分数のかけ算が終わってから、ここ数回は分数ってどういう数だったのか…などの確認してきました。計算演習を重ねると、どうしても計算方法だけが頭に残ってしまっていて、手元の数字を操作するということに意識がいってしまいがちに。改めて分数の意味を考えながら命題に向かうということには、再度準備が必要でした。
そして、いよいよ今日から分数のわり算です。
問題はいつもシンプルに。
“3dlのペンキを〇平方メートルの壁にまんべんなく塗ります。1平方メートルあたりに使うペンキの量は何dlですか”
最初は、2平方メートルの壁。
「簡単だよ!」とスラスラ進めているけれど、ここで立式をしながらかけ算の意味をしっかりと確認。
そして、壁の広さを分数に。
「うーん…」
最初の問題のようにうまくいかないのはどうして?
「分数の部分が邪魔なんだよね…」
→最初の問題が簡単に解けたのはどうして?
…と、図を見比べ確認しながら考えます。どういう工夫をしたらいいかな??
「あ!こうだ!」
「おー!すごい!」
ここまできたら、もうひと踏ん張り。わり算って何を求める計算なのかを、ホワイトボードの図に書き込みながら一緒に確認。見事ご名答!
。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。
先日、発達障害の特集番組があった(→リンク)。この番組では、感覚過敏を映像に訴える研究が紹介されていて、今まで本を読んで知識として頭の中にあったことが、圧倒的に生々しい情報に変わった。途中、発達障害の話になると出てきがちなギフテッドを持ち出しての社会参加の可能性に触れるところもあったけれど、アナウンサーの人がやんわりと「そういう話じゃない」とコメントしていて好印象だった。1時間くらいという限られた時間の中でも濃い内容だったので、再放送やアーカイブで見ることができたら、ぜひとも見直したい。
発達障害自体については、このブログでも何度か話題にした(→「“発達障害”のこと」や、「タブレット端末は教室に必要か?」など)ことがあるので、改めて書くことはやめておこうと思う。
一つだけ。最近気になるのは、発達障害は戦後日本の家庭環境が生み出したものであり(例えば、子どもにDVDを見せることやスマホを使わせることが発達障害の原因だといったように)、日本古来の伝統的家庭教育を行えば改善されるといったような極めて感覚的で曖昧且つ非科学的な意見が珍しくなくなっていること。その中心的存在である“親学”と呼ばれているものが、どのような見解を主張しているのか、そして、それを推進している人たちはどういう人なのかは確認しておく必要があると思う。
もちろん、こういう意見と対照的に、当事者が困っていることに耳を傾け、科学的知見を積み重ねている人たちもいる。情報の選択には慎重に(安易にならず、真剣に)ならなければならないと思うし、誤った情報が当事者たちに与える影響も改めて確認しておきたい。