年の瀬

今年の沖縄の冬は暖かすぎて、ちょっと前なんて半袖で過ごしていました。なので、もうすぐ今年も終わっていくなんていうのが実感できなかったり。

けど、クリスマスの話題をあちこちで耳にすると、やっぱり年末なんだなぁと。
放課後教室の子は「クリスマスなのになんで学校があるの!」なんてブーブー言っていたけど、いざ終わってしまえば冬休みの遊びの話題でいっぱい。

そんな感じが一番いい。

年内最終日は、お勉強も一段落したので、新年に向けて年賀状作りをしました。

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帰りがけには大掃除もしてくれました!

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児童相談所の新設で揉めているニュースをいろんなところで目にした。地域に向けた説明会での建設反対意見がクローズアップされているけれど、以前も保育園設置に反対するニュースがあり、「子どもの声は騒音か」なんていうことが話題になっていたので、さもありなんといった感じではある。

今回のニュースでは、社会層を強く意識させるような言葉が注目を集めていて、本来の児童相談所新設云々というのはその陰に隠れてしまっているかのようでもある。メディア上では児童相談所の情報があまりに希薄で、間違ったイメージあるいは無知から発せられている言葉が多いけれど、世間の興味は児童相談所自体ではないからかそれをそのまま垂れ流しているような状況が続いている。こうなると、そもそも児童相談所がどの様な機能を持っている場所なのかを社会として共有できていないことが一番大きな問題だと思えてくる。

児童相談所は18歳以下の子どものあらゆる相談を受けるところ。この“あらゆる”の中の一つが虐待に関することであって、他にも発達だったり学校生活のことだったり、大人の立場からすると子育てをしていて「困ったな…」ということを持ち込める福祉の場所になっている。(大本は児童福祉の場所である)

ちなみに話題になっている港区は北新宿にある児童相談センターが担当している地域なので、港区の人は基本的には必要な際にわざわざ新宿まで相談に行かなければならなくなる(もしくは新宿から児相職員が来るまで待つことになる)。なので、拠点が増えることは単純に利用しやすくなることに繋がる。

また、港区の予定では子ども家庭支援センターが同じビルに入ることになっているけど、この子ども家庭支援センターは多くの部分で児童相談所と同じ役割を担う。児童相談所の方が持っている権限が多いなどの点があるけど、児童相談所は都道府県が設置するのに対して子ども家庭支援センターは市区町村が設置するというのがそもそもの大きな違いで、子ども家庭支援センターの方がより地域に根差したものとなる。
(この“子ども家庭支援センター”という名前は東京都で使われているもので、地域によって異なる。例えば那覇市では家庭児童相談室がそれに当たるものだと思う。)

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児相の話をしていると声高に児相を糾弾し、中には解体しろという人達の存在に直面するけど、今新設に反対している人と根っこは同じだなと思うことが多々ある。もちろん、児童相談所には改善していかなければならない点は多々あるのは事実だけど、それは中にいる人達も強く感じている。少なくとも児相で働いていた時の僕はいろんな場面で感じたし、その課題を一緒に働いている人達と共有することも多かった。ただ、そこには子どもを対象とした福祉が社会には必要だいう動かざる大前提があり、その大前提の上に業務のレベルを少しでも上げなければという方向性があったと思う。

だから、質を理由に児相を不必要と言ってしまうのは、内容は違えど画面に映っている大声で新設反対をしている人と根底では同じだと感じてしまう。

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今回は児童相談所が話題になったけれど、お年寄りに対する福祉、子どもに対する福祉…その他諸々は同等のものだという意識のもと、老若男女関わらず福祉が行き渡るようにする、福祉事業を利用しやすくするということは社会の成熟度の根本に関わること。ゆえに、自分は利用することもないから関係ないという個人の視点でその必要性を語ることはできない。今この時に必要ないと思っている人でも、現時点でその社会の構成員の一員には違いないからである。

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今年は、本と音楽に触れる時間がほとんどなかった。

沖縄に来る前は仕事帰りに本屋やCD屋に寄っていたけれど、今は車通勤になってその様なタイミングがなくなった。まぁ電車通勤に使っていたエネルギーって何だったんだろうと疑問に感じることの方が大きいのだけど、車からいつも同じ音楽が流れているのが寂しいのも事実。

代わりというわけではないけれど、映画を結構観るようになった。(テレビを見なくなったということもある)
『ラ・ラ・ランド』が良かったというのは前に書いたけど、今年一番印象に残ったのはヤン・イクチュンの『息もできない』かな。もう一回観ようと思ったけど、切なすぎて観られなかった。『スタンドバイミー』にあったような、生い立ちがもたらす生き辛さをヒリヒリ感じた映画だった。

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個人的なこと。

春にものすごく辛い出来事があって、自分で分かっていてもどうにもできないくらい不安定な時期があった。そんな頃に火傷をしたのだけど、それから意識が治療に移り、同時に少しずつ前を向こうと気持ちを持っていけた。その間、周りの人にはたくさんの迷惑と心配をかけてしまい、自分としては何とかそれに報いなければと思いながら過ごしていた。

夏には父親という立場になった。夜明け前に目が覚めて、子どもの寝顔を確認するのが毎日の始まりに。そして、何だか今まで経験したことのない感情に日々埋もれている。

ただ、喜怒哀楽は相殺されるものではなくて、今年起きた大きな出来事としてそれぞれ自分の中に存在している。本当に、これからも自分の中で抱えていくべき大きなことがあった一年だった。

なかなかブログを更新できなかった理由にこういうことがあったからとも言えるのだけど、来年は徐々にこちらに戻ってこなければと思っています。