去年も年度末にはいろいろと予定が続いて、しまいには新年度に入った瞬間に入院してしまうという情けなさだったけど、今年は体調だけは崩さないように…と気をつけて、何とか一段落。先日は、4月にキッチンが2周年を迎えるということで、ささやかながら食事会を開催させていただきました。お時間を割いてご参加いただいた皆さん、どうもありがとうございました。
そんなで、しばらくブログもご無沙汰でした。
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最近、ツイッターやフェイスブックでよく見かける記事です。
ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー
ウルトラマンと言えば、ぼくも幼稚園の頃に毎日見ていて、放送が終わると分厚いウルトラマン百科みたいな本を取り出して、どんな話でどんな怪獣が出てきたのか復習と予習を重ねるということをせっせと続けていたり。
大人になってから、ウルトラマンはただのヒーロー物語ではないということを知り、授業に取り上げた実践を見たりもしたので、レンタルして見直したこともあった。記事の中にも紹介されているけれど、正直今のこの国では放送できないだろう…というくらいにストレートな話もあって、逆から見れば、こういう視点を公に放送出来なくっているという現状を浮き上がらせたりもして。まぁ、当時も簡単に放送できたという訳ではないようだけど。。。
上記の記事には、上原さんが戦後も色濃く残る沖縄差別の中で過ごしてきた話もあり、今までキッチンで聞いてきた話も思い浮かんでしまって、胸に迫るものも。そして、最後には、しまくとぅばを話すキャラクター番組を企画中と紹介してあり、
言葉を奪われた民族はアイデンティティーを失い、従順になりやすい。侵略者の常套手段だ。沖縄の子どもたちが番組を楽しみながら、ウチナーグチの勉強ができればいい。
とおっしゃっている。
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以前紹介したこともある本、『しまくとぅばの課外授業 琉球語の歴史を眺める』(石崎博志 著 ボーダーインク)の中には、「ヒーローにもっと琉球語を」と題した話が載っている。そこでは、日本語の“役割語”という独特の現象を紹介した上で、沖縄県では皆が知っているご当地ヒーロー『琉神マブヤー』を取り上げている。
正義のヒーローであるマブヤーは基本的に標準語、それに対抗する勢力である「悪の軍団」マジムンは琉球語を話す割合が高い。
とあり、
ヒーローが標準語、悪役が琉球語を話す限り、標準語と琉球語に対するイメージは固定化するばかりか、むしろ強化される。
と。さらに、首里や那覇の言葉を使った番組による、宮古島や石垣島の子ども達の地元の言葉への影響も危惧し言及されている。そして最後には、
言語の継承問題には実に複雑で多くのハードルがあると感じる次第である。
と結ばれている。正にその通りで、その複雑さをいかにして紐解きこのハードルを越えるのか…というプロセスは、無視できないところだと思う。
根底にあることは、それぞれの言語に序列をつけてしまっていることで、その背景にはもちろん地域や民族といったものに対する優劣意識や差別意識が存在する。これを乗り越えることが、文化的に生きる…ということであると思う。
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言語の教育ということを考える時には、民族教育…というものと切り離せないものだと思う。というより、民族教育の一環として言語教育を位置付ける必要があるのかもしれないと。
という記事の中でガンジーのことを取り上げたけれど、アイデンティティーを再確認する言説が目立つようになってきている今日、今一度歴史を真摯に振り返り、しっかりと自分達の足元を見つめ直す必要を強く感じたりもします。
そして、大きな変化の渦巻く昨今、沖縄という土地で自分という人間が出来ることは何なのか、見通していくための軸の一つにしていかなければと思っています。