放課後教室のひとコマ~やっぱりかけ算

以前もかけ算の記事を書いたなぁと思いつつ…。

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「かけ算はね、たし算でできるって言ってたよ。学校で」
「あら、そうか」と答えつつ気になったので、教科書を見せてもらった。

確かに。

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その後、一緒にプリントで文章題を解いていると、
「さっき6×7は42だったから、6×8は50」
「ん?」
「だって、足し算でできるんだから」って言われると、“やっぱり、そう思うよね…”と思ったり。一つのかけ算の式がポッと目の前に出された時、本人が6×8も8×6も同じということを経験的にも知っていることも相まって、混乱するのはなおさらだろう。

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今一度、かけ算の構造をしっかりと…ということで、自分で文章題を作る“作問”をして、一緒に問題を出し合っています。

まずは、絵も用いた文章題作り。

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慣れてきたら、タイル図を作って。

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ハサミを使って方眼紙を切り取っていると、体感として受け取っているものもありそうかな??

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ちなみに、大きい子の授業は割合の内容だけど、結局はこの構造の延長であることの確認の繰り返しに。

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目で見て解るように確認を重ねながら進めると、“1より小さい数でかけると全体の量が小さくなる”ということも、「解ってるよ!当たり前!」と言っています。

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多くの子が持っている「かけ算は、倍、倍に大きくなっていくような…」という感覚に捉われ続けるのは、冒頭の様に“かけ算とは累加のこと”と導入されることも大きく関わっているのだと思う。もちろん、最初の間はそれで(問題が解けるという意味で)ナントカなるんだろうけど、どこかで教え直しが必要になってくる。

こういう“今、目の前にある問題を解くため”とも言える教え方は、結局は教科を細分化したもの一つ一つに当てられている“公式”という名の“問題を解くためのツール”を暗記していくという勉強の仕方を子ども達に体得させてしまっているようにも感じるし、この様な行為を“考えるということ”だと認識させてしまっているようにも感じる。

けれど、実は自分で考えるという行為の積み重ねではなく、既に全て決められているコマ切れの枠の中でしか思考を動かしていなくもあって、その姿を見ていると“考える”というよりトレーニングの域を出ていないという印象すら持つことも。

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冒頭の話で言えば、「6の段だから、6を足すんだよ」という教え方をしても、同じ様な問題でマルをもらえるようになるかもしれないけれど、根本的な構造の理解には近づけていないし、それ故にやっぱり行く先どこかで教え直しが必要になってくる。つまり、連続性のない、場当たり的な授業とも言える。

「あ、前に勉強したことの続きだ」と子どもが感じられることは、学びを積み重ねていることの証で、大きな視点で見ると、自分が学んできたことを基礎にして新しいことに向き合っていく行為に繋がっていくものだと。授業の組み立てる側は、この様な見通しを常に意識していかなければならないと思っています。

久しぶりのおまけのオープン日

今日は、久しぶりのおまけのオープン日。
プレゼンテーションを2本です。

●氷釣りの実験

「好きな授業、またやってみる?」と声掛けしたところ、
「氷を持ちあげる実験、しようかな。でも、あれ、なんでだろ??」とのこと。
「“実験 氷 釣り”とかで調べてごらん」というアドヴァイスだけで、あとはしっかり自分で調べて、予備実験までしてきていました!すごい!!

今日の授業の始まりは、実験から。
「では、氷に毛糸を垂らして、塩をかけてみます…」

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何回かチャレンジしていくと、
「あ!浮いた!浮いた!!」
やっぱり、こういう瞬間が楽しい!!

その後、自分で調べてきたメモを元にみんなに授業をしてくれました。融解熱に溶解熱。難しい言葉を使いながらも解りやすく説明!すごいなぁ。。。

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おまけに、こちらで準備しておいた、食塩水で氷を作る実験。ぼくは予備実験ができていなかったので、時間がかかってしまったけど、帰りまでにはなんとか氷を作ることに成功!よかった…。

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●ミサンガ作り

先生の交代。
続いて、ミサンガ作りです。
ホワイトボードを使って、糸にナンバーを振りながら説明を。立派な先生!

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好きな色の糸を3種類「180㎝に!」ということで、賑やかに作業が始まります。

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レクチャーしてもらいながら、作っていくものの、糸の色の順番、巻いていく回数と、気を使わなければいけないところが中々大変。

ただでさえ、途中で「あれ?次何色だっけ…?」みたいになるのに、
「3本の糸だけど、2色だと大変じゃない?」と言われてしまう配色も。
「いや、成功、失敗…の順でやっているんだよ」と、本人のルールがあるみたいで、編み上がってくると、これはこれで、味があって面白い!

ワイワイ賑やかに進めながら、何とか完成!

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作り立てホヤホヤをさっそく身につけて帰宅している姿を見送りながら、今月のオープン日はおしまいです!

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自分の好きなこと、興味のあることを、自分の手で調べ接近していく…という行為自体、とっても大切なこと。そして、そのことを他人に対して自分の言葉で説明していくということは、さらに一歩進んだ理解が必要になってきて、とっても高度な手続きに。

なかなか大変だと思うけれど、解りやすく、楽しく授業をしてくれています!今後も続けていく予定です!

『伝統』という名の下で

ぼくが通っていた中学校は、隣の中学校がパンパンになってできた設立15年くらいの若い学校だった。

どこの中学校でもそうなようにヤンチャな生徒もいて、非常ベルには緊張しなくなっていったし、先輩に絡まれたという話も慣れ過ぎてしまって笑い話になっていくようだった。

ある日のこと。
普段、掃除の時間にはクラシックの決まった曲が流れていたのだけど、その日は

「ジューリーアーナートーキオー!!!」

という絶叫で始まるCDの放送で掃除の時間が始まった。みんな、「あれ?ははは…」という感じで、放送室の中の様子をきっと同じ様な風景に想像しながらそのまま掃除をしていたのだけど、しばらくして、

「こら!何やってんだ!」という先生の声。
「うるせぇよ!あぁ!?掃除だよ!!」という先輩の声。

マイクが入りっぱなしだったようで、二人のやり取りは全校放送に。

「いつもかけてる音楽があるだろ。あれにしないとダメなんだよ」
「なんでだよ。掃除してるからいいだろ」
「ダメなんだよ、曲を戻せよ」
「なんでだよ!」
「この学校の伝統なんだよ」

元々、中学生から見ても軽々しい男性教員で、その軽薄さが全身から滲み出ているような人だったけど、この全く説得力のない答えに脱力したのを、自分がこの放送を聞いていた場面と共にはっきり覚えている。

“伝統”という言葉に相応しいことがどういうことなのかは子どもでも解るし、大人が都合よく体のいい言葉として使った時の“伝統”が、空虚で滑稽な“デントウ”という音の並びでしかないことも感じている。

もちろん、「伝統なんだよ」は、しばらく友達の間のお笑いフレーズとして使われていた。

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「これ、知ってますか?」と、巨大な組体操の写真をお客さんに見せてもらったのは数ヶ月前のこと。
「危なくないんですかね…」なんて話していたけれど、先日怪我をした生徒が出たとニュースが実際の映像と一緒に流れていた。

これをきっかけに、ネットでは膨大な量のいろんな人の体験を目にすることができたけれど、「実はうちの子も怪我をして…」という書き込みをあちこちで目にして、やっぱり珍しくないんだなぁと。

組体操を「運動会の目玉」と言っている保護者も結構いるようだけど、ぼく個人としてはどこが良いのか全くもって理解できないので、これは相容れないのかなぁと思ったりも。そんな時は、“子どもの安全を考える”という一点に絞って話し合うしかないのだろうか。例えば、怪我をしないように2段にする。「それじゃぁ、迫力がない」と言うなら、やっぱり大人が見た時の迫力のために、子どもに危険を冒させているということだろう。“ケイケン”とか“タッセイカン”という建前の下に。

何度も言うけどぼくにはその良さがこれっぽちも解らないから、例え2段でも「やらなきゃいいのに、そんなん」としか思えない。

ちなみに、「毎年やってる」とか「学校の伝統」という言葉は肯定派の意見として耳にすることが多い。校長先生の会見では、「子どもの達成感のため」みたいな言葉と共に連発していたような気がするけど、気のせいだったかな。。。

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そういえば、以前のブログでも取り上げた「多様な教育機会確保法案」は、この前の国会では成立しなかったようで。

まぁ、大荒れの国会だったので、ここまで回らなかったのかもしれないけれど、「こんなことを認めたら学校に行かなくなってしまう」というような反対意見が多く出たみたいで、法案の行方というよりも議論の終着点として「結局その段階の話なの??」と呆れてしまった。ただ、理解が深まらない時点での法制化は、その理解の未熟さゆえに危うさしか感じない。

そんなで、良かったんだか、悪かったんだか、何とも複雑な気分。根強く続いている「勉強をするためには公教育しかない。学校は行かなければいけない唯一のところ」という考え方は、善し悪しは別としてこの国の“伝統”に違いない。この“伝統”で息苦しさを感じてしまっている子どもがいるという事実くらいは、周知できたのかなぁと思っていたのだけど、なかなかそうも簡単にはいかなかったようです。

そんな状況を変える基礎となるものは、民間の教育実践そのもの。学校とは違った方法でもしっかりと学ぶことができるという実践の周知が、「学校に行かなくなってしまう」という段階から次のステップへ上がるための大きな手段だと思っています。

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「あれでしょ、携帯で撮ってフェイスブックとかに載せたいんじゃないの?大人が」というお客さんの話を聴いて、あながち間違っていないかもしれないなぁと思ってしまったし、なんだかんだと子どもに理由づけしていても、実はピラミッドに拘る理由って大人のメンツみたいなクダラナイものなのかもしれないなぁとも。

ちなみに、このように言っていたお客さんは、
「あれ、大人がやればいいんだよ。それで、写真撮ってもらえばいいんじゃない」
とおっしゃっておりました。

ぼくも賛成。

書きかけだった記事~『ゴールデンスランバー』

原作を超える映画っていうのは、なかなかないって言う。先に原作を読んでしまっていると登場人物のイメージが出来上がっているせいか余計にそう思えて、配役がピッタリだったなぁという映画っていうのもなかなかない。逆に、映像を先に見てしまっていると、小説を読みながら俳優の顔がチラチラしてしまって、頭の中での広がりがどうしても制限されてしまうような気もする。

テレビでドラマ化されることの多い推理小説ともなるとそれは顕著で、中でも松本清張ともなるとほとんどの話が何らかの形で映像化されているのでは…と思うくらい。松本清張の中で好きな話の一つである『波の塔』なんて、しまいには文庫の帯にドラマの宣伝がしてあって、元総理大臣の某息子さんの写真がばっちり載っていたりして、うーん…となってしまったことがある。ちなみにそのドラマの時のヒロイン役は麻生祐未で、そこは自分の中ではイメージ通りだったけど…。

そんな中、映画『砂の器』は、いくつかのドラマバージョンを見た後に観たのだけど、「あれ?こんな話だったっけ??」というシーンで思わずポロポロと。小説を映像化する…という範疇を超えたものでした。ちなみに、原作の『砂の器』ではハンセン病が関わっているけれど、ドラマバージョンではこの設定が変わっていたりして、これがそれぞれのバージョンにおける人物設定の軸の重さに大きく関わっているような気がするので、どことなくサラッとしている印象があったり。歴史の様々な場面で、社会が持ってきたそれぞれの差別の目というのを、他のことで代用しようとしても表現しきれないものだと思ったりもします。

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数年ぶりに映画『ゴールデンスランバー』を観直した。なんでか急に気になって仕方なくなったもので。話は、同名のビートルズの曲を絡めながら進んでいくのだけど、実は映画を観るまでこの曲を聴いたことがなくて。映画を観て、「あぁ、こんな歌だったんだ…」とストンと落ちたのでした。

元々は小説で読んでいて、ストーリー自体完全なるフィクションとして楽しんでいたけれど、今となっては「ちょっとありえるのか??」と空恐ろしい気持ちにも…。映画よりも小説の方がエピソードや伏線が多かったような記憶があって、小説も読み直そうと思ったけれど引越しのゴタゴタで紛失したのか見当たらず。そんなで、DVDのレンタル期間に何回も観てしまいました。

終わると、何だか切なく寂しくなる話…。

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それはそうと、ビートルズの『ゴールデンスランバー』の始まりは素敵です。ビートルズ解散目前のこの曲は、やっぱり何だか切なく寂しくもあるけど。。。

Once there was a way
To get back homeward
Once there was a way
To get back home

Sleep,pretty darling,do not cry
And I will sing a lullaby