教え子が来沖。一緒にあちこち観光する時間はなかったのだけど、いつもお世話になっている方と沖縄で生活している教え子も合流し、キッチンで同窓会のような食事会。のんびり楽しい時間を過ごしました。
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不登校について文章を書くことがめっきりなくなった。今まで一緒に過ごしてきた子どもは、基本的に学校に通わずにこちらに通ってきていたので、みんな“不登校”という言葉に当てはまる。世間一般には。
けど、一緒に勉強し、あちこちへ旅行をし、料理をして食べ、映画を見て、笑ったり泣いたりしていると、学校に行っているとか行っていないとかいう問題は、いつのまにかどこかにいってしまっていて。あぁ学校に行ってないんだったな…と実感するのは在籍校と連絡をするときくらいだった。
だから、今でも巷で目にする「不登校だっていいじゃないか!」みたいに啓蒙する話からは、自然と二歩三歩進んだ集団になっていたんだろうなぁと思ったり。不登校云々はもちろん、例えば法律が変わったとか、学習指導要領がどうとか、入試の制度がどうとかでいちいち右往左往せず、教育や学力、子どもの成長について本質的に向かい合い、また、哲学として考え、具体的に行動することが、みんなの基本になっていたから。もちろん、子どもも含めて。
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今年の7月にフリースクールの皆さんと過ごした後の保護者の方との食事の席に、沖縄で働いている教え子も同席していたのだけど、
「こうやって卒業生が社会に出ている姿を見て安心した」というようなことをおっしゃっていた。
普段と同じように横にいる教え子の姿も、“不登校一年生”とその家族の方々には訴えかけるものがあるんだった…とふと思い、自分達にとって当たり前のことも改めて発信する意味はあるのかなぁと思ったりもしたのでした。
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キッチンでの食事会の後は、栄町のそば屋に移動して泡盛片手にのんびりフリースクールの思い出話。あんなことあったね、こんなことあったねと話しているのは15年くらい前一緒に過ごしたフリースクール時代のこと。エピソードが出てきては大笑いが絶えないひと時。楽しかったなぁ。
ただ、そんな思い出話も、世間から見れば“不登校時代”の話。もちろん、本人たちも渦中にあるときには吹っ切れきれないものもあったろうことは当時も感じたこと。けど、今この時には、楽しかったという共通認識の下、同じ記憶を同じ様にアハハと笑いあっていて。あぁ自分も同じ時間を過ごせてよかったなぁと改めて。
いかなる状況に置かれていても素敵な時間を過ごしたのならば、長い時間を経ても大切な記憶になるものなんだな、と。その上で、次へのエネルギーとか底力っていうのは、そういうところから生まれるのかもと、目の前にいる若者たちを見ながら、そして何より自分を振り返ってそう思ったのでした。