中学生になって初めての定期テストも無事に終了。「小学校のテストと違うの?」というところからのスタートだったけれど、テスト勉強もしっかりやっていました。かく言うコーラルとしても地域の公立中学校以外の定期テストが初めてだったので、どんな感じなのかな??というのは同じでした。
結果、数学は目安にしていた90点以上は取れていたので、「おぉ!頑張ったね!」と一安心。
他の教科もしっかり回答できていたようで良かった!
一緒に復習をしていると、
「次はもうちょっと取りたいなぁ」
良い流れができてきそうだねー。
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先日は、お世話になっている方のお宅にお呼ばれ。素敵な食事を用意していただいて、いろいろお話。
この方は語学の研究者なのだけど、英語教育のことなどで意見交換。今となっては当たり前となった小学校での英語の授業。これは果たして効果があるのかなど、ちょうど小学生から中学生になったばかりの子がいるので疑問に思っていたことをお聞きしたり。
“日本の英語教育は話せるようにならない”という認識は昔からある。小さい頃から英語に耳を慣らせて発音を…なんていうのもあちこちで目にする。ただ、「英語を話さなきゃいけない環境に行ったらあっという間に身につくようなことを、日本語生活の中で非効率的に行っている」というのがこの方に話してもらった内容だった。そもそも実生活に必要性のないことを、“身につける”という名目の下に行うことに無理があるのかも。では、実生活に必要になったらどうするんだと言ったら、その時には文法が一番心強いのかもしれない。
個人的に気になっているのは、“英語を話す”=“発音の良さ”という風に捉えられることが多いこと。けど、外国人に片言の日本語で話しかけられたときに、発音をどうこうなんて気にするだろうか。それよりも、何を話そうとしているのか一生懸命耳を傾けるのではないだろうか。逆の立場になったとき、もしも、ネイティブに近い発音で話すべきという意識が、そもそも話すことを躊躇させてしまっているようなことがあったなら本末転倒だと思う。
ちょっと前に話題になったのが、中学生がサッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドに、ポルトガル語でインタビューした時のこと。たどたどしいポルトガル語ながらも一生懸命クリスティアーノ・ロナウドにインタビューしているのを、会場にいた日本人の大人たちがせせら笑った。それを見たクリスティアーノ・ロナウドは、「なんで皆笑うんだ。彼のポルトガル語は素晴らしいじゃないか」と一括したのだった。
ちなみに、先述の方は、「海外において、あれはヘイトと捉えられてもおかしくない」とおっしゃっていた。
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沖縄は梅雨が明けました。暑いのは辛いけれど、それがよくて沖縄に越してきたということもあるので、これから半年くらい楽しみです。
さっそく日に焼けてしまいました。