放課後教室のひとコマ~割り算、割り算…

割り算、進めています。

ドリルのような文章題を解いていると、とにかく文章題に出てくる大きい数字を小さい数字で割るという式の立て方が癖になってきてしまって。そうなると、

「6÷36 って計算、ある?」
「ないよ」
という様に。

「例えば、6リットルのジュースを36人で分けるってできない?」
「あ、できる。…ミリリットル??」
「おっ!」

図を描きながら単位を変えるのとは違う考えを簡単に。小数や分数はまだやっていない(余りのある割り算すら)ので、計算の方法は後回しだけど、何となく身についていってしまう“誤解”は、構造を確認しながら解消。

そんなで、導入段階の今は作問を中心に。
“4×3=12” の図を書いてから、それぞれの数字が答えとなるような文章題を作文しています。

「3題も作るの??」と言っていたけど、もうひとパターンも合わせて、6題完成!

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「コップが…」とか、「お皿が…、いや、やっぱりロボット」とか言いながら作っています。

計算を進めながらも、作問はまだまだしばらく続きます。

放課後教室のひとコマ

九州での地震をはさんで久しぶりの放課後教室は、まずは地震の話。話といっても、大人はただただ聴く。話が一段落したところで、授業の始まりです。

●割り算の始まり

準備中には、「何やるの??」

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計算は今までも何となくで解けてきたので、今一度、割り算ってどういう計算なのか確認。

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これから、文章題を作る作問もやっていきます。

●問題演習も…

問題演習も重ねています。なかなか複雑だったりするけど、しっかりと。

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“3.14” がやたらと出てくるのも小学生の問題。分配法則で計算は簡単に…と聞いたことはあるけど、「何で??」とのことで…

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勉強量も増えてきて大変だけど、ひと踏ん張り!

●カルタも完成!

一ヶ月くらいかけて、沖縄カルタも完成!

「あ アガー、けがをしたら いたいよー」
「ゆ ゆいれーる、走るぞ!走るぞ!かっこいい」

もちろん、絵札も綺麗に出来上がり!

実際に始めると、
「あー!それ、私が描いたやつ!」
絵札が取れても取れなくても、大喜びです!

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熊本の地震

目を疑いました。
被災された方々に、お見舞い申し上げます。
余震も続いているようです。天気も心配です。

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テレビから流れてくる緊急地震速報に、5年前の緊張感を呼び起こされました。あの時の様に、しばらく全国的に注意が必要なのかもしれません。

被災地を思いつつ、身の回りの防災意識を高め、行動しようとしていることは早めに進めようと思います。

雑感~マニュアルのこと

ラーメン二郎というラーメン屋さんがある。大盛りで油も化学調味料もたっぷりのここのラーメンは、店主自らが「昨日も食べてたでしょ?もうダメだよ、ドクターストップだよ!」というくらいのシロモノで、ぼくも習慣の様に食べていた一時は明らかに太っていって、成人病へのエスカレーターを全速力で駆け登っているような感じだった。

今となっては、そこまで頻繁に食べる環境になくなったので、体重の増加は幾分か和らいだけれど、食べる量が増えたことだけは間違いない。

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実際に中に入ってみて改めて実感したけれど、チェーンの飲食店というのはマニュアル天国だ。あっちの店舗とこっちの店舗で味が違ったらサービスに差が出来てしまうというのはわからないでもないけれど、誰にでも(アルバイトにでも)同じ様な料理を提供できるようにと作られたマニュアルというのは、やっぱりそれなりの味を生み出していく。

作る方は何も考えず、とにかくひたすらマニュアル通りに調理を続けていくことだけが求められる。こうしたらもっと美味しくなる…とかは、マニュアルから逸脱するということでご法度。代わりに求められる技術というのは、素早くご飯○○gを盛る、というようなこと。

入ってくるもの、そして作る人を通して出ていくものが常に同じなので、技術やコストの面から見てロボットの代わりと言っても言い過ぎではないかもしれない。

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ラーメン二郎にハマってしまっていた頃は、あっちの店舗とこっちの店舗にも行ってみようと車を走らせたこともあった。このお店はのれん分けされた先で、店主が独自に味を改良していくらしく、近所にあった店舗の店長はテレビに出て「○○県産のニンニクに変えてみた。お客さんは分からないかもしれないけれど」みたいなことを言っていた。

ここまで細かくなくても、味はもちろんのこと、量ですら同じ店名でも店舗によってそれぞれなので、いつも食べている店舗のつもりで注文したら想像以上の量と格闘する羽目になり、食後しばらく動けなくなる…ということも珍しくなかった。

こんな風に、同じ店名なのに、店舗それぞれに個性があるというのが大前提の不思議なお店だった。

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何度か書いているけれど、相談職についていたことがある。ぼくは直接関わらなかったけれど、自分達のマニュアルを作るというのはすごく大変そうだった。そこの場合は、心理学的見地に加えて、越権になるようなことは避けるというようなことや、平等な対応をするために必要なこと…などの視点があった。なので、出来上がったものは、マニュアルというより“決まり”に近かったのかもしれないけれど。

これに対して、いろんな研修に行ったり、本を読んだりしていると、“まさにマニュアル”というものに出会うことがある。一言でいえば、「~~と相談されたら、○○と答えると良い」といったもの。こういう“受け答え集”が、次第に「△△先生が○○と答えるといいって言っていた」というように広まることもあって、そうなると相談を受ける側は考えるのではなくて“受け答え集”を思い出すことが意識のベースになっていき、しまいには自分の答えたことについて責任を持たないようになってくるのでは?と思うことすらあった。

相談者一人ひとりの状況は違うはずなのに、それなりに収まる“受け答え例”というのは、かなり大雑把な公約数でしかないので、毒にも薬にもならない…という印象だったり。

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ちょっと脱線。

教育実習は、母校の高校に行った。

「自分のやりたい授業の計画、簡単でいいから持って来て」と指導教諭に言われたので、3回か4回続きの授業なのにA4ぺラ一枚だけ提出してOKだった。授業の内容は中世ヨーロッパが中心にして、“ピレンヌのテーゼ”という考え方と教科書の記述との違いを考えるという導入から始めた。

今となっては自分としてもあやふやだったなぁと思う授業だったけれど、自分の高校時代を思い出すような生意気な生徒とあれやこれやとやり取りをしながら賑やかな授業にはなったと思う。授業自体が賑やかで楽しかったのは、自分が大学で受けていたピレンヌのテーゼの講義が、ぼく自身衝撃的だったということも理由にあると思う。その教授はイスに座ったら一歩も動かずにひたすら話し続けるという人だったけれど、メモを取っているこっちが興奮して来るような内容だったから。

こんな風に、かなり自由にやらせてもらった教育実習だっけど、最後には「良いまとめ方で、良い授業だったね」と指導教諭に声をかけてもらい、生徒の感想メモもちょっとウルウルとしてしまうようなものだった。その後はいろいろと授業をしてきたけれど、この教育実習での授業は今でも印象深い時間になった。

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ちなみに、「授業案、大変だったらアンチョコもあるんだよ」という指導教諭もいたらしい。それ通りに進めれば、授業も板書も全てがとりあえず形になるというもので、その教諭自身も自嘲気味に言っていたようだ。

この“アンチョコ”というのは、マニュアルのことだろうし、実際それに沿って授業をしているということも珍しくないと思う。いや、むしろ、このマニュアルを求めている人の方が多いと感じることすらある。で、やっぱりマニュアルから導かれるものというのは、“それなりの”物になる。

例えば、受験のために数学を教えていて、平均点をクリアさせようとしたら計算問題を間違えないようにする、ということに尽きる。それで、いわゆる偏差値50前後に収まるから。これが、マニュアルの生み出していく“それなりの”物の象徴だと思う。自分で考えているようだけど、思考とは違う類のもの。そして、これは計算問題以外の問題も本質的には変わらない。マニュアルに沿って教えることは、マニュアル通りに考える子どもを生みだしていることになっていく。いや、“考える”という言葉が相応しいのかどうかもわからない。

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マニュアルから脱却してオリジナリティあるものを生み出すには、対象に向けて自分自身からの働きかけ、研究が必要になってくる。ただ、マニュアルから外れることが許されない場所が増えていることも事実で、それに慣れると次第にマニュアルがないと何もできなくなってしまう。まずは、マニュアルを探し、思考を交えることなくその通りに行動し、その結果の責任はマニュアルに求めていくという風に。

こんなしがらみを振り払うためには、個人として生きていく覚悟が必要なのかもしれないとも思う。そんな風に思っていると、なぜだか高校時代のおじいちゃん先生が言っていた、

「いいかい、勉強はこれからだよ。今は勉強のための準備に学校に来ているんだよ。たくさん勉強せいよ」

という言葉が頭をよぎった。

雑感~桜とハイドパーク

桜の季節です。

と言っても、沖縄ではソメイヨシノは咲かないので、テレビを通してお花見の映像を見ています。

電車通勤をしていた頃に、車窓からぼんやり眺めていた桜並木を思い出したりします。

気温の変化以外でこんなにも季節の変化を感じさせるものはなくて、新生活前後で普段よりもくたびれた帰宅ラッシュの車内で「あぁ、今年も咲いたなぁ。花見でも行こうかな…」と緊張感を緩めさせてくていました。

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沖縄に来る以前、近所で一番大きなお花見どころは稲荷山公園というところで、今は自衛隊入間基地の隣にある。この公園にまつわる一番古い記憶は幼稚園の遠足で行った時まで遡り、この遠足の集合写真には、当時の呼び名である“ハイドパークにて”みたいに書いてあったはず。最近では、ここで年に一度行われる自衛隊の航空祭に32万人集まったなどと話題になったりも。(ちなみに、那覇市の人口が32万人くらいか)

今はどうだか知らないけれど、ぼくが遊びに行っていた頃の稲荷山公園には、以前はちょっとした街だったという面影があって、曲がりくねった舗装道路に沿って点在する外国人住宅がそのまま残されていた。小さい頃に肝試しで住宅跡にこっそり忍び込んだりすると、外国の生活感がそのまま残された廃墟になっていて妙な薄暗い異空間が怖かった。

大きくなってから、あぁ元々は米軍基地だったんだな、とあの風景と廃墟の埃臭さを甦らせながら思ったけれど、そんな場所で“ロングプリー事件”というのがあったことは、沖縄に引っ越して来た後に米軍のことを調べていて初めて知った。これは、稲荷山公園と入間基地が“米軍ジョンソン基地”だった時代に、そこを横切るように走っていた西武池袋線に向かって米兵から発砲された弾が、電車に乗っていた近所の音大生を直撃し、そのまま亡くなってしまったという事件だった。

事件にまつわる固有名詞が、育った地域では身近なものばかりで、妙に生々しくて。そして何よりもは、沖縄に越してくるまで、思い出色濃い場所で起きたこの事件を知らなかったことにショックを覚えた。

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ちょっと脱線。。。

沖縄に越してきた当初は、いろいろとドライブに出かけた。最近は、めっぽう出不精になってしまったけれど。。。

那覇から北上しながらドライブすると、延々と続くフェンスに囲まれた広大な米軍基地の存在を改めて実感するのだけど、Yナンバーの車はゲートをスイスイ行き来している。当然米軍基地は空路を通じてそのままアメリカにも繋がっているので、実は米軍構成員が何人日本にいるのか、解らない状況になっているらしい。アメリカから飛行機でやって来て、ゲートをくぐれば基地の外なんだから。単純にパスポートは?なんて思うけど、それも日米地位協定でしっかりとクリアされてしまっているようだ。

フェンスに沿って車を走らせていると、一見米軍関係者はフェンスに囲まれて暮らさせられているように思えるけど、実は彼らは行き来が自由なのでフェンスは生垣に近いかもしれないと思えてくる。いや、むしろ何か事件がある度に「フェンスの向こうに逃げられると…」という声があるように、安全地帯を囲う城壁の様なものですらあるかもしれない。

素知らぬ顔でゲートを越えようものなら大変なことになるのはぼくの方で、そう考えるとぼくこそフェンスと海岸線に囲まれて暮らしているのか。こう感じてしまうと、街中をファミリーで過ごしている米兵を見ても“ある一家族”と捉えるけど、国家というものを介した時に露骨に力関係を強いてくるこのような構造は、やはり単純におかしいと思わざるを得ない。

そして、この構造自体を直視しない限りは、いろんな意味で米兵が身近だということを逆手にとって、対立を助長する煽りが不条理に吹き荒れる日が来るような気もして怖い。米兵絡みの事件が起きる度に、事件自体に対する感情と共にいつもこんな風に思ってしまう。

「なんか、おかしいよね?」という単純な疑問を追いかけ、何がそうさせ、何がそれを許しているのか知る必要がある時代になってきていると思ったりする。

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沖縄に向かうためにアパートを出て、いつも通っていた駅までの道を歩きながら、最後だなぁという気持ちを大きく揺さぶったのは公園の端っこにこじんまりと植えられているけど満開の桜でした。その周りで、親子が花を見上げながら遊んでいたような。そう、ちょうどぼくがハイドパークの記念写真に写っているくらいの年齢の子どもとお母さんが。

二人を横目に、荷物を置いて、花を見上げながら写真を撮ったのでした。

今日となっては、「あぁ、今年も咲いたなぁ」が来年もその次の年も続いて、あの時の様に桜の周りで子どもとお母さんが遊んでいられるといいなぁと。。。

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キッチン2周年

おかげ様で、キッチンが2周年を迎えることができました。いつも気にかけてくださる皆さんの支えあってこその今日です。本当にありがとうございます。

飲食店という形だからこその幅広い出会いもあり、毎日たくさん勉強させていただいています。かなり強引に始めたキッチンですが、身の回りを見渡してみると改めて本当に良かったと思っています。

先日は、簡単にですが2周年のお祝いをさせていただきました。

お花、ありがとうございます!

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お料理は、お刺身に茹で豚、よだれ鶏、栃尾揚げ、タコ飯にトックなどなど…。

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お腹いっぱい食べて頂けていたら嬉しいです!

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そして、放課後教室も本格稼働から一年。楽しそうな声が響くと、あぁ本当に良かったなぁと改めて。みんなが大きくなっていくひと時を近くで見られることが嬉しいです。

また今年度も一歩一歩進んでいく彼らに対して、出来る限りのことをしていきたいと思います。

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引っ越してから、一年ごとに新しいことを進めてきましたが、今年度も一つ目標を立てつつあります。

フリースクールに関わるようになって16年目。子どもが「こういう授業、楽しい!」という時間を経験することによって、個人としても、社会としても未来に繋がるものがあると思って過ごしてきました。フリースクールでは、一日の長い活動時間の中で、授業はもちろんだけど、それだけではなく様々な活動を通して共に育つということも、活動の大きな要素でした。

今度は、焦点を授業に絞り、全ての子どもが参加しやすいということを優先した時間を、定期的に提供できたらと思っています。構想はほとんどできていて、具体的に話が進んでいる部分もあるのですが、いかんせんまとめて文章化する時間がなくて先延ばしになってしまっています。時間を見つけては、みんなで一緒に楽しめそうな授業や教材も整理して、ちょっとウキウキしてます。まとまり次第、こちらでもご紹介させてください!