前回のブログに続いて…

臨時休校 家庭学習内容「改めて学校で教える必要なし」文科省

家庭学習も評価に反映 臨時休校の長期化で通知 文科省

先日のブログで“教育を止めない”云々のことを書いた。国の対応がお肉券やら布マスクやら想像を絶すること目白押しの中ちょっとやそっとのことじゃ驚かくなってきたのだけど(←こういう耐性は良くない)、これらの記事には目を疑った。

フリースクールに携わってきた身としては、学校に行かない・行けないという子どもが教育を受ける権利をないがしろにされてはいけないという思いがあった。公の機関として学校という場を用意しているのだからそれで子どもが教育を受ける権利に対する義務を果たしている、という理屈は大人として許容してはいけないということだ。いくらいろんな学校があってそれぞれの特色を打ち出そうとも学校である限りは公の機関の域を出ることはないから、学校に行かない・行けない子の教育を受ける権利のためには、学校以外の学びの場が必要だという結論に帰ってくると思い続けている。

ところが、公の機関としてすら子どもの教育を受ける権利を放棄している捉えてもいい上記の記事。前回記事に書いた子ども自身が感じている“教育の欠落”を、家庭の責任として押し付けられる形で上から落とされてきていいのか…。ちょっと考えられない状況になってきています。

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「休み中の宿題出た?」と聞いてみる。

とりあえず去年の復習という大雑把なもの、去年の英語の教科書の文を10回書き写すという作業…。こんな内容の課題を出されている話も珍しくありません。自分で勉強したい子には文科省がこんな学習インターネットページを紹介しているよ、なんていうのもあちこちで見ます。とにかく“丸投げ”と言ってもいいでしょう。なんでもないときには気にならなかったかもしれないことも、先の見えない今日の状況では所詮他人事なんだろうと横目で思ってしまいます。

前回の記事でも書きましたが、医学疫学的視点、経済的な視点同様、教育も危機的状況だということが浮き彫りになっていると強く思います。“教育を止めない”ために自分ができることは、現状ではコーラルを続けることしかないのですが、そのためにも自身の健康維持を含めて先を見据えた緊張感を保っていきたいと思っています。

放課後教室の対応

普段の生活はいつ戻るのだろう…と先行きが全く見通せない状態になってきました。沖縄でも新型コロナの感染者が連日伝えられ、ぼくが日中働いている飲食店では目に見えてお客さんが減りました。そして、予想されてはいたけれど、沖縄県内の学校も新学年を迎えて早々に軒並み休校になっています。

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学校としても新年度開始早々の休校なので混乱しているようで、教科書とプリントをもらったという学校から、教科書もまだもらっていないという学校まで対応にばらつきが。

「一応、去年の復習のプリントみたいだけど」
「新しい内容が入っているけど、自分でできるのかな?」
「自分でホームページで確認しろって言われた」

学校の混乱は、そのまま子どもの混乱にもつながっているよう。

「休みになって、どうしてるの?」と同僚のお母さんたちに聞いてみても、
「家には子どもだけになっちゃうし、結局テレビかゲームしかやることなくなっちゃうよね」と、ある程度予想された過ごし方になっているみたいです。まぁ大人でも急に一日家にいるようになって、外でするように仕事をしろと言われてもなかなか難しいかなと怠け癖のある自分としては思ってしまいます。

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コーラルの放課後教室は、

・授業はスタッフと子どもの完全マンツーマン
・公共交通機関を使って通ってくる子どもがいない
・会員数が限られている

という点から、スケジュール通りに行っています。

念のため、アルコール消毒液の設置や換気の徹底、席を離すなどの対応を取っています(いずれも感染者がいない前提では必要のないことですが、意識の問題として)。また、欠席をお願いする項目をいくつか保護者の方々に通知しました。今後の動きによってはコーラルへ通ってくることが難しくなる可能性も想定できますが、今のうちからその場合に備えておきたいと思っています。

新学年、上級学校に進む子にとって、新しい学習内容は不安でもあり、また楽しみでもあります。「難しくなるんだよね?」という言葉には決してマイナスの感情だけが存在しているわけではないことは、目の前に子どもから肌で感じるものです。せっせと決まった時間にコーラルにやってきては勉強して帰るルーティーンをどんな形でもいいから続けていきたいと思っています。

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「ホワイトボード遠いけど、読める?字、小さくない?」
「?全然大丈夫だよ」

同じ場所からメガネを取ってみると全く読めない自分の字…。年齢を感じます…。

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この休校処置がいつまで続くのかというと、政府の対応を見ていると想像以上に長引くのではないだろうかと思わざるをえなく、沖縄県内の多くの学校で設定された2週間の休校を「春休みが長くなったね」という意識で過ごすことはできないと考えています。

今の日本では、新型コロナウィルスに対して医学的疫学的な視点、経済的な視点が特にフォーカスされ、その危機的状況が常に大きな関心を集めています。ただ、有事と呼べる今日において、これらの視点と同列に教育も捉えられるべきであり、この教育も危機的状況にあるとぼくは思っています。先日「学校が始まってもバーッと急いで授業進められて、将来“ゆとり世代”みたいに言われちゃうんだよ」と子どもが言っていた時にはズシンとくるものがありました。“ゆとり教育”の是非はここでは別としますが、子どもに“教育の欠落”の予感をさせている現状の事の重大性に気付かなければいけないと思っています。

外国では自宅でも学習を続けられるようにとタブレット端末を配布してインターネットを利用して授業をしている国などもあるようですが、そこには「どんなことがあっても子どもの教育は停めてはいけない」という大人の側の確固たる意志と態度を感じ取ることができます。日本でもパソコンとルーターを貸し出そうという声もあるようですが、通信料は家庭持ち、理由は「これを使ってゲームをするかもしれないから」みたいなのをどこかで見かけて雲泥の差を感じてしまいました。

「私はコーラルで予習しているからまだわかるけど、塾に行っていない子は大丈夫なのかな?」というのは子どもの“生”の意見です。2週間の休校が延長されたときに更なるプリントの配布…。そんなことにならないことを願うばかりです。