休校中に思ったこと

沖縄県内の新型コロナ感染は完全に一段落しているようで、マスクとアルコール消毒、検温の習慣は残っているけれど、行動範囲に関しては以前に戻ってきているように感じます。放課後教室に通ってきている子の話を聞く限りは、学校は休校中の授業の遅れを調整する(取り戻す?)ことに苦慮しているようだけれど、思っていたほど強引というわけではなさそうです。

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2歳間近になる娘はいろいろな童謡を聴いては踊りながら歌マネをしている。マネと言っても言葉として発せられるのは単語の語尾だけのことが多い。しかし、普段の生活の中でちょこちょこぼくの言っていることを理解している様子を見ていると、しっかりとした発語はしていないけれど頭の中の言語、いわゆる内言語はかなり発達していると感じる。それは、ぼくが普段聴いているような洋楽ではなく、童謡を聴いたときに限って歌マネをすることからも感じ取れる。そして、歌詞の持つストーリーが言語発達を大きく後押ししていることを目の当たりにしているような気がしてくる。

そんな中で印象的だったのが『まんが日本むかし話』のエンディングソングだった『にんげんていいな』。娘も歌を聴きながら「バイバイバイ!」って喜んで歌っているのだ。ぼくなんかの世代には馴染みが強く、毎週土曜の夜にでんぐり返しのアニメを見ていたのを覚えていて、当時ぼくの幼稚園の運動会を見に来た父が「みんながあまりにも大声で『にんげんていいな』を歌っているから、司会の先生が「もう一回!」って何回も放送するように言ってたよ」なんて言うほどポピュラーだったのだけど、テレビ放送を見ることをなくなった今でも子どもを惹きつける何かがあるんだなぁと娘と一緒に歌いながら思う。

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「学校とか何もなくても、子どもは自分ですることを見つける。自分はそうだった」みたいなことを某元都知事が言っていた。字面だけ追うと一見“子どもの潜在能力を理解している”ような感じではあるけれど、当時行政の立場にあった人間が教育の必要性に関して子どもに丸投げしている発言とも捉えられるだろう。もちろん自分で何かを見つけて行動する子もいるけれど、そういう子どもが全てではない。“学校”に通っている年齢層は広いという面からしても、とにかく発言としてあまりに短絡的で無責任だと思った。

今回のコロナに関わる休校の時に「子どもにとっては自分のできることができるチャンスだ」とか「こういう時間だからこそできることがある」といったことを言う人が、フリースクール界隈にも少なくなかった。メディアでも例えば休校の時間を有効利用して特許を取るような子どもがいたと取り上げたりすることがあったけれど、そういう子は極々一部なのではと思うのが個人的な実感だ。このような発言の主は、学校同様に休校にした自分のフリースクールに通っている子どもに対して言っているのか、はたまた普段は学校に通っている子どもに対して“不登校じゃないあなた達にはせっかくの機会だ”と言っているのかイマイチわからなかったけれど、ぼく個人として某元都知事の発言と重なってしまっただけでした。

フリースクールをはじめとする民間教育に携わる人たちは、学校に行かないことを選択した子どもの教育を受ける権利も守るといった理念がベースにあるようと思っていたのだけど、全ての子どもの学習権に関わった今回の事態に際し、何とか学習を継続する方法を模索することなく、結局は上記のような発言に着地してしまうのかと少し首を傾げてしまった。

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お世話になった先生というのは今までに何人かいるけれど、幼稚園の担任の先生もその一人だ。沖縄に引っ越す直前には近所の銭湯で湯船に浸かっていたら偶然お会いして、これからどうするつもりなのか等いろいろお話した後に「うーん…。大丈夫かよ。。ひろし、何年かやったら帰って来てもいいんだからな」と言われた(笑)

その先生は現在幼稚園の園長先生をされていて、インタビューを読むことができた。その中でこんなことをおっしゃっている。


自由に子どもが遊んでいると放任みたいに言われることもあるじゃないですか。でも、「遊ばせとけばいいよ」という放任でやっているわけではないわけです。

人は体験していないことはやらないので、 体験をどのように子どもたちに伝えていくのか、やったことないことをどのようにその年齢の子どもたちの発達に合わせて提案し、自由な遊びをより豊かにしていくのかということを常に考え、その中で自由な保育は成り立っている。(→「保育者だって、謝ってやり直せばいい」あんず幼稚園の考える、保育者の役割と在り方

これは、娘が保育園に通い出していろいろ考えることがあって調べているときに出会った記事なのだけど、引用部分にはぼくの考えていることにかなり近い。また、『きのうのつづき 「環境」にかける保育の日々』 新評論 あんず幼稚園 編 宮原洋一 撮影 という本には、子どもの体験、“あそび”を引き出すことのできる環境、関係、時間などをいかにして大人が整備していくのか…といったことが実践と共に書いてある。

懐かしい感じがするのと共に、少しいろいろと考え込んでしまった。。

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童謡の曲作りに乳幼児が思わず体を動かし言葉を発したくなるものがあるように、幼児保育の中にも、学校教育の中にも年齢に合わせた大人からの働きかけが子どもの学びの広がりに大きく関わってくるという自覚が、改めて大人の側に必要なのではと強く思う。学校年齢においては、大人の関わり方によって興味関心の表出のし方は変わってくるし、学習という面で直接的にこの表出に大きく関わってくる時間が授業なんだろう。こんな非常時だからこそ、子どもの学びの大きな柱に自分が関わっているという意識だけは常に頭の片隅に入れておきたいと思っています。

梅雨の中休み

梅雨の沖縄…のはずが、今日も真夏のような日差しです。今年は例年の様に「夏だ!遊びに行こう!」という風にはならないけれど、これから数か月続く夏空は少し心を晴れやかにしてくれそうです。

みんなも学校が始まって少し経ちました。この“学校が始まって…”というのが上級学校への入学のことだったりもするので、休校が延びるたびにジリジリと新生活への緊張を延ばされた感じもあって少し気の毒にもなりました。なので、「ついに通常授業だよぉ」というのも、どこかしら晴れ晴れとしたニュアンスを感じ取れる気も。

今後また第二波がくると予想されているけれど、どうにもならない閉塞感からくる不安定さを身近で感じた身からすると、みんなの学習や活動に対する影響を最小限にする措置は今のうちから準備しておくべきだと強く思います。

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相似の単元です。

「やったことある?」
「やったことあるような…。聞いたことあるような…。けど、どういうのだっけ?」

まずは導入から一緒に。折り紙を同じ形に切って敷き詰めていきます。そこから分かることは何かな?
「例えば元の小さい三角形と、長さが二倍になった三角形を比べると…」

辺の比から角度の関係、面積の関係…。いろんな発見があったね!

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「相似?あ、折り紙貼ったやつ?」なんて言う風にいつか思い出せる導入になったら嬉しいな。