年の瀬

やっとパソコンの前に座ることができるくらいに落ち着きました。

今年の初めのブログは何を書いたのかなとちょっと読み返してみたら、テロに人質事件。そう思い返してみると、本当に激動の一年間だったなと。今年は今日で終わりだけど、来年に続いていくのは当然。いろいろと目が離せないことがたくさんだなぁと。

とにかく、平和な日々が続くように…。。。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

コーラルとしては、放課後教室も本格的にスタートして、子どものいるスペースはやっぱりいいなぁと改めて感じた一年でした。また、夏には恩師に公開授業をお願いしたりと、去年に比べると“教育”に関わる機会が増えたなぁと。来年は、もうさらに一歩、具体的な動きもしていけたらなぁと思っています。

お問い合わせを頂いた際には必ずご返信するようにしていますが、もしもお手元に届いていない場合は、電話などにもご連絡いただけると有り難いです。よろしくお願いいたします。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

個人的には、入院をしたりと大きな出来事がいくつかあったけれど、まず無事に来年を迎えられそうでよかったなと。夏からは、週に何回か大手飲食店でアルバイトをしていて。この年齢で始められるかなぁと思ったけれど、まぁナントカ今日も行ってきました。今の就労環境ってこうなんだ…と、いろいろと考察に値することがあるのだけど、それはもう少しまとまってからにします。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

一昨日は、キッチンでお客さんを招いて忘年会でした。それはそれは楽しいひと時で、皆さんのおかげで何とか続けられているなぁと再確認した時間でもありました。そんなで、ちょっと目頭が熱くなったのでした。有り難い限りです。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

では、コマ切れの文章ですが、この記事で今年はおしまいです。後から読み返して、誤字脱字などがかなり目立ち、もう少し校正してからアップしないとなぁと思いながらも、そのままにしてしまっています。少しずつでも直して行こうと思っていますので、長い目で見て頂けると嬉しいです。

では、今年も大変お世話になりました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

良いお年を!

雑感~テレビを見ていて

帰りが遅くなった日に、家で一息つきながらテレビを見ていたら、宮城まり子さんが出てきた。過去に二度ほど行ったことのある“ねむの木学園”の学園内が移される度に何だか懐かしくなったり。

何度かブログでも触れたことがあるはずなのであまり書くのは止めようと思うけれど、ねむの木学園の作品の一つ一つはやっぱり持っている力が大きい。あれやこれやと考えることなしに、絵から空気に包まれたのはなかなかない経験だった。

それにしても、宮城さんは大分ご高齢になられていて、車いすで移動している姿を見進めるにつれて、どんどん自分の力が抜けていくような感覚に。何故かは分からないけど。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

自分の中では、フリースクールという空間を作る上での柱がいくつかあって、その一つが、一人ひとりが主役になる場面を作るということ。そのためには日々の生活で子どもが光った瞬間をしっかりと受け取るということがまず第一に必要で、ここからの流れで、それを“作品として形にして残す”ということまでを一つのセットに。

ちょっと前には、“みんなが主役”みたいなことが話題に挙がっていて、かけっこは手を繋いでゴール…、劇なんてやると文字通りみんな主役…という場面も目にしたことがあるけれど、決してこういうことではない。みんなが主役になったら、それはみんな主役じゃなくなるという風に思うから。

そうではなくて。一人ひとり、好きなことや得意なことがある。そして、大人としては、その様なことにフォーカスした行事なり企画なりを設定する。長いスパンで見て、子ども一人ひとり順繰りに主役が回ってくる…ということを意識する。もちろん子どもには言わないけれど、運営を手伝ってもらっていたボランティアさん達とはこの様な意思疎通をしていて、それはそれは心強いボランティアさん達ばかりだったので、その軸を共通認識とした上でのフォローをしてもらっていた。

結果、文化祭やキャンプなどの大きな行事に加えて、歌を作ったり、通信を作ったり、オリジナルデザインのTシャツを作ったり…と、行事や企画はたくさん実行することができた。そういう中で、みんなが「あ、○○君のデザイン!」とか思い出すような絵を、メンバーみんなで広げていって、最終的に“形として”一人ひとり手にすることができるように。もちろん、今でも手元に残っているものもたくさんある。

当然、この様な運営には、人数としての限界もあるし、多くの人の協力も必要になってくる。今までナントカ出来てきたのも、ひとえに運よくこの条件に恵まれていたからに他ならない。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

小さい頃から、自宅にはねむの木学園の画集があって身近な存在だったけれど、実際に美術館に行ってみると、額の中に飾られている絵が、何かの紙の端っこに描かれているものだったりして、“作品として形に残す”という自分の意識と似ているのかな…とちょっと心強く感じたりも。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

一人ひとりが得意なところで活躍し、そうじゃないところでもメンバーと一緒になって自分の力を発揮して、ある程度長いスパンで見ると、全員が同じ様にそのグループの構成員として存在している。そこには、例えば年齢、例えば障害の有無、例えば性別なんかも全く関係ない。これは、自分が身を置いてきたフリースクールでもそうだったし、交流させてもらったフリースクールの中にもその様なところがたくさんあった。

今でいえば、“インクルージョン教育”と呼ばれるものに近い(正にそのものというものも含む)と思うのだけど、自分も含めて“インクルージョン教育”を実践しようという意識ではなく、結果としてその様な空間を皆で作り上げているという点が注目すべきことだと思う。

もちろん、学校や地域、自治体や国といった規模で行う上では、様々な工夫や調整が必要となってくるのだろうけれど、規模を変えて見直してみると既に実践できている場所がアチコチにあるというところに本質があるように思えたりもします。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

それにしても、この国の肢体不自由の子の学校を初めて作り、草分けと言っていい宮城まり子さんは、元々は女優さんということで、周りから“畑違い”と思われることであっても、想いの大きさを形にしていく行動力には、すごく勇気をもらえる。もちろん、行動力という言葉では片付けられないようなご苦労もたくさんあったのだろうけど。

いろんな想いを持っている人はたくさんいる。けど、それを実行に移して具体的なものにしていくということはやっぱり大変なこと。一つの行動よりも、行動に移さない理由を百個考える方が楽かもしれない、とすら思う。最近、いろいろ間延びしつつある自分とテレビの中を見比べて、うーん、やっぱりすごいなぁと改めて思ったのでした。

しばらく買えていなかったねむの木学園のカレンダー、また買おう。

都道府県ランキング予想!~お米編

この前は大きい子一人だけの放課後教室。時間を作って、いつもと違う授業も。

「桃太郎の話は、どういう風に始まる?」
「昔々、ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」
「そうそう。ここでいう、“しば刈り”って?」
「あ、知ってるよ!ゴルフの芝刈りじゃなくて、薪とかに使う木のことでしょ!」
おー!もの知り!

この冒頭の文章を絵にしていきます。山があって、川がある。
「山には何があるの?」
「あ、木」
「じゃあ、家はどのあたりにありそう?」
高い所から低い所へ川が流れている。
「家は、流されないようにこの辺?」というように、家は山のふもとに。

「川の周りには何がある??」
「んー。。。田んぼ?」

日本の田園風景は、基本的にこの風景(例外の一つが沖縄でもあるのだけど)。例えば、外国の山はどうなっているかな?と、「アルプスの少女ハイジ、家庭教師のコマーシャルで出てくるでしょ?」と比べてみます。

山に木はある?人間の他に何かいるかな??

人間の生活と山との関係へと話は広がっていきます。

●米の収穫量、都道府県ランキング!

田んぼの話から米の話へ繋がり、そして、今回の授業のメインに。都道府県別の米の収穫量ランキング(去年の統計)をゲーム形式で予想。上位5位、下位5位を当てると得点獲得。

「じゃぁ、秋田県!あきたこまち!」
「秋田県は…3位!次の人!」
「新潟県!」
「新潟県は…、1位!」
「あ!そうだった!!」

こんな風に、順番に予想を取り合っていきます。お米を作るために必要なものを意識していくと、上位は何となく当てることができるけど…

「じゃぁ、最下位は…」

ちなみに、沖縄県は下から2番目。お米を作っていないところってどういうところ??作れない、作らない、作る必要がない…。。。

毎回予想に対して、「どうして、その県だと思う?」と根拠を聴きながら進めるので、あてずっぽうではなくて、具体的な条件を考え、それを論理的に組み合わせて予想していくように。“米の収穫量のランキングを知る”ということよりも、この様な思考の習慣作りの方がこの授業の目的です。

今回は、“米のランキング”がテーマだったけれど、「また、やろうね!」と好評だったので次のテーマも準備中!楽しかったね!!

12月のおまけのオープン日

今日は、おまけのオープン日です。二本立てです!!

●プレゼンの授業

今日も、先生はお任せ。今回は、波について、調べてきてくれました。

1449995564179

ボウルに水を張り、小さく切ったアルミホイルを浮かべます。水面に水滴を落とし、波紋を作るとアルミホイルはどう動くのか…。

実験→観察→調べてきたメモを用いて説明…。見事な授業!

●プレゼンを受けて…

テーマに関連する実験を準備するため、事前にどの様な授業をするのか簡単に聞いておくのだけど、「p波とか…」と言っていたので、地震か音か…と予想を立て、音の実験をこちらで準備。

今回は共鳴の実験をしたいと思い、栄養ドリンクの空き瓶4本欲しさにバンバン飲んでしまったら、無駄に効いてしまった上に、予備実験でどうにも上手くいかず…。

そこで、実験変更。まずはグラスハープ。綺麗に音が鳴る→そして音が大きくなるというのは成功!

あとは、ステンレスボウルに水を入れて、端をこすると水しぶきが上がるという実験も。こちらも、ちょっと難しかったけど、なんとか成功!!

●プロ級の折り紙!

後半は、お母さんに折り紙を教えてもらいました。

ただ、折り紙と言っても、紙は画用紙を自分で切り出す、工程は複雑…と、今まで見てきたものとはちょっと違うレベル。。。

今日は、その中でも、“一分薔薇”というものにチャレンジ。紙は切り出してきてもらいました。

IMG_3995

“一分薔薇”とは、文字通り“一個一分でできる”ということみたいだけど、もちろんそんなすぐにはできません。作り方を目の前で見せてもらいながらでも、うまくいかない…。

何度も繰り返し戻りながら教えてもらって、何とか一個完成。そして、二個目も、何度も戻りながら教えてもらって…。ちなみに、お母さんは、本当に“一分薔薇”(一分かからず??)なのです。

少しずつ、少しずつ身体に覚え込ませるように作っていきます。

IMG_4001

完成品も持ってきていただいてたので、それを組み合わせていくと…

1449995404260

「すごい!」
クリスマスに向けて、キッチンも華やかに!!

↓ボール型に組み合わせたものも可愛かった!

IMG_4002

気がつけば一時間半。何となく折り方を覚えられたかな…。明日、覚えているかな…。せっかくなので、忘れないように、もう少し練習しておきます。

そんなで、今回も楽しい楽しいオープン日でした。どうもありがとうございました!!

もしも私が校長先生だったら?

今日の放課後教室では、作文も。作文のテーマは、あれこれ話をしている中で、楽しく書けそうなものを選んでいます。

「じゃぁ、今日は“もしも私が校長先生だったら?”にしよう」
「え?どういうこと??」
「好きに作っていい学校を考えて、それを作文」

テーマに乗れば、書きたいことはどんどんと出てきて、
「まずはメモしてもいい??」
“アイデアをメモ→整理→まとめて文章に”という流れも自然と生まれてきます。

1449652294447

「まず、一校時は国語でしょ…」
「え?勉強、するの??」と、ぼく。
「そりゃ、ちょっとはしないとね」

「夏休みの宿題は、プリント一枚でしょ…」
「え?宿題、あるの??」と、ぼく。
「少ないけどね」

他にも、お金は持って来てもいいけど五千円までです…とか、結構真面目です。

けど、家から学校までが遊具で繋がっている…とか、校舎が広くて走っていい…とか、毎日遠足があって「うちに遊びに来ることにしよう」…とか、なんとも魅力的な面がたくさん。

大きい子は、「私が王様だったら、こんな国にする」という作文。これは、最初は“総理大臣”だったけど、「総理大臣は、自分に決定権がないでしょ?」という子どもの意見から、「王様」に。この視点、大切!!!

「技術力を優先する」「やっぱり、治安だよ。治安」と難しい言葉が出てきたり、「ボーナスを出す」「貧しい人のための施設を作る」…などと挙げていく中で、

「それぞれの国で特化したものを出し合って助け合うといい。技術とか食べ物とか水産とか情報とか…それぞれに得意なものがあるんだから」という、何とも素敵な意見。大事に大事にしていきたい視点です。

それにしても、「えー、宿題あるの?」とか「朝から勉強か…」とか、ちゃらんぽらんなことを言っているのは大人の方でした。。。

ネクタイは痛くね?

先日、お教室の子がコーラルに到着するや否や、

「ねぇ、考えてきたよ!“ネクタイは痛くね?”」
「ん?何それ??」
「“ねくたいはいたくね”!反対から読んで!!」
「ネクタイハ……、すごい!!」と、大笑い!

最近のコーラルでは、回文がブーム。周囲を見渡し、目につく単語を見つければ、「あ、…モゴモゴモゴ…」と、考えています。

・めかのかめ(メカのカメ)
・かるたはたるか(カルタは足るか?)
・みかんさんかみ(みかんさん、神!)
・よくあさあくよ(翌朝、開くよ)

「あ!“ミルクとクルミ”は?」とぼくが言うと、
「それ、もう考えたよ。ほら」
「あ、書いてある…」
手柄は早いもの順です。

音から探っていく文章。文が表す状況も説明してくれます。それはそれは、回文じゃなかったら出会わなかった、クスっとする世界。

・くまをまく(熊を撒く)
・くろいろく(黒い6)
・たいむりすすりむいた(タイム!リス、擦りむいた!)
・たいこいた(太鼓、いた)

ただの言葉遊びと侮るなかれ。子どもも大人もみんな一緒になって、あれやこれや頭をフル回転させています。

1449308437202

“貧困”という言葉の下で

先日、フリースクールの空間利用を調べている大学生から話を聞きたいと電話が。現在コーラルは、フリースクールとして子どもが通っている状況ではないのだけど、これまでの経験からお話しできることもあるかもしれないからとスペースまで来てもらった。

一時間ほど話をして、帰り際に挙がったのは、“貧困”というキーワードだった。

何度か書いているけれど、“貧困層への支援”と銘打っている活動をよく目にするようになっている中、その対応が“貧困層”と呼ばれる社会層の再生産に繋がるようなことがあってはいけない、と思っていて。
(もちろん、今日明日食べる物もない…というような緊急を要する事態への対応が必要となることはある。「今の日本で、そんなことあるの?」と思う人もいるかもしれないけれど、実際に存在するのである)

帰り際だったので、福祉や支援という形での民間教育活動に絡めて簡単に話したのだけど、彼は「根本的な問題を解決していかないと」と言いながら帰っていった。好青年だった。

それにしても、最近の若い人を見ていると、問題が山積の現在のこの国において、なんとか希望を見い出せる。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

少年隊の“ヒガシ”こと東山紀之さんのエッセイ『カワサキ・キッド』を読んだ。川崎市のコリアンタウンの一角に住み、文字通り貧しかった幼少期が赤裸々に綴ってあった。いつもお腹を空かせている中、焼肉屋をしている在日韓国人の友達の家に妹と一緒に行くと、いつも豚足やトックという韓国の雑煮をお腹いっぱい食べさせてくれたという記述が、何度か出てくる。そして、本名を名乗れないような立場にあったその友達家族と、母親との繋がりを次のように回顧している。

 思えば、母も、韓国・朝鮮人を差別する意識をまったくもっていなかった。
 自身も戦争でつらい経験をしていたし、在日の人々の虐げられた状況は他人事とは思えなかったのだろう。

同じ地域に住んでいることなどを考えると、その友達の家も決して裕福というわけではなかったのだと思う。ただ、困っている人がいたら、とか、子どもを見たら、とか、頭で考えるんじゃなくて身体が動く、そういう“生き方”なんだろう。

“ヒガシ”も、どこかこの“生き方”を継いでいると思うのは、このエッセイを読んでいて感じたこと。彼には、貧困対策などの支援や相談を利用したりすることなく、今の人生がある。よく耳にする「貧しくても、昔は地域の繋がりがあったから…」というには、上記の引用からしても虫がいい視点だろう。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

昔、姉がレンタル店から借りてきて衝撃的だったのは、インドの『ムトゥ 踊るマハラジャ』という映画。とにかく長いし、急にみんな踊りだすし、当時のぼくの理解力を超えていた。(今も最後まで観る自信はない)

ただ、すごく覚えているシーンがあって、それは、お金持ちが市民にお金だか食べ物だかを配っているシーン。長蛇の列の先で、悠々とお金持ちがみんなに“施し”をしている。映画の中では、このシーンで彼の英雄さを表現していたのだと記憶している。いろんな社会があるんだと思いつつも、なんだか呆気にとられてしまった。

ここでちょっと何かもらっても、また同じ生活に戻っていくんだろうな…と、何となく思ったことも覚えている。

もしも、貧しい人に対してあのような“施し”が社会貢献なのだとしたら、それによって一体どのような効果があるのだろう??

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

原節子さんが亡くなっていた。

昔、やっぱり姉が、確か『秋刀魚の季節』を借りてきて観ていた。これまた当時のぼくのリズム感を超えていて観ていられなかったので、それからも小津安二郎監督作品は避けていた。

けど、数年前に『東京物語』を観て、しばらく頭から離れなかった時期があった。カメラワークとかも印象的な中、何とも言えない雰囲気を伴いながら話は進んでいくのだけど、最後に「あぁ、そうかぁ、そうだよなぁ…」と、今まで感じたことのないくらい切なくなる話だった。

原節子さんは、この映画の中では未亡人の役で、他の登場人物と比べると一番貧しい生活を送っていて、上京してきた義理の両親をもてなすために隣の家からお酒を借りてきたりするのだけど、そんな心遣いが他の登場人物と対象的なのがこの映画の軸でもあった。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

少し脱線。

インドはイギリスの植民地だった。イギリスは、統治を強めていく中において、重要政策の一つが教育だった。教育の場からインドの大衆語を追い出し、英語を入れる。それは、インド人の若者から民族としての主体性を失わせていくことになる。インド人の知識階層は英語を話すようになり、そうでないものは教育から遠ざかる。結果、非識字者が95%に上るくらいの時期もあったようだ。
(ちなみに、同時期のイギリスの識字率は95%くらいで、ここに植民地主義の悪が強く出ている。教育の場が失われるどころか、児童労働など文字通り植民地の子どもを食い物にすることによって、本国の教育の質を上げていく。本国の人間は、そんなことは露知らず、身の回りの好転に浮かれるばかりになる)

そんな中、インド人の手によって民族教育を取り戻そうとした担い手の一人がガンジーだった。その考えの基には、自分達“英語を話すインド人 the English-knowing Indians”に、インド人の奴隷化の原因を見い出した点がある。多くのインド人を困窮に追い込んでいる加害者を、イギリス人ではなく、知識階層である自分達“英語を話すインド人”に設定するという、自省の念が根底にあったようだ。

“・・・It is we, the English-knowing Indians, that have enslaved India. The curse of the nation will rest not upon the English but upon us.”

この延長線にさっきの映画があるとは何だかしっくりこない気もするんだけど、少なくとも当時の社会の困窮、教育の退廃に対して根本的問題にメスを入れていこうというモチベーションが、自省の念から生まれていること自体が、時代の変化の兆しを確固たるものにしていったのだろうと感じたり。

ちなみに、植民地支配の構図は何処も似通っていて、もちろん日本の植民地統治にも多く重なる点がある。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

貧困対策…。
貧困のいったい何に手を入れようとしているのか。それとも、貧困ということ自体に手を入れようとしているのか。
例えば、生活費の補助をすれば、その問題は解決したことになるのか。職に繋げればその問題は解決したことになるのか。進学の補助をすれば、その問題は解決したことになるのか。そうやって考えると、貧困という言葉を切り口に、何かが上手くいっていない今日の社会問題を見通していくことの正当性があるのか、今一度検証する必要があると思えてくる。

この検証というのは、教育に関して言えば、例えば、貧しいことが原因で学力不振なのかなど、因果関係があるように思われていることが、果たして正しいのか…ということ。こうやって考えると何だか、貧困という切り口に対して腑に落ちない点が出てくるのは僕だけじゃないと思う。

もしかしたら、自身の存在を含めた社会の捉え方を根本的なところまで掘り下げていく必要があるのかもしれない。ガンジーの様にとまでは言わないまでも…。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

貧しさが人格形成に悪影響を及ぼす…ということが成り立たないのは、上に挙げた話題でもわかる。むしろ、“ヒガシ”のお母さんのように、自身の辛い経験を倫理観へと昇華させることもある。辛い思いをした人じゃないと汲み取れない他者の痛み、というのは確かにある。他人の感情を全く同じ様に心に響かせることは決してできないけれど、どこまで接近することができるかについては、やっぱり本人の経験というのが大きく関わってくるのだと思う。

ただ、貧しさとは無関係に形成される“何か”があることは感じる反面、これがないことによって貧しさが助長する“何か”もあるような気もする。前者の“何か”をどの様に意識していくのかが、これからの時代、社会の支えに繋がっていくのではないだろうか。

それにしても、一時期もてはやされた『三丁目の夕日』のように“貧しいけれど良かった”という時代と、妙な閉塞感を伴っている今日とはいったい何が違うのか。これは考えれば考えるほど、現状の酷さとこれからの窮状を直視せざるを得なくなってくるのだけど、先延ばしにしていい命題ではないのかも…と思うのです。