先日、フリースクールの空間利用を調べている大学生から話を聞きたいと電話が。現在コーラルは、フリースクールとして子どもが通っている状況ではないのだけど、これまでの経験からお話しできることもあるかもしれないからとスペースまで来てもらった。
一時間ほど話をして、帰り際に挙がったのは、“貧困”というキーワードだった。
何度か書いているけれど、“貧困層への支援”と銘打っている活動をよく目にするようになっている中、その対応が“貧困層”と呼ばれる社会層の再生産に繋がるようなことがあってはいけない、と思っていて。
(もちろん、今日明日食べる物もない…というような緊急を要する事態への対応が必要となることはある。「今の日本で、そんなことあるの?」と思う人もいるかもしれないけれど、実際に存在するのである)
帰り際だったので、福祉や支援という形での民間教育活動に絡めて簡単に話したのだけど、彼は「根本的な問題を解決していかないと」と言いながら帰っていった。好青年だった。
それにしても、最近の若い人を見ていると、問題が山積の現在のこの国において、なんとか希望を見い出せる。
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少年隊の“ヒガシ”こと東山紀之さんのエッセイ『カワサキ・キッド』を読んだ。川崎市のコリアンタウンの一角に住み、文字通り貧しかった幼少期が赤裸々に綴ってあった。いつもお腹を空かせている中、焼肉屋をしている在日韓国人の友達の家に妹と一緒に行くと、いつも豚足やトックという韓国の雑煮をお腹いっぱい食べさせてくれたという記述が、何度か出てくる。そして、本名を名乗れないような立場にあったその友達家族と、母親との繋がりを次のように回顧している。
思えば、母も、韓国・朝鮮人を差別する意識をまったくもっていなかった。
自身も戦争でつらい経験をしていたし、在日の人々の虐げられた状況は他人事とは思えなかったのだろう。
同じ地域に住んでいることなどを考えると、その友達の家も決して裕福というわけではなかったのだと思う。ただ、困っている人がいたら、とか、子どもを見たら、とか、頭で考えるんじゃなくて身体が動く、そういう“生き方”なんだろう。
“ヒガシ”も、どこかこの“生き方”を継いでいると思うのは、このエッセイを読んでいて感じたこと。彼には、貧困対策などの支援や相談を利用したりすることなく、今の人生がある。よく耳にする「貧しくても、昔は地域の繋がりがあったから…」というには、上記の引用からしても虫がいい視点だろう。
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昔、姉がレンタル店から借りてきて衝撃的だったのは、インドの『ムトゥ 踊るマハラジャ』という映画。とにかく長いし、急にみんな踊りだすし、当時のぼくの理解力を超えていた。(今も最後まで観る自信はない)
ただ、すごく覚えているシーンがあって、それは、お金持ちが市民にお金だか食べ物だかを配っているシーン。長蛇の列の先で、悠々とお金持ちがみんなに“施し”をしている。映画の中では、このシーンで彼の英雄さを表現していたのだと記憶している。いろんな社会があるんだと思いつつも、なんだか呆気にとられてしまった。
ここでちょっと何かもらっても、また同じ生活に戻っていくんだろうな…と、何となく思ったことも覚えている。
もしも、貧しい人に対してあのような“施し”が社会貢献なのだとしたら、それによって一体どのような効果があるのだろう??
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原節子さんが亡くなっていた。
昔、やっぱり姉が、確か『秋刀魚の季節』を借りてきて観ていた。これまた当時のぼくのリズム感を超えていて観ていられなかったので、それからも小津安二郎監督作品は避けていた。
けど、数年前に『東京物語』を観て、しばらく頭から離れなかった時期があった。カメラワークとかも印象的な中、何とも言えない雰囲気を伴いながら話は進んでいくのだけど、最後に「あぁ、そうかぁ、そうだよなぁ…」と、今まで感じたことのないくらい切なくなる話だった。
原節子さんは、この映画の中では未亡人の役で、他の登場人物と比べると一番貧しい生活を送っていて、上京してきた義理の両親をもてなすために隣の家からお酒を借りてきたりするのだけど、そんな心遣いが他の登場人物と対象的なのがこの映画の軸でもあった。
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少し脱線。
インドはイギリスの植民地だった。イギリスは、統治を強めていく中において、重要政策の一つが教育だった。教育の場からインドの大衆語を追い出し、英語を入れる。それは、インド人の若者から民族としての主体性を失わせていくことになる。インド人の知識階層は英語を話すようになり、そうでないものは教育から遠ざかる。結果、非識字者が95%に上るくらいの時期もあったようだ。
(ちなみに、同時期のイギリスの識字率は95%くらいで、ここに植民地主義の悪が強く出ている。教育の場が失われるどころか、児童労働など文字通り植民地の子どもを食い物にすることによって、本国の教育の質を上げていく。本国の人間は、そんなことは露知らず、身の回りの好転に浮かれるばかりになる)
そんな中、インド人の手によって民族教育を取り戻そうとした担い手の一人がガンジーだった。その考えの基には、自分達“英語を話すインド人 the English-knowing Indians”に、インド人の奴隷化の原因を見い出した点がある。多くのインド人を困窮に追い込んでいる加害者を、イギリス人ではなく、知識階層である自分達“英語を話すインド人”に設定するという、自省の念が根底にあったようだ。
“・・・It is we, the English-knowing Indians, that have enslaved India. The curse of the nation will rest not upon the English but upon us.”
この延長線にさっきの映画があるとは何だかしっくりこない気もするんだけど、少なくとも当時の社会の困窮、教育の退廃に対して根本的問題にメスを入れていこうというモチベーションが、自省の念から生まれていること自体が、時代の変化の兆しを確固たるものにしていったのだろうと感じたり。
ちなみに、植民地支配の構図は何処も似通っていて、もちろん日本の植民地統治にも多く重なる点がある。
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貧困対策…。
貧困のいったい何に手を入れようとしているのか。それとも、貧困ということ自体に手を入れようとしているのか。
例えば、生活費の補助をすれば、その問題は解決したことになるのか。職に繋げればその問題は解決したことになるのか。進学の補助をすれば、その問題は解決したことになるのか。そうやって考えると、貧困という言葉を切り口に、何かが上手くいっていない今日の社会問題を見通していくことの正当性があるのか、今一度検証する必要があると思えてくる。
この検証というのは、教育に関して言えば、例えば、貧しいことが原因で学力不振なのかなど、因果関係があるように思われていることが、果たして正しいのか…ということ。こうやって考えると何だか、貧困という切り口に対して腑に落ちない点が出てくるのは僕だけじゃないと思う。
もしかしたら、自身の存在を含めた社会の捉え方を根本的なところまで掘り下げていく必要があるのかもしれない。ガンジーの様にとまでは言わないまでも…。
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貧しさが人格形成に悪影響を及ぼす…ということが成り立たないのは、上に挙げた話題でもわかる。むしろ、“ヒガシ”のお母さんのように、自身の辛い経験を倫理観へと昇華させることもある。辛い思いをした人じゃないと汲み取れない他者の痛み、というのは確かにある。他人の感情を全く同じ様に心に響かせることは決してできないけれど、どこまで接近することができるかについては、やっぱり本人の経験というのが大きく関わってくるのだと思う。
ただ、貧しさとは無関係に形成される“何か”があることは感じる反面、これがないことによって貧しさが助長する“何か”もあるような気もする。前者の“何か”をどの様に意識していくのかが、これからの時代、社会の支えに繋がっていくのではないだろうか。
それにしても、一時期もてはやされた『三丁目の夕日』のように“貧しいけれど良かった”という時代と、妙な閉塞感を伴っている今日とはいったい何が違うのか。これは考えれば考えるほど、現状の酷さとこれからの窮状を直視せざるを得なくなってくるのだけど、先延ばしにしていい命題ではないのかも…と思うのです。