「ひどいねぇ。この事件は本当にひどい」
神奈川で中学生が亡くなった事件のニュースが流れる度に、お店では辛い空気が流れる。痣だらけの写真も一日中テレビに映し出され、あまりにも痛ましい。
「被害者のプライバシーはないんですね」と言っていたお客さんの言葉も重い。
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神戸での事件がきっかけとしては大きかったと思うけれど、重大な子どもの犯罪が起きるとその度に少年法の改正が言われる。その中でも、今の少年法は戦後GHQの指示の下に作られたものであって、現在の社会にはそぐわないというの意見はよく目にする。
今回の事件も、逮捕されたのは18歳なので、少年法の下に“守られて”いる。
何とも言えない理不尽さ、常軌を逸しているところから、少年法を改正した方がいい、という気持ちになる人がいるのも当然だと思う。
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思い出したのは、昨年秋の北海道の事件。
逮捕された子は、17歳なので、少年法の下に“守られて”いる。
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情状酌量という考え方ももちろん大事だけれど、情状酌量ばかりで、文言は形骸化してしまう可能性がある“法改正”になってしまうようだと、秩序の基盤には成りえない。
もしも自分に子どもいて…とか、教え子が…と想像する(想像したくもないけれど)と、その時には想像しがたい攻撃的な感情が生まれるような気がする。だから、こういう感情を否定することは決してできない。
ただ、法律や憲法というのは、こういう感情を超越した確固たるものでなければいけないと思う。感情というのは、振り返った時に、いつも正しかったという訳ではないから。
そもそも、少年法を改正すればこの様な犯罪はなくなるのか。それとも、ただ罰を与えることを目的に改正するというのか。後者であれば、犯罪の抑止という目的は二の次ということになる。(既に逮捕者の顔は拡散され、おそらく一生社会的制裁を受け続けるだろう。これは“罰”に当てはまるのか?だとしたら、誰によって、何のために?)
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「同じ様な思いをする子を出さないでほしい」
子どもが犠牲になる痛ましい事件が起きると、遺族の方で、この様に言われる方も多い。
今回の事件も、何とか防ぐことは出来なかったのか…と思う。転校という子どもにとって大きな出来事の後、学校に来なくなったということは、大いに注意するタイミングだったと思う。友達に痣の写真を撮らせた時は、笑顔の下には最大限のSOSがあったのではと想像してしまい、その命がけの行動が辛い状況を脱出する糸口にならなかった時の絶望感を思うと、胸を握りつぶされそうな気持ちになる。
北海道の事件に関しても、同じ様に防ぐことが出来なかったのか。逮捕された子からのSOSはなかったのか。調べれば調べるほど、この思いは強くなる。
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このご時世、インターネットでは捕まった子の顔写真が(見たくもないのに)拡散されている。今は容疑の段階でもある。
おまけにいろんな憶測が飛んでいる。そこには、最近の傾向に違わず、逮捕者に対して民族的な推測が含まれている。明らかにデマとわかる内容でも伝聞されるにつれ、「詳しい情報、ありがとうございます!」みたく真実のように語られ始めている。
こういう差別意識は、戦前から受け継がれていることは間違いない。関東大震災のデマが生み出したことについては広く知られている(被差別部落の人達もかなり虐殺されていることを知らない人は結構いるようだ)。あの時の殺害の仕方も、ひどくおぞましく猟奇的なもので、それを自警団と名乗る警察でも何でもない“普通の人”が行っていた。
ネット上では、事件を追いかけているつもりでいて、気がつけばこの戦前からの意識が顔を出しはじめている。扇動している姿とそれに群がる姿を見ると、逮捕された少年達の行っていたリンチと、行為としては重なって見えてしまう。
やっぱり、素朴に疑問。それは、何のための行動なの??
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改めて言うと、少年法を云々言う前に、まずは出来ることがあるのでは、と思う。インパクトが強く、社会に大きくフラストレーションが溜まっていくような事件が起きた時に、ただただ「厳罰だ!」となってしまうことは、フラストレーションの捌け口としか作用しないかもしれない。実際、捌け口を探しているかのような言説も生まれているというのは上述のこと。
お客さんも話していたが、そもそも「凶悪犯罪の低年齢化」って本当に正しいのか。この言葉の持つ影響力を考えれば、「最近の若い人は」という思考を必要としない常套句と同じ様に使われてはいけないと思う。ただただ、感情的になるところをくすぐられ、扇動されることだけはないようにしたい。
一番大事なことは、次の犯罪を起こさないことだと思う。そのためには、犯罪を防げた可能性をより広い範囲の人達が持っていたかもしれないという意識が必要。身の回りで同じ様なSOSは発せられていたら、ちゃんと動けるのか。また、気がつけば猟奇的な空気を作り出してしまう社会を受け継いでいると冷静に振り返ることも大事だと思う。これらのことなく、法律だけ改正したところで、罰は増えども罪はなくならない。
これは、被害者の子に対して唯一今から出来ること。
“同じ様な思いをする子を出さない”ためにも。