行くことができた。

ひっそりとした館内の展示や資料から見えてくる、連綿と続く偏見と差別、それに圧し潰されるように(いや、圧し潰されながら)生活していた人。そこには人権という言葉はなかった。ずっしりと重いものを抱えて帰った。

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最近目の記事→宮崎駿監督が流した涙の意味 「もののけ姫」で描いた”ある病”との出会い

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なかったことにはしてはいけないし、なかったことにしていることこそが現在も差別の連鎖を生んでいるともいえる。ハンセン病の患者の団体が宿泊拒否をされたということもそんなに昔の話ではない。こうなると、なかったことにするもなにも、ハンセン病に関わるいろいろなことは過去のものというのは絵空事に過ぎないという事実だけがある。

そして、『砂の器』において設定を変えることは都合の悪いことに蓋をするということに他ならないと思う。

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少し前に話題になった映画『この世界の片隅に』でも似たような感想を持っている。

原作漫画では、終戦とともに主人公がたくさんのものを失った自分たちは実は加害者でもあったということに気付くのが重要な場面で、そこからは辛いときも工夫を重ねて必死に耐えてきた戦時中の庶民の暮らしも、実は戦争を後押しする社会を構成する要因になっていたというメッセージが読み取れる。その上でラストの戦争孤児(弱者であり被害者)を引き取る場面に繋がっていくのだけど、映画ではこの主人公が自分も加害者だった気付く場面がバッサリとカットされている。

これでは、戦時中の苦しい時でも健気に生活した人達の物語で終わってしまっていると思う。そういう物語もたくさんあるので、それでいいと言えばそうなのかもしれないけれど、それなら加害者という視点を持ち合わせた原作『この世界の片隅に』を用いなくても良かったのでは、と思う。

現在のこの国では加害者だったという点を改めて見つめ直そうという考えとその逆をいく考えがあって、どうも後者の考えの人たちの声の方が大きいようだ。その類の発言や表現が一種の“的”にされてしまったことには枚挙に暇がない。そんな状況を踏まえたうえで上記のことを見返すと、原作者の本意はどうだったのかな…と思ってしまう。

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ぼくがフリースクールに関わるきっかけになったジャパンフレネでは、この2月に長崎に行くようだ。そして、長崎では長谷川集平さんと交流するらしい。ぼくにとっての小さい頃から馴染みがある絵本の多くは長谷川集平さんの作品で、大人になってから改めて買い揃えて続けているくらいファンなので、うらやましい限り。

ジャパンフレネでは長谷川集平さんの絵本を読み聞かせ(一方的に読んで聞かせるのではなく、読み手と聞き手が絵本を媒体にコミュニケーションするアニマシオンという手法)しているだけど、子どもの感想の報告に対する返信がブログに紹介されていた。

→ジャパンフレネ/おーい仲間たち/長谷川集平さんからのお便り-質問は直接長崎で・・・

物を創る人の思いが伝わってくる。
やっぱり素敵な人だなぁと。そして、上記のようなことも頭をかすめたのでした。

それにしても、子どもたちに対してこれだけ真摯に向き合う大人と出会うことは、みんなにとって一生の財産だろうなぁ。

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映画『砂の器』の秀夫の音楽は、創る人の思いそのもので、それに気付いた「音楽の中でしか父親に会えない」という今西刑事の言葉がずっしりくるのでした。