ぼくが育ったのは、団地だった。
小さい頃、団地の間の道を一人で虫かごを持ってフラフラしたりしていて。あっちに座りこっちに座り虫かごの中を覗いていたりしたら、新聞配達のおばさんに「クワガタ好きなの?」と声をかけられた。その何日か後に、家のポストにビニール袋に入ったノコギリクワガタが置いてあって、目を丸くしたことがあった。
新聞配達のおばさんは朝刊も配っていて、田舎の団地ということもあって早朝にはクワガタとかに遭遇することが多いらしく、見つけたクワガタを持って来てくれたのだった。
「ツノ、折れちゃっているのしかいなかったけど」と、おばさんは言っていたけど、思わぬプレゼントを今でもじんわり思い出す。
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“子ども食堂”が話題だ。“子ども食堂”とは、貧困家庭の子どもを集めて食事を振る舞うというもの。「とりあえずお腹いっぱいになることを目指す」ということから「“個食”を避ける」ということなどまで、スペースによってそれぞれの考えがあるようだ。
沖縄県は貧困家庭の割合が高いらしく、以前から余った食材をシェアする“フードバンク”の取り組みなどを聞くことがあったけれど、今では“子ども食堂”を目にすることが増え、新しい場所ができる度にテレビや新聞に取り上げられているくらいの注目度になっている。
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団地暮らしというのは、次第にどんな人が住んでいるのか知りたくなくても知ってくるもの。
ぼくが10代後半の頃、近所に、お母さん、おばあちゃんと小さい姉妹の家族が引っ越してきた。姉妹のお姉ちゃんは小学中学年くらい、妹は就学前だったか。ちょうど、『となりのトトロ』のサツキとメイちゃんくらいな。
良く覚えているのには理由があって、それは「お母さんがいない!」と姉妹で泣いていることが何度かあったから。階段に泣き声が響くと、うちの母親は「大丈夫、大丈夫、そのうち帰ってくるから、おばさんのうちで待ってなね」と家に上げてお菓子を出したりしていた。そしていつしか、「お母さんがいない!」と泣きながらうちのドアを叩くようになっていた。その度に、「おばさんのうちで待ってなね」と、家に上げていた。
ぼくが「ただいま」と家に帰ると、その姉妹がうちで『となりのトトロ』を観ていることもあった。
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“子ども食堂”の広まりに伴って、いろんな意見を見るようになってきた。最近の“子ども食堂”に関するニュースには、コンビニ弁当の余剰を“活用する”なんていう動きまで出てきているらしく、“食事を出す、お腹いっぱいにする”ということだけがフォーカスされていることについて疑問を呈する人が多くなってきているようにも感じる。
ただ、いろんな意見の中で気になるのは、“無料で食事ができること”自体に対する意見をちょくちょく見ること。簡単に言えば、「タダで食べさせてもらえることが当たり前になってはいけない」ということで、「感謝させる必要がある」というものから「“タダ”に慣れさせないために、何らかの仕事をさせた方が良い(その“報酬として”食事を出す)」というものまで様々。実際、“子ども食堂”の中には、お礼の行動として地域清掃をさせたりしているところもあるらしい。
こういう言説は、実際に“子ども食堂”を行っている人によるものではないことが多い。“子ども食堂”を運営している側の人の話を聞くと「とにかく子どもが来やすいようにしたい」という意見が圧倒的に多い気がする。ただ、周囲の目が上記のようではなかなか難しいだろう、とは思ってしまう。
貧困の話を“社会問題”として捉えるべきならば運営側の意見の方が社会の手として適切だと思うけど、それに対して、上記の言説は、特別な待遇を受けているという自覚を求めている故に、やはり貧困が個人の責任の問題へと帰っていっている。(“他人に迷惑をかけている”という意識の裏返しでもあるとすら思える)
それだけでもぼくは世知辛いと思ってしまうのだけど、さらに注目すべきは、“子どもにそれを求めている”ということ。これには正直嫌悪感すら覚えてしまう。“食べさせてもらっているんだぞ!”というのは、家庭の方針ではアリなのかもしれないけれどと思いつつ…、うーん…やっぱりそれでもげんなりする。ぼくは。
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映画『山びこ学校』で、無着さんが言う「何も怠けていて貧しいんじゃない。一生懸命働いているのに貧乏なんだ」という台詞を思い出す。
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去年の夏、琉大で公開授業を企画した際、ぼくのお師さんは手弁当でやってきてくれ、授業の後には、「みんな良い表情をしていたし、良かった」というのが感想だった。授業はもちろん、手品やら何やらと子どもが喜びそうなことを研究して、それらを媒体として子どもが喜んでくれる時間が、お師さん自身にとっても一番充実しているのだなぁと改めて感じた公開授業だった。
新聞配達のおばさんは、一人で虫かごを覗いていたぼくを、ただただ喜ばそうとしてくれたのだろう。夜明け前から仕事をしながらも、クワガタがいないかと気を配っていてくれたのかもしれない。ポストにクワガタが入っているのを見た時、ぼくはものすごく嬉しかったし、今思い返すとあの時以上の感情に包まれる。たとえ、アゴの先が折れていたクワガタでも。
うちの母親は、姉妹のお母さんが迎えに来ても「トトロ、最後まで観ていったら?」なんて笑って言っていた。その後も、泣き声と共に「ドンドンドン!」とドアが叩かれてドキッとすることがあっても、迷惑だなんて思っていなかったし、家庭の状況を気にかけることがあっても、姉妹に対しては「大丈夫、大丈夫、いいよ、いいよ」とただただそれだけだったと思う。
以前も取り上げたけど、少年隊の東山さんは、貧しかった幼少期に、妹と一緒に焼肉屋を営んでいる在日の友達の家に行き、そこで店の豚足やらトック(韓国の雑煮)やらをお腹いっぱい食べさせてもらっていたそうだ。そして著書の中で、「貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う」と回想している。そこのお店の人達だって裕福とは言えない状況だったろう。けど、お腹を空かせた子ども達がやって来たら「いいよ、いいよ」とそれだけだったんじゃないだろうか。
自分の振る舞いとして、こういう風で良い、こういう風が良い、とぼくは思っている。
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良い時間を過ごせたなら、その子が大人になって思い返した時に、感謝も含めたいろんな感情を自然と呼び起こすもの。たとえアチコチ寄り道をすることがあっても、その時その時にいろいろな人に包まれながら大人になって行けるならば、きっと。
それで、十分じゃないか、と思う。
そして、もしも知り合った子どもが大人になって、思い返す良き瞬間に自分がいたら、こちらこそ嬉しいな、と。