最近あったことの話

久しぶりのブログ。いろんな出来事があったけれど、なかなか書く時間もなく。ちょっと一段落したので、ざっと近況報告を兼ねて。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

昨日まで教え子が二人、一週間以上沖縄に来ていた。那覇空港に到着した足でお店に寄ってくれ、夜は餃子を出そうと思っていた。

日中、宿を探しまわったりしたので、ちょっと店の座敷でゴロリンとしていたら、お客さん。二人を紹介すると、えらく気に入ってくれて、
「これは沖縄で一番良い酒だ!」と、じゃんじゃん振る舞ってくれていた。(二人とも成人してます)

「で、良い酒を飲ませているんだから、名前くらい教えなさい」
「あ、サトウです」
「サトウね…。そっちは?」
「あ、サトウです」
「なに!兄弟か!?いや!似てないぞ!!」

内地では一番多い名字でも、沖縄では圧倒的少数派。そりゃ驚くかも。。。

その後も、
「で、君は何をしているんだ?」と、二人の身の上話を聴いては、
「なに!それは、やっかいだぞ…」と、親身にアドヴァイスを、時に(大)笑いあり、そして真剣に。
「これから栄町で約束が…」と言いながら、気がついたらシャツのボタンを外しながらお話してくれていました。

「夏にもいらっしゃい。またご馳走するから、その時には電話しなさい」と言葉を残し、お店を出て行かれた。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

そのお話の横に座っていたお客さんから頂いたもの↓

10455054_643532805752820_6054301159550572025_n

とっても綺麗な造形。けど、何だかわかりますか??

何でも、これでタコを採るんだそう。これをひもに繋げて投げると、タコが貝を餌だと思ってくっついてくるとのこと。

秋になったら、お客さんの親子さんと一緒に漁場に連れて行ってもらえることに。待ち遠しい。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

翌日は、お店を休みにして、一日かけて二人を連れて南部の案内。久しぶりにひめゆりの塔にも寄った。ちょうど先日、体験者の講話は終了してしまったそう。ご高齢で継続が大変になってしまったことが理由とのこと。

改めて、時代の移り変わりの節目に生きていることを感じる。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

翌日はまたお店で晩ご飯。

お土産で持ってきてくれたボリビアの“エケコ”という縁起物の人形のおかげか、お店はまたまた忙しく。

二人はお客さんとお話。その中で、本島北部の山々の写真を見せてもらい、えらく興味を持ったらしく「登ってみたいな…」と。

ぼくも行ったことがないし、もちろん昔二人を引率して沖縄来た時に行ったこともない所。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

那覇で数泊した後、二人は北部へ移動。

お店をいつも通りに開けていたら、二人に沖縄本島の山々の写真を見せてくれたお客さん。
「二人、どうした?山に登りたいって言ってて、ちょっと気になったから」と。

“どうしてる?”とメールをして、返信を待ちながらお話。
どうやら、“本部富士”という山の写真を見せてくれていたのだけど、そのお客さんは登山口を見つけるのに
「いやー、縁がなかったのか10年かかったよ。ヤンバルではそんなことないんだけどね」とのこと。
「10年も!かなり分かりずらい場所なんですね」

そんな風に話していたら、返信。

「あ。」

11079067_1590640464481265_850851406_n

「すでに登った写真がきましたよ…」
「え!なんで!!」

何でもやっぱり登山口を見つけるのに手こずり「4時間もかかりました」だそうな…。

そんな流れから、翌日は二人にヤンバルの案内をするために、那覇から本部町まで迎えに行ってくれ、一日かけて二つ山を登ってくれたそう。

あとで見せて頂いた写真は絶景!そして、それ以上に二人の表情がとてもいい。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

上に載せた写真のように、沖縄の風景には綺麗な海が入ってくる。

けど、識名園という琉球王朝の庭園からは山しか見えない。当時、中国からのお客さんに対して国土を広く見せるため、海が見えない景色を見渡せる様に作ったとのこと。なるほど…という納得と、それでもやっぱり何だか不思議な感じが入り混じる。

その識名園へは、引っ越した当初に、水場にイモリがいるらしいと聴きつけて初めて行ってきた。それはそれは可愛イモリが他の小魚やカニなどと同じ空間にいて、その姿でしばらく頭の中がいっぱいに。

後日、ホームセンターに行った時、水槽に入っているのを見て、家に連れてくることにしたのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

日曜日には、お世話になっている方に声をかけてもらって、イベントのひとコマとして餃子作り体験部をしてきました。

603830_644599828979451_435468503947441336_n

沖縄に来てからは、小学生や就学前の子と触れ合うことが多かったけれど、この日は初めて中学生と過ごす一日。まずは元気!そして、いろんな気遣いの様子が感じられて、ほのぼのして帰ってきました。

あの年齢の子たちが持つ特有のsensitiveな雰囲気というか、他人を傷つけるためではなく研ぎ澄まされた鋭利さというかは、時間を重ねていくと、小さい時には出来た他のいろいろなことと同様に、剪定にかかって失われていってしまうのだろうか。オザキとかナガブチの兄貴とかで感じてしまうむず痒さは、失くしたそういうところをあからさまに擽るからなのだろうか。

うーん。

いや。そんなことない証明が遊びに来ているのか…と、ふと思う。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

あんなに小さいイモリだけど、やっぱり性格というのはあるみたいで。のんびりタイプや、落ち着きのないタイプや、気まぐれなタイプ…。

元気なのは良いけれど、一番気をつけなければならないのは脱走。水槽にはネットで目張りをしたりして、脱走しないように注意するのだけど、それでも脱走。イモリを飼っていて死んでしまう一番の原因だそうで、脱走してからは、室外やふろ場などの水場を目指して、途中で息絶えてしまうらしい。最初は“キムチさん”がそれで死んでしまった。
その後は、気をつけていたのだけど、一年後には後から入った“キウイさん”が、石ころを飲み込んだみたいで死んでしまう。

一人残った“ナムルさん”。二年近く一緒にいると、「おーい、ナムルさん」と呼ぶと、“ん?呼んだ?”と振り向いて寄ってくるように。

DSC_1382

だるまさんが転んだ…みたいにサッと見ると、サッとこっちを見たり。スイスイスーイと寄ってきては、じーっとこっちを見ていたり。時には、「くゎ」と鳴いて、こっちを呼んだりしていました。

そんな“ナムルさん”が、“キムチさん”と“キウイさん”と違ったのは、基本的に脱走を試みないということだった。

ここしばらく忙していて、家にいる時間自体が少なくて、なかなか気を配ることが出来ていなかったら、布団のところまで出て来て死んでしまっていた。

あんなに小さい生き物だけど、いなくなってしまい、やっぱりちょっとバランスを失う。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

ここ数週間盛りだくさんだったから、久しぶりに熱を出す。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

昨日、二人は帰京。

会ってみてほしいなと思うお客さんとたくさん話をしてくれて良かったし、自分がそういうお客さんに恵まれている中で生活できていること自体が有り難い。

それにしても、見ず知らずの関係なのに、真剣に話を聴いて、真剣に「う~ん…」と悩んでくれることは今日では貴重なことだろう。そして、逆からみると、「二人と“波長”があったんだな」というお客さんの言葉からもわかるように、二人の持っている人柄が、お客さんの“真剣さ”を引き出したのかもしれないなと。

そう。普段お世話になっているお客さんにも会ってみてほしかった教え子の二人でした。

カウンターの向かいから見ていて、胸がいっぱいに。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

このブログを書いている間にも、
「どう?二人、着いた?」と、顔を出しに来てくれました。

さぁ、また沖縄に来るのをみんなが楽しみにしてるよ。

11071752_643237839115650_3426257683561538899_n

卒業とロックスター

ぼくのフェイスブックのプロフィール写真は、豚さんと向かい合っていてお尻を向けているもの。顔が見える写真の方がいいかなと思ったけれど、そのために写真を撮るのも何だかなと。

数年前までは、活動の報告のために写真を頻繁に撮っていたので、数年前なら誤差の範囲だろうと自己判断して、過去の写真フォルダを見返していた。

そうなると、大掃除と同じで目的は前に進まず、みんなの写真を見るだけで終わってしまった。

「あぁ、みんな小さいなぁ」というのと、「自分はまだ誤差でいけるだろう…。ダメか??」というのを行ったり来たり。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

上手なヴォーカリストはたくさんいるし、個性的なヴォーカリストもたくさんいるし、端正な顔のヴォーカリストもたくさんいる。マイクをグルグル回すからメンバーが逃げ回ってしまうヴォーカリストがいれば、一生懸命に歌っている横で我関せずでギターを弾きまくっている姿に腹を立ててギターのプラグを抜いてしまうヴォーカリストもいる。

こんな風に“カッコいい”というのにはいろんな要素があるけど、バンド“Scorpions”のヴォーカル、クラウス・マイネの“声”の良さはちょっと別格。とにかく“声”の良いロックヴォーカリストというとクイーンのフレディ・マーキュリーが思いつくけれど、クイーンの曲をクラウスがカバーしたのを聴くと、グッと来てしまう。(Scopions – acoustica – love of my life)

そんな思い入れのある“スコーピオンズ”が、解散すると言って“最後のアルバム”を出したのが5年前。引き際を考えていたというようなインタビューを読み、発売日に買ったアルバムの最後で「The best is yet to come…」と歌っているのを聴いて、ウルウルしていたのでした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

今は節目の時期というのはここ数回のブログでも書いていたけれど、お客さんの中にも「卒業式が…」という方がチラホラ。

そんな中、ちょうど熊谷の写真を見て「あぁー、小さい!まだ少年だ!」と懐かしく思っていた子の高校卒業の知らせが届いた。

こういう知らせでいろんな気持ちが湧きあがってくるのは、子どもと接している仕事に就いている醍醐味。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

スコーピオンズは“最後のアルバム”を発表後、解散ワールドツアーを数年かけて行っていたけれど、ライヴをしていると「やっぱり楽しくね?」みたいな感じになって解散をやめたらしい。さっき調べてみたら、知らないうちにニューアルバムまで出していた。ちょっと拍子抜けしたけれど、まだまだベストは出せると思ったから、またそれを求めていくということなのかもしれない。

まぁ、考えてみるとロックスターと言われる人達は自由な人が多くて、オジー・オズボーンもアル中でボロボロになって「Mama, I’m Coming Home」という曲と共に引退したけれど、筋トレとかしてたら元気になりすぎてあっさり“帝王復活”となり、今では家族ぐるみでテレビに出ているらしい。

こんなことを言っているぼくも「沖縄に引っ越すことにしました」と報告したら「いやー、手島さんはロックな人生だねぇ。いやぁ、ロックだ…」なんてしみじみ言われたもんだけど、そう言ってくれた人は気がついたらイギリスに引っ越していて「はれ?ロックとは何ぞや!?」となった。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

いやぁ、良かった良かった。心から卒業おめでとう。

4月からは新しい生活。好きなことに向き合う時間は今までより長く、そして、より高度になっていくのだろうか。楽しいことばかりではないかもしれないけれど、君の持っている可能性はこれからもどんどん大きくなっていくんだろうな。そして、自分の人生を一歩一歩進めて、ソクラテスの言うところの“善”を求めていくんだと思います。ぼくも同じ様に過ごしていこうと思います。

そんな風に思いながら思い出した曲は、

“The best is yet to come”

雑感~準備中

何だか忙しいというほどではないのだけど、パソコンに向かう時間はなかなか取れなくなっていて。最近は新年度の準備をしています。

新しく棚を買って組み立てたり、自宅から教材の入っているダンボールを運んできたりしていたら、わき腹を違えたらしく、やたら痛い。特に笑うと痛いので、不意に笑うようなことのないように、ハハハ…と小さく感情を表すようにしています。あと、算数の参考書を買ってきておさらいをしているので、頭も痛いです。

まぁ、今は気持ちが切り替えやすい時期。出来る準備は少しずつ。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

先月から畑の一角を貸してもらっています。ただ、畑のある場所が少し遠いので頻繁に足を運べなく、「あまり手のかからない野菜って何ですかね?」と聞きまくっているので、開始早々に何だかモノグサな人になってしまっている。

先日、久しぶりに行ってみたら、畑の主に遭遇。

1426319142519

うちにはイモリの“ナムルさん”がいる(前は“キムチさん”もいた)のだけど、ナムルさんの1.5倍くらいあった。背中には金色の斑点があって、「主だ!」と興奮。そしたら、次から次に主が出てきて、何だかよく分からなくなってしまった。

けど、これは畑に行く頻度が増えそう。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

高校の時からヘビメタとかをよく聴くのだけど、ヘビメタ仲間の中には、自分の体調をヘビメタで測る人も珍しくない。ぼくも風邪を引いたりするとヘビメタは聴けなくなってきて、ひたすら『北の宿から』とかを聴きながら回復を待つ。で、元気になると、ムクムクとまたヘビメタ欲が湧いてくる…という不思議な現象があるのです。

今はわき腹が痛いので、静かにラフマニノフを聴いています。最初は辻井さんの演奏を聴いていたけれど、ネットで検索していろんなバージョンも聴いていて。
中でも、別の曲みたいに直線的で煽情的なカラヤンバージョンはお気に入り。

この切迫感のある演奏がいいってことは、そろそろわき腹も良くなってくるのだろうか。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

それにしても、前にラフマニノフを聴いていたのは人質事件のあった時。遠い昔のことのように思ってしまうこともあるけれど、今年に入ってからどんな出来事があったのかと思い返すと、やっぱり尋常じゃない。まだ3月中旬…。

教育と貧困と『スタンドバイミー』

大人になってから観返して、「あぁ、こんな話だったんだ…」と思った映画の一つが、『スタンドバイミー』。印象的なシーンはたくさんあるこの映画。ちょうど登場人物達と同じくらいの年齢の頃に観たからか、ストーリーよりも犬とか汽車に追っかけられている印象の方が強かった。

大人になって、映画観賞会と称して子どもと一緒に観た時、人知れずホロホロしてしまったのでした。

ちなみに、沖縄に越してきた最初の一ヶ月間は誰も知り合いがいないので、ひたすらドラマ『24』を観ていて、『スタンドバイミー』に出てくる不良グループの親玉が、ジャックバウアーになっていると思うと何だか不思議な気分になったもの。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

最近、話題の映画に『みんなの学校』というのがある。実は、いろんな方面の方から紹介してもらっていて、教育関係の人、特に不登校関係の人にとって注目の映画となっている。

映画『みんなの学校』公式サイト

実存の大阪の公立小学校が、いろんな子どもを一同に観ているというドキュメント。“不登校も特別支援学級もない”という文言がキャッチコピーに入っている。

興味はあるけれど、「沖縄では上映されないですかねぇ」という声も。まぁ、そのうち何らかの形で観られることを期待。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

ニューヨークで生活していた友人が、帰国した時に、
「日本の格差なんて、まだまだマシだよ」
と、言っていた。もちろん、アメリカに比べて、という意味で。

アメリカの公教育の歴史というと、黒人差別の問題などが頭に浮かんでしまうのだけれど、今は、どの家庭に生まれるのかによって将来はほとんど決まってしまうということらしい。

彼が言うには、“公教育といっても学校間で大きな差がある。しっかりとした教育を提供している学校に行くには、そういう公立学校のある地域に生まれ育つことが必要になる。貧困層がそこで生活することは、まず無理。で、学校には結果的に、同じ様な社会層の人達が集まる。公教育と言えども、その質には開きがあって、その社会層が再生産されていく”と。

学校を含めた地域性の上で、事実上、階層格差が顕在化している。健康保険の話や“経済的徴兵”などなど、その影響は遠く離れたこの地でも耳にすることができる。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

映画『みんなの学校』の話を聞いた時に、一番最初に頭に浮かんだのは、この友人の話だった。

ぼくの頃には事情があって“越境”してしる子はいたけれど、今は学校を選択することができる地域が増えている。大阪に住んでいた方に、その地域についての話を聞いてみたり、ネットでいろいろ調べていたら、「もしかして…?」と思った通り、この映画のモチーフになっている学校のある地域も選択性を取っていた。

ちょっと話は違うけれど、公教育の中で、いろんな地域の事情に合わせた編成を組んでいる学校の話は聞いたことがあって、中でも外国人の多い地域での実践というのは、互いの民族性を重視した柔軟な対応をしていた。
ただ、地域全体がそうなるというよりも、その学校に外国人の子ども達が集まってきているような印象もあって、学校内では融和が図られているようだけど、地域としてハッキリと線が引かれているようなことになっていたら、だいぶ話は違ってくると思ったことがある。何処ぞの人が、移民を受け入れて居住区を分ける、みたいなことを言って批判を浴びていたけれど、現実問題としてその批判に当たるような社会環境は成立しつつあると考えられるのかもしれないし、考えようによっては、あんな人の妄言よりも、この現実の方が重く受け止めていかなければならないのかもしれない。

電話相談をしていると、学校のいろんな話を聞くことがあったけれど、匿名での相談ゆえか歯に衣着せぬ意見を聞くことが多かった。この排他性はどこまで広がってしまうのかと心配してしまうことも多かった。保護者ゆえの心配だということは大いにわかるのだけれど、その範疇を超える意見も珍しくない。

とにかく映画を観てみたい気持ちは大きくなっている。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

沖縄県内では、“貧困”という言葉がキーワードに教育が語られることが多い。越してきた当初していた就活先の中に、某自治体の“貧困家庭の子のための学習スペース”立ち上げみたいのがあったけれど、2年と経たずに予算が下りなくて消滅してしまったそうな。う~ん…。

そもそも、貧困と学力には相関関係があるのか。一見説得力があるように見えるけれど、これは本当なのか。例えば、単純にお金がないと良い高校、良い大学に入れないという印象があるけれど、昔から地域で一番“良い”高校が公立だというのは、珍しくない。学費がかかるから…という視点は安直ということになる。じゃぁ、進学塾のお金が…と言っても、公立高校の入試問題は学校の教科書の範囲からと決まっている。最近では、塾に行けない子どもを集めて無料で学習指導を行う自治体もある。それでも、やっぱり差がある…という声はなくならない。じゃぁ、足りないものは何なのか?

公教育が広く敷かれるようになったことで、学力を始めとする教育の結果は、個人の責任とされるようになってしまった。戦後まもなくは、国家が子どもの教育に対しての責任を負いきれていないという点を、どういう風に克服していくのかという視点があったけれど、今は「学校、行けばいいでしょ。みんなに平等にあるんだから」となる。簡単に言えば、平等に教育の機会が与えられているがゆえに、勉強が出来なく、結果貧困に喘ぐのも“自己責任”という視点が生まれる。果たして、この視点に正当性はあるのか?

上記のような内容については、刈谷剛彦さんの『大衆教育社会のゆくえ 学歴主義と平等神話の戦後史』中公新書 にて、データを分析しながら詳しく考察してあるので、興味のある方はぜひご一読を。
1995年初版なので、現状はこの本からまた一歩進んでいると思う点もあるけれど、根本的な柱については深く納得させられる。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

『スタンドバイミー』でリバー・フェニックス演じるクリスの様な子、いたなぁと思う。

「どうせ自分は、あの家の弟だって言われる。信じてもらえるわけない」と言っていたクリスは街を出て弁護士になるけれど、現実社会では、埋もれていく子どもの方が圧倒的に多いだろう。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

一つ思っていることは、貧困家庭への対策は福祉としてもちろん必要だけれど、それと子どもの学力の問題を、教える側の人間が安直に結び付けてはいけないということ。目の前にいる子どもが勉強が解らないのは、その子の家庭が貧しいからではなくて、単純に自分の教え方が悪いからだと思わなければならない。例えどんな形であろうと、目の前にいる子に何かを教えるとなったら、全ては教える側の力量次第。教えたことが、どういう種となるのかは子ども次第かもしれないけれど、少なくとも良い花を咲かせるに足る種である必要がある。

そして、そういう時間を重ねていき、子どもにとって“Stand by me”の存在に成り得たのなら、この上なく感動的な花を見ることが出来るのだと思うのです。

あぁ、年度末。それより、新年度。

気がつけば3月。沖縄だからなのか、公立高校は既に卒業式が終わったみたい。ぼくの頃はもう少し学校に行っていた気もするけれど。男子校でしかも付属の高校だったので、「あ、またね」みたいに終わった卒業式。

さて。
何かと“年度末”という言葉を耳にする時期。元旦に新年を迎えるのよりも、エイプリルフールに新年度を迎える方が、心の上での出来事としては大きいと思う。生活環境の変化は、圧倒的に4月が境。まぁ、お店を始めてしまえば年中変わらない生活なのだけど、よく考えればキッチンコーラルも去年の4月2日がオープンした日なので、やっぱり自分も「あ、新年度」なのです。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

今まで、いろんな相談を受けてきて、いろんな意味で一区切りになりやすいのもこの時期。この区切りをどうやって意識するかによって、その緊張感も違うものに。

「卒業式、どうしようかな」という言葉を耳にするのもこの時期。

「卒業式、行きたい?」
「えー、一回も学校行ってないのに?別に」
「じゃぁ、別に行かなくていいんじゃない?こっちでやろう」

これは、まだまし。
「卒業式、来いって言われた。そうじゃないと卒業証書う渡せないからって」
この後のやり取りは、さっきと同じ。

学校との関わりをどうやって考えるかはそれぞれだけど、「自分はフリースクールで勉強する!」と決めた時には、極端な話、卒業証書だけもらえるようにしておけばいいと思う。しかも、親御さんの手に渡ればいい。上記のように、一回も登校していない、おまけに一回もテストを受けていない、という場合でも、卒業証書を渡されなかったという話は身の回りでは、ない。いろいろと学校から言われることは多いけれど。

子ども自身は何の思い入れもないのであれば、「はぁ、卒業証書、もらってもねぇ…」と思うのも、当然。
その代わり、
「それより、こっちの卒業証書、作ってよ」
「はれ?卒業証書?ほしい?」
「そりゃ、まぁね」
というやり取りをしたことがあって、ぼくとしては意外だったけど、急いでフリースクールの卒業証書を作ったことがある。あぁ、やっぱり気持ちの区切りの時期なのかな…と思い、それ以来は学校の卒業証書をもらうタイミングで卒業する子には、オリジナル卒業証書を渡すようにしていた。過ごした時間というのは、やっぱりみんなの中で生きているんだな、と改めて思った瞬間だった。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

親御さんは、いろいろな心配をされるけれど、一番大事なことは、新年度をどうやってポジティブに迎えるのかであって、そのためには今年度のことは実はあまり関係ないことが多いのです。むしろ、さっさと今年度の余計な苦労を捨て去って、「さ、まぁ終わったこと。次、次」となってしまうのが一番良い。

もちろん、学校との間でいろいろなやり取りがあり、何とも解消しがたい苦々しさが残ることもあるかもしれないけれど、それを解消するのは、子どもが新年度から楽しく毎日を過ごしていく姿に他ならない。学校関係の友人もいるのであまり大きな声では言えないけれど、しばらく学校じゃないところで勉強すると決めた場合には、「まぁ卒業証書が手に入ればいいや」くらいで学校からのアプローチは適当に聞き流せるくらいになると一番良いと思っている。

こんな話ばっかりだとアレなんで、「○○君のこと、本当にお世話になりました」と、わざわざぼくに連絡をしてくる先生もいたことを付け足しておきます。まぁ、こういう先生の場合は、家庭と学校間にトラブルらしいトラブルも生まれない。どちらかというと、
「どうして学校に行きたくないんでしょうか?」みたいに担任の方が憔悴していたりもして、
「まぁそれより、今ここで元気に過ごしていますから。それが一番ですよ。ご安心ください」と返しても、
「はぁ、すいません…」みたいになってしまい、担任の方が心配になるようだったりもした。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

さっきも書いたように、一番大事なことは子どもが毎日充実して過ごしていることで、全てにおいてこれほど説得力のあるものはない。そして、これは別に学校に行っているとか行っていないとかとも、全くもって無関係のことだということも言えると思うのです。

。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。゜。

さて。

今年度ちょっと大変だった方は「あぁ、やっと終わるー!」の気分で、「新年度は楽しい毎日が待っているかも」と気持ちを切り替えていけるといいですね、と電話相談では言っていた3月です。