最近のこと

中学入学に向けて少しずつ数学も始めています。まずは正負の数からだけど、これは最初が肝心。財産と借金など、反対のベクトルを持つものを一つの数直線に乗せるとはどういうことなのかを、ゆっくり時間をかけて。

定番のトランプゲームも。赤札はマイナス、黒札はプラスで手元のカードの数の合計が一番大きいと勝ちというシンプルなもの。自分の点数は計算しなければいけないけれど、小学生でも「同じ数字でプラスマイナスゼロ…」とコツを掴んで計算しています。
※この“符号の違う数字を合わせてプラスマイナスゼロ”というのは、正負の数の減法の説明に重要な考え方になってきます。

20190225_181310

全部で五回戦。総得点ももちろん計算!

20190225_182735

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

沖縄に引っ越してきてもうすぐ丸6年。毎日バタバタと過ごすようになって、5年以上関東には戻っていない。そんなで、旧友に会うのは沖縄に旅行に来た時に立ち寄ってもらうような機会しかない。

何年ぶりかにかかってきた高校の同級生から電話に出ると、
「今日、お店やってるの?」
おー、久しぶり!というはずの時間の流れを全く感じさせない言葉が電話の向こうから聞こえて、少し混乱。ちょうど4月1日だったこともあって、その混乱はさらに大きなものに。

急いで買い出しからお店に戻ると、彼は待っていてくれた。どうやら出張で沖縄に来たらしく、せっかくだからとうちの店に寄ってくれたようだ。

「ギター、まだやってるの?」
「もうやってないよ」
「あんなに上手かったのに?」
「えぇー、そうかなぁ」
と、近況報告と思い出話。

この後に移動があるということで、つかの間の二人同窓会の後「次はちゃんと連絡するよ。飲もうよ」と、帰っていった。

そして、翌年の同じころ。
「今日、お店やってるの?」と、突然の電話があったのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

高校時代はアホなことしたなぁという人は多いけれど、ぼくにとっての大きな思い出はみんなで一晩ママチャリをこいで熱海まで行き、フェリーで渡った伊豆大島の浜辺で夜を明かしたこと。大島に何かをしに行ったというわけでもなくただただペダルをこぐことが目的で、あてのなさに溢れていたとしか言えないのだけど、こうやって書いているだけでノスタルジックな気持ちになる。

そういえば、思い出話として20年以上前に書き綴ったものを以前こちらにも転載していました→夏の思い出

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

斜め前の席に座っていた彼は夜中にギターを練習していたらしく、授業中寝ているか、鼻をほじっているか、ほじりすぎて鼻血を出しているかのどれかのことが多かった。

けど、日々の練習の成果は一目瞭然で、ヘビメタが大流行だった当時のぼくたちの間でギターヒーローだったポールギルバートやヌーノベッテンコート、イングウェイという超絶テクニシャンの曲を次々とコピーしていて、みんなで楽器屋へ行った時にはとりあえず彼に「あれ、弾いて」と試奏してもらったりしていた。

そんな彼がギターで落ち込んだ話をしてくれたことが一度だけあった。
「母ちゃんの前で弾いたんだよ。すごい難しい曲を、どうだ!って。そしたら、なんで鼻の穴広げるの?とか言うわけ」
友だちの間では速弾きで無敵だった彼も、お母さんには敵わないのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

一緒に自転車で旅行をして、クラスのギターヒーローだった同級生が他界したという知らせが入った。なかなかみんなと直接会うことはできなくなったけど、遠くにいるけど心のどこかには存在しているという関係なので、全く実感がない。

ただ、もう「お店やってる?」の電話がないのかと思う時、急に胸がどっしりと重くなる。やっぱりつらい。

同窓会をしてみんなで思い出話をしようという連絡が回って来たけど、一足早く哀悼の意を込めて。

時事から

またか…と思ってしまう事件が起きてしまった。千葉の虐待のことだ。

傷痣の確認もされていて、子ども本人からの明確なSOSもあり、一時保護もされていたのに…と思うけれど、後から出てくる情報からは関係機関の行った対応に問題があったことが次々と見えてくる。

教育委員会の対応が最悪だったのはそうだけど、そもそもこの様なケースの時に絶対にしてはいけないことは何なのかという認識がなかったのではないだろうか。認識ではなくて、“知識”といってもいい。子どもを守ろうとしていなかった…などの批判も分かるけど、関係機関従事者の精神論で終わらせてしまってはいけない話である。

今回の様に子ども本人からの訴えということに限らず、虐待通告者の秘密は絶対に守るというのが相談機関の鉄則ではあるけれど、教育委員会の対処だったとはいえ、これが崩れたことの悪影響が今後生まれないことを願うばかりだ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

恫喝をしてくる保護者と相対することは児相の職員ならばある程度慣れているとは思う(電話相談の担当だったぼくですら何度恫喝を受けたかわからない)。なので、一歩踏み込み切れなかった要因は、他にもあるのだと思う。

今までもこのブログで何度か触れてきたけど、たとえどんな親であっても子どもは一緒にいたいと思うことがほとんどで、それを逆手に取るようなことをする親がいる。親は「子どもは一緒にいたいと言っている」と時には周囲の同情を買いながら児相に訴えてきたりする。そして、DV加害者などもそうだけど、理屈を重ねるように自己正当化することに長けていることが多い(そもそも、自分は悪いことをしていなく、自分にこういうことをさせる相手が悪いと心の底から思っていることもある)。こうなると相談を受ける側は、当事者の言葉以外のものを積み重ねて慎重に判断せざるを得ない。だから、関係機関の密な情報共有と協力体制が不可欠になってくる。

日々続けられる今回の事件の報道からは、父親があの手この手で関係機関を遠ざけようとしていた話も出てきているけど、そういう状況下においてもこの親子は分離させなければならないと判断し対処することができる唯一の機関が児相なので、その責任は重たい。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

(弁護士が子どもに向けて「困ったことがあったら弁護士に相談するように」とメッセージを送っていることが話題になっているけれど、弁護士もいろいろな専門性を持った人がいるので、一括りに弁護士への相談を勧めるのはそれこそ難しい気がしてしまうのだが…)

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

今回の件ということではなく(というか、このブログを書いている時点では関係機関の対応は表に出てきて糾弾されているけれど、家庭内での詳細はまだよくわかっていない)、母親がたとえ父親の虐待行為に加担していなかったとしても、子どもが虐待されている状態を放置したネグレクトに当たるとされるケースがある。家庭において児童虐待だけが存在しているとは考えにくくDVも併存しているかもしれないことは容易に想像できるため、夫婦関係においては被害者である母親にそのような判断を下すのはあまりに酷だとは思うのだけど、児童福祉法やそれに基づく児相はあくまで子どもの立場にあり、その上での判断ということになる。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

児童虐待やDVというのは、報道されるような事件が起きた時にセンセーショナルに目に触れらるようになるけれど、いつの間にか他のニュースに代わられて忘れられていってしまう。児相新設についてのブログも書いたばかりだけど、悲しい出来事の一つ一つは残念ながら社会の基盤の一つとして定着されないで過ぎ去られてしまっている気がする。

大人が負けてしまうような恐怖を与える恫喝を、あの児童も受けていたことは想像に難くない。また助けられる機会を二度三度と逃しているということは、その度に虐待がエスカレートした可能性もあり、子どもの恐怖・絶望感も増幅していったのだろうと思うとやりきれない。同じことが起きないようにするためには、同じようなことをする親がいなくなるのが一番いいのだけれど、残念ながらこれはあまりに現実味がない。

なので、これから行われるだろう関係機関の徹底検証の結果を児童福祉の視点として社会のどこまで浸透させていくことができるのかが、これからの子どもを守ることに関わってくるのだと思う。そして、上記のことに現実味を持たせる第一歩になるとも思う。

雑感~映画『砂の器』とあれこれ

数年ぶりに映画『砂の器』を観た。原作者の松本清張がこの映画を絶賛したという話があるけど、ラストシーン(と区切るには長すぎるけど…)は日本の映画史に残る名シーンだと言っていいと思う。淡々とした文章で進んでいく原作小説と、音楽家の犯人が奏でる壮大な音楽をバックに日本の原風景をポツポツと親子が足を進める姿が映し出される映画はあまりに対照的で、小説を読んでストーリーを把握した上で映画版を観ると、その展開の激しさのあまり驚きも伴いながら引き込まれていって涙が止まらなくなってしまう。

小説『砂の器』は何度もリメイクされていて、ぼくが最初に観たのは田中邦衛が主演のドラマバージョンだった。その後、小説を読んだのだけど、大きな設定の違いは、犯人秀夫の父・本浦千代吉が村を追われるようになった理由で、確かドラマでは殺人だか傷害だかの事件を起こしたということだったはずだったけど、原作ではハンセン病が理由となっている。

ドラマ版は現代にそぐうように設定を変えたのかもしれないけれど、映画『砂の器』を観ると、『砂の器』がただの推理小説ではない理由はハンセン病という設定にあると思えてくる。登場人物の心の動きと行動は、ハンセン病とそれに対する差別偏見以外に太く繋がるものがないくらいに強く結びついているからだ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

このブログにも書いたことがあるけれど、昔住んでいた近くに多摩全生園という施設があった。当時は知りたいことをすぐにスマホで調べるなんていうことはできなかったので、前を通るたびに「ここはなんなんだろう?」ということで終わってしまっていたのだけど、何の施設なのか知ってからはいつか行かなければと思い、沖縄に来る前にようやく行くことができた。

ひっそりとした館内の展示や資料から見えてくる、連綿と続く偏見と差別、それに圧し潰されるように(いや、圧し潰されながら)生活していた人。そこには人権という言葉はなかった。ずっしりと重いものを抱えて帰った。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

最近目の記事→宮崎駿監督が流した涙の意味 「もののけ姫」で描いた”ある病”との出会い

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

なかったことにはしてはいけないし、なかったことにしていることこそが現在も差別の連鎖を生んでいるともいえる。ハンセン病の患者の団体が宿泊拒否をされたということもそんなに昔の話ではない。こうなると、なかったことにするもなにも、ハンセン病に関わるいろいろなことは過去のものというのは絵空事に過ぎないという事実だけがある。

そして、『砂の器』において設定を変えることは都合の悪いことに蓋をするということに他ならないと思う。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

少し前に話題になった映画『この世界の片隅に』でも似たような感想を持っている。

原作漫画では、終戦とともに主人公がたくさんのものを失った自分たちは実は加害者でもあったということに気付くのが重要な場面で、そこからは辛いときも工夫を重ねて必死に耐えてきた戦時中の庶民の暮らしも、実は戦争を後押しする社会を構成する要因になっていたというメッセージが読み取れる。その上でラストの戦争孤児(弱者であり被害者)を引き取る場面に繋がっていくのだけど、映画ではこの主人公が自分も加害者だった気付く場面がバッサリとカットされている。

これでは、戦時中の苦しい時でも健気に生活した人達の物語で終わってしまっていると思う。そういう物語もたくさんあるので、それでいいと言えばそうなのかもしれないけれど、それなら加害者という視点を持ち合わせた原作『この世界の片隅に』を用いなくても良かったのでは、と思う。

現在のこの国では加害者だったという点を改めて見つめ直そうという考えとその逆をいく考えがあって、どうも後者の考えの人たちの声の方が大きいようだ。その類の発言や表現が一種の“的”にされてしまったことには枚挙に暇がない。そんな状況を踏まえたうえで上記のことを見返すと、原作者の本意はどうだったのかな…と思ってしまう。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

ぼくがフリースクールに関わるきっかけになったジャパンフレネでは、この2月に長崎に行くようだ。そして、長崎では長谷川集平さんと交流するらしい。ぼくにとっての小さい頃から馴染みがある絵本の多くは長谷川集平さんの作品で、大人になってから改めて買い揃えて続けているくらいファンなので、うらやましい限り。

ジャパンフレネでは長谷川集平さんの絵本を読み聞かせ(一方的に読んで聞かせるのではなく、読み手と聞き手が絵本を媒体にコミュニケーションするアニマシオンという手法)しているだけど、子どもの感想の報告に対する返信がブログに紹介されていた。

→ジャパンフレネ/おーい仲間たち/長谷川集平さんからのお便り-質問は直接長崎で・・・

物を創る人の思いが伝わってくる。
やっぱり素敵な人だなぁと。そして、上記のようなことも頭をかすめたのでした。

それにしても、子どもたちに対してこれだけ真摯に向き合う大人と出会うことは、みんなにとって一生の財産だろうなぁ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

映画『砂の器』の秀夫の音楽は、創る人の思いそのもので、それに気付いた「音楽の中でしか父親に会えない」という今西刑事の言葉がずっしりくるのでした。