ちょっと山道を歩いて

今日は、お昼に一度抜け出して、用事を一つ。その時に“底川(スクガー)”と呼ばれる昔の別荘の跡地を見せてもらいに。

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「すごいな…」と思わず。

建物はなくなっているけれど、井戸があったりして、当時の暮らしを感じる空間。だけど、草木が生い茂り、人間の生活に自然が覆い重なっているような。なんだか“ラピュタ”に出てくるような別世界でした。

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辺野古の工事は着々と進んでいます。実家が大浦湾にあるというご近所さんは、

「砂浜の様子が変わっている。潮の流れがなんか変わったんじゃないか」と。昔から馴染みのある生活圏の変化を、肌で感じ取るように見ていて。

この前のブログでも書いたように、年配のお客さんは沖縄の地形などについて詳しい。辺野古には滑走路を2本作るという話の時から、

「あの辺は、水深が深いから、そのうち船を停めたいんだろう。軍港になるんだよ」と言っていたけれど、あれよあれよとそんな話も本当に耳にするようにも。

それにしても、基地が完成したら、この先200年は使うことになるという話…。

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震災の被災地に行って感じたことは、“自然に優しく”なんて言葉は人間が使えたものではないということ。自然と共存するのでもない。人間は、ただただ、自然の一部分として慎ましく生活することしかできないんだなと。自然は、それくらいに圧倒的な力を持っている。

もしも、人間が驕ったとすれば、自然の変化に遭遇した時に、本来必要のなかったはずのダメージまで受けてしまうんだろう。原発事故のように。

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今日は、山道を少しだけしか歩いていないのに、すでに足が痛い。

年を取ると筋肉痛が遅れてくるというけれど、関節の痛みは待ったなし。悲しい。

けど、自分の体も自然の一部だとしたら、必要のないダメージを受けやすい身体にしてしまっているのかなぁと思ったりもしています…。

沖縄文化と民族教育

この前、初めていらした年配のお客さんから、いろいろな話を聴かせてもらった。苦労に苦労を重ねて生きてきた世代の方。思わず目頭が熱くなるような話も。

けど、
「こっちの若いのは、こういう話は聴かないよ。もうそんなこと言ってる時代じゃないよって言われるよ」
とも。

ぼくの知り合ったウチナンチュの人達はそんなことはないのだけど、確かにそういう人達もいるんだよなぁと感じたことは一回や二回ではなかったり。

沖縄は、伝統的な年中行事などをかなり熱心に継承している印象がある中で、戦中戦後の出来事についてはさっきの言葉のような“距離感”を耳にしたりするので、そのギャップに混乱することがある。

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文化を継承することに最も大事なことは教育。そして、その継承の仕方は、たまに行われる“ウチナーグチ講座”のようなイベントによるものでは成立しない。自分達の文化や生活に即したものが、恒常的に教育の中心に置かれている必要がある。つまり、その文化・生活によって、教育が構築されていることが条件になると思う。

例えば、復帰前の沖縄では“ドル”で生活していた。けど、使っている教科書には“円”を用いた文章題が出てくる。
想像してみる。明日からこの国の教科書に出てくる全ての“円”が、“ユーロ”に変わったとしたらどうだろう。ただただ、計算があっていればいいという問題でもなく、慣れの問題でもない。生活・文化からかけ離れた基準で作られたものを“学んでいる”ことになってしまう。

上記は極端な例かもしれないけれど(復帰前の教科書の話は事実)、アイデンティティの形成に大きく関わる歴史だったり、地理だったりに関しては、社会や民族性を維持していく上で、もっと直接的な問題が出てくると思う。“新しい教科書”の人達が言っている民族形成における教育(教科書)の影響力のようなことはやっぱりあるのだと思う。(ぼくは“新しい教科書”の主義主張とは正反対の考え方。念のため…)

ウチナンチュの人達からは「自分はウチナンチュで、ヤマトじゃない」という意識を節々で強く感じるけれど、ヤマトの教育に関わりながらアイデンティティを形成していくことから生まれる“揺れ”を感じることが多々ある。戦中戦後の、教育などとは言ってられない動乱の時代を自分達の力で生きてきた世代と、社会がある程度落ち着いて日本の教科書で育ってきた世代とでは微妙なギャップが生まれるのは必然なのだろうか。

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沖縄に移住してから、歴史上における沖縄独自の学校について調べていたのだけど、なかなか見つからなかった。年配のお客さんに質問したこともあるけど、「それね、ないよ」という返答だった。中国との貿易のために官僚を育てるような“教育”はあったようだけど、いわゆる民族という視点に基づく近代教育というのは、本土から持ち込まれた学校(“大和屋”と呼ばれていた)が初めてのよう。しかもこれは、琉球独自の民族性・文化を否定し、本土との同化を強いるものだった。
(ただ、この様な沖縄の教育史についてはまだまだ勉強中。何か良い本があったら教えてください。特に琉球処分前のもの)

ぼくはウチナンチュから見ればヤマトの人間なので積極的に話をすることに躊躇するときもあるけれど、個人的には、今このような状況だからこそ、琉球・沖縄の文化から教育を構築するようなチャレンジがあってもいいと思っていて。

いうなれば、“琉球民族学校”のようなもの。

“民族学校”といっても、例えば、国語をウチナーグチに直すとかいう極端なものではなくて。“古典”や“漢文”の位置にウチナーグチを置いたり。算数の教科書でも、沖縄の生活に即したものに。社会科の軸は、琉球史と沖縄の地理にする。(年配のお客さんの話を聴いていると、沖縄、奄美の地理・歴史についての知識が、相当細かいところまでに渡って深いことにびっくりする)
こんな風に考えていくと、決して実現できないようなことではないと思う。沖縄は文化に溢れている。一つ一つ点在している文化を、教育という観点で集約、体系化していくことで十分可能なのではないかなと。

ただ、教科書から編成し直すということは、教育指導要領から外れるところもたくさん出てくることに。つまり、公教育で実現することは不可能に近いのだけど、オルタナティブ教育においては十二分に可能なこと。

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冒頭のエピソードは少し寂しいものだったけど、昨日テレビで映されていた辺野古で座り込みをする学生や高校生の意見には感心した。戦中戦後の大変な時期を自分達の手で生き抜いてきたおじぃやおばぁの“血”を垣間見たような気がした。

インタビューを受けていた高校生は、「いつか自分に子どもが出来た時に、あの時自分は何をしたのか答えられるようにしたい」といったようなことを話していた。

この地の未来への眼差しはすでに生まれている。それが過去から絶え間なく繋がるようなものであるならば、戦中戦後も含めた沖縄の人達の文化・民族性が振り返られる時が必ず来る。そんな輪に対して、自分にできることは最大限にしていきたいなと。

教える立場としての目標

今まで、学校やフリースクールはもちろん、福祉施設なども含めた様々なところで、学習指導の様子を見させてもらってきた。子どもを対象としている団体である以上、「うちは勉強は教えられませんよ」なんていうところはほとんどないから、施設見学をすれば、自ずとどうやって勉強を教えているのかな?というところに目が行くことに。

以前、“フリースクールのタイプ分けを試みる”というブログでも書いたけれど、“どうやって教えるのか?”というのは、教育団体においては大きな特徴に。ここで、“教育団体においては”と書いたのは、子どもを対象にしている団体は、他にも福祉分野だったり、医療分野だったりと、多方面に渡るから。

一度、ある福祉分野の学習指導の場面を見学したことがある。正負の数の計算をしていたのだけど、

「ほら、マイナス×マイナスは、プラスだって言ったでしょ」
「あ…」
「プラスにすればいいだけだよ」
「はい…」
「答え、見てごらん。合ってるでしょ」
「はい…」

と、まぁ終始こんな感じで、何とも言えない気持ちになった。“学習の時間”というよりも、「とりあえず勉強もさせています」というものでしかなかったから。

それでは、学校ではどうなのか。昨年聴きに行った、県内の学力に関するシンポジウムでは、
「正負の数が教科書ではどうしてもわからない。だから、プラスは財産、マイナスは借金として計算させているんです。そしたら、みんな正解しました」という教員の発表があり、
「そういう工夫、大事ですね」みたいな感じで、拍手喝さいだった。

財産・借金は、正負の数の導入としては分かる。けど、計算が出てくる度、ひたすら財産・借金に置き換えさせて「計算が合ってた!」という報告だった。これでは、例えば、“+3万円の借金”と“-3万円の借金”がどういうことなのか、ワケわからなくなってしまう。本来、“財産という概念”と“借金という概念”を、どちらか一つに統一することが正負の数の意義なのに、そこには行きつかなった。これじゃ、内容が進めば進むほど行き詰ってしまうんじゃないかな…と。

なんだか残念な例ばかりを挙げてしまったけど、どちらにも共通することは“正答を得る”ことが教える側の目標でもあるということ。そうすれば、子どもにとっても、それが目標になってしまう。

もちろん教材研究だったりを重ねに重ねている人もたくさんいる。ぼく自身、そういう人達にどれだけいろいろ教えてもらい、どれだけ参考図書を頂いたかわからない。(こういう方々は、常に知識や方法に関してオープン。見ている先が違うのかなと思ったり)

“どうやって教えるのか”ということは、もちろん教える側の課題。教えるのに同じ時間をかけるのでも、本質を軸に教えて「わかった!」を導く人もいる。“正答を得る”ということが学びの目的ではなくて、学びの目的は“学び”そのもの。今一度原点を見直したいなと。

どんな場所にいる子でも、「○をもらえて楽しいな」ではなくて、「勉強って楽しいな」という瞬間を積み重ねていくことが、いろんな興味関心を繋げていくために大事なこと。そのうち「○をもらうため」の時期は終わるのだから。一人ひとりが抱く興味関心は、どういう人生を歩んでいくのかの道標でも。そんな素晴らしいことに関われるのだから、全力で自分も努力していかないとな…と思うのです。

遠い地を思いながら

報道を見るのに勇気がいる。そんな日々になってきた。昨日も寝際に入ってきたのは最悪のニュースだった。

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ぼくは、基本的に、いろんな“成功者”の講演会とかには行かない。けど、自分にとって知りたいことについての講演会や資料館、企画展などなど…は、できる限り行く。

高遠菜穂子さんの講演会もその一つだった。手元でありとあらゆる情報が即座に手に入る今日とは違って、電話線を繋げながらインターネットを使っていたような頃。ステージ上に映されたイラクの惨状は、初めて目にするもので強烈だった。正直、目眩がして、蕁麻疹が出るんじゃないかと思うくらいだった。

あのような中で生活している子どもがたくさんいて、彼女はその子ども達に接近しようと身を粉にしている人だった。自分もできることならば参加したいけれど、そこまでの力もない。その差は何だろう…と悩んだし、結果、尊敬するしかなかった。ただ、自分は自分のフィールドでできることをする、それだけはしっかりとやろうと思った。

それにしても、帰国してからの方が大変だったんじゃないかと思うほどの国内状況が、結果としては彼女の活動を潰してしまうんじゃないかと思うと、何ともやりきれない気持ちになった。

けど、今でもしっかりと情報発信を続けているようだ。自分の想像を超えた人物だった。

“集団的自衛権行使がもたらす惨禍-「対テロ戦争」で若い命失い一般市民の犠牲を世界に拡散|高遠菜穂子さん”
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140630-00036891/

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教育にとって大事な使命の一つに、「平和を繋いでいくこと」がある。いろんなことは体験から学ぶチャンスがある。けれど、戦争については、体験から…という訳にはいかない。それゆえに、繋いでいくための努力をしなければ、儚くも失われてしまう。

だから、平和に関する教育だけは、子どもの興味を優先して…というものではないと思っている。

ぼくは、幸せにも戦争を体験しないで育ってきた世代。知ろうという努力をしなければ知ることはできないし、知らないことを子どもに伝えることもできない。

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壮絶な土地であっても身を粉にして活動している人達の話を聴いてきたことが、震災の後に被災地へ行くという行動を後押しした一つの要因だったと思う。それが、あの時に自分でできる精一杯のことだった。

被災地でボランティアをしている時に、中年のメディアの人と話をする機会があった。通り一辺倒のやり取りをした後に言われたことは、

「で、どうしてこういうことしようと思うの?何の得もないでしょ?また地震があって、津波がくるかもしれないし。自分ならこんなにお金と時間をかけてボランティアなんて絶対やらないから、理解できないんだよね」

ふと、思う。被災地でボランティアをしている時に、再び大きな地震があって被害を受けていたとしたら、ぼくも“自己責任論”の対象になっていたのだろうか。「危ないと分かっていて、それでも好きで行ったんでしょ?」と。

あの時は、いてもたってもいられなくて…だった。だから、あんな質問を投げられても、「なんででしょうね…」としか答えようがないのが本心だった。自分のことだけど。

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今、沖縄では、辺野古での海上保安庁の“横暴”に疑問を投げかける報道が多くされている。写真を見ると目を疑うような場面の連続。警備だなんだという理屈なんか思い浮かびもしない、ただただひどい状況。いったいどうなっているんだ、と。

これも、海上で自らの身も危険に晒しながら写真を撮ってくれる人がいるから、知ることができたこと。もちろん、知らないで済ませておくべきことではない…と思う。

“辺野古、私が船長の船にも海猿たちが乗り込み、暴力行為”
http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/a826a16887cb8edbf1c41ce7e651f0eb

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バラエティに“戦場カメラマン”が出てくれば、その人の過酷な体験から来る“良い話”によって“日本人”という枠組みで高揚するのに…と思い返すと、いったい何なんだろうと思う。

ぼくはものすごく大切な仕事をしている人達だと思うし、出演している番組でもその様な取り上げ方なのだけど、本来その仕事はこの国には必要がないということなのか。それとも、本質的には“理解できない”類の話なのか。

何かあれば、手のひらを返したように「危ないと分かっていて、それでも好きで行ったんでしょ?」と、吐き捨てるのだから。

ちなみに海外ではどういう風に論じられるのかというと、ま逆と言ってもいいようだ。昔も、今も。

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これから、どういう流れになるのか。政府のいろいろな発言からは、心配しか生まれてこない。威勢のいい言葉だけが踊り、扇動されるようなことだけはないようにしたいけれど。

けど、もしも。
“自立支援”とか“社会貢献”とかいう言葉の下で、不登校や引きこもりの人達が何かの対象になった時に、社会は何て言うのだろうか。反対の声を上げるのだろうか?それとも、“自立支援”とかのワンフレーズを繰り返し、「本人のためだから」と言うのだろうか。

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いてもたってもいられなかったんだろうな…と思う。

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自分が少しでも“強者”になることで、または、隣の人よりも少しでも“上の立場”になることで、迫りくる窮状を潜り抜けようという風潮が強くなってくれば、いろんなことが一気に加速していく。

身を危険に晒してでも困っている人に接近しようとしている人達は、これとは正反対の生き方をしている。そして、フィールドは違えど、同じ様な思いで同じ様に身を削りながら行動している人達に囲まれて、ぼくは生活している。

だから、これからのことに絶望はしていない。

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無事を祈っています。

無事を祈る

お店によく来てくれる小学生の男の子は、『鉄腕アトム』がお気に入りのよう。将来はお医者さんになりたい、とのことだったので、『ブラックジャック』も買っておかないとね、と話していた。

ぼくも小さい頃は手塚治虫のマンガをよく読んでいた。当時のぼくからすると『どろろ』はものすごく苦手なジャンルだったのだけど、何度も何度も読んでいたので結構克明に記憶に残っていて。

そんなだったので、熊谷の時には『どろろ』をスペースに置いておきたくなり古本屋を探し回って買ったのだけど、やっと見つけた愛蔵版は、ぼくが小さい頃に読んだのとはちょくちょく変わっているページが。そう、今では“差別用語”にあたる単語が消えていた。

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昨日の人質のニュースで頭の中がぶっ飛んでしまい、しばらくニュースは見ないで、お客さんにいただいたラフマニノフのCDを聴いていた。

現実逃避。

けど、いつまでもそうも言ってられない。

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集団的自衛権のことで発表があったのが、去年の7月。あの時のブログでも書いたけれど、心配症と言われる自分が10年くらい前に思っていたよりも、事は速く、そしてなりふり構わず進んでいるように見える。

国会が始まってから今の流れを後押しするような“事件”があったりすることを危惧していた。だけど、フランスの“事件”があり、これは大変だと思ったら、さらに今回の“事件”。

あの解釈改憲から、半年ちょっとしか経っていない。通常国会もまだこれから。

この半年間、自分は何をしていたのかな、と思う。遊んでいたつもりはないのだけど。。。

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『どろろ』の中で、小学生のころに思わず涙がこぼれたシーンがある。

“捨て子”を集めているお寺があり、夜中にそこへ夫婦が赤ちゃんを“捨てに”くる。その場面を、主人公に見つけられ、咎められる。

父親は、自分だって可愛い赤ちゃんを“捨てる”のはつらいけど、生活のために仕方ない、この親の辛さが子どものお前に分かるか、と迫る。

主人公は、“捨てられた”子どもの気持ちはわかるのか、自分も“捨て子”だったんだ、と返し、泣く。

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成人するまでに広島・長崎に行くことのなかった自分にとって、子どもに関わる仕事についたからには、子どもを連れて被曝地を回るというのが、自分に与えた大きな課題の一つだった。夜行列車に乗り、5日間の強行日程で二つの被爆地を巡ることが出来たのは、この国が世界でリードしていくべき絶対的なものがそこにはあると確信していたから。

それはそれは辛い現実と相対する旅だったけど、小学生も一緒に被曝者の写真を全て見て回った。
「これを見たら、戦争なんてできないよ」と、日記に書いている子どももいた。ちょうど8月6日に広島にいたので、外国人もたくさんいた。外国人にも向けられた言葉だった。

アメリカでは原爆を落として良かったという意見が多くあるというのも知っていたし、授業でも何度も取り上げてきた。こういう話になると、
「ひでーな」
「やっぱり、そうやって教えられてるからかな?」
「あの写真を見たら、そんなことは言えないよね」
と、みんな言っていた。

腑に落ちなかったのは、実際にいろんな場面に遭遇しているアメリカ兵も、「原爆を落として良かった」と言っているということ。あの状況に直面したゆえに自己肯定か?…と思ったりもしたけれど、自分の中でも子どもと同じ感想がある。

「これを見たら、戦争なんてできないよ」

それだけ、圧倒的に悲惨な場面。何処の人であろうと「原爆を落として良かった」なんて、とてもとても言えないと感じた。実際にその場面を目の当たりにした人もいるのに…と思うと、やっぱり腑に落ちなかった。

けど、ちょっと衝撃的な内容のブログに出会う。

“ふたつの太平洋戦争”
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

ツイッターやフェイスブックでは紹介した文章だけど、未だに何度も何度も自分の中で反芻している。

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空爆によって、財産や大事な家族を失う人達がいる。お前は遠くからわざわざその空爆を支援することを得意げに話している、と言っている。

事実と違うと言っても、すでにボールを投げてしまったことには変わりない。

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畑のお誘いがあった。

現状では、どこまで手が回るか分からないけれど、やるべきか。

もう、待ったなしだろうから。

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“自己責任”という言葉を投げかけられスーッと周りが引いていった人を心配して、唯一(と言っていいと思う)助けに行った人も映っている。目に宿る意思が強い。画面を通してでも伝わってくる。

とにかく無事に帰ってきてほしい。

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高校の頃、Extremeというバンドの『3 sides to every story』というアルバムをよく聞いていた。

“yours” のパートから始まり、“mine”、“ & the truth” と続く。

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灰谷健次郎さんの話を織り交ぜながら、その流れで絵本『はせがわくんきらいや』を授業で使ったことがある。話の語り部である長谷川君の友人について、紐解こうとした授業だった。

「ぼくは、はせがわくんが、きらいです」と日記に書いていた友人が、長谷川くんのお母さんから、長谷川くんとヒ素ミルクの話を聴かされる。その後、アイスキャンディーを食べている表情が、胸をギュッとさせる。長谷川くんのストーリーに接近した友人が、幼いながらに心を動かしているのが伝わってくる絵。

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一時期ほど、ガザの空爆の報道がなされなくなった。

この国にいながらイラクやシリアの悲惨な状況について知ることが出来たのは、遠く離れた土地で起きている悲惨な出来事を伝えてくれる人たちがいたから。そこで起きていることに、接近する術を与えてもらっていたから。

その術を元に、一人ひとりの困っていること、悲しいことに、一人ひとりの感情として接近していくことが本当に大事なことに近づいていく第一歩なのだと思う。遠くの国であろうと銃弾に倒れている住民を見たら、弾の一つにつながることすらしたくはない。

“IS( イスラム国) による日本人人質事件に対する声明  日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)”
http://www.jvja.net/JVJA_IS.htm

“戦争に行くという意味 後藤健二”
http://www.christiantoday.co.jp/articles/14394/20141026/goto-kenji.htm

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この国には何も起きていないから大丈夫、遠く離れているから関係ない、というのはもう通用しない。

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とにかく無事に帰ってきてほしい。

タブレット端末は教室に必要か?

最近、学校にタブレット端末を導入して、その教育効果が素晴らしいという記事をちょこちょこ目にしていて。なんでも2020年までに一人一台導入を目指すという話まであった。また、いっぺんに複数の作業を行うことが苦手とされる“発達障害”の子どもへの効果は、てき面だというレポートも。

もちろん、タブレット端末を使わなければ成立しないこと(授業の配信によっての学習や、障害の内容など)もある。今回は、そういうことではなくて、単純に“教室に、一人一台タブレット持ち込みましょう”ということについて思ったこと。

記事を見ていくと、タブレット端末は、持ち運びしやすく、写真を撮れるし、動画も撮れる、そしてその場で調べ物もできるから学校でも大活躍というようなまとめになっていて。ん?これって、ただタブレット端末の説明で、教育とは別に関係ないんじゃないの??と思ったり。

確かに、タブレット端末を導入すれば、画面に向かう子どもはたくさんいると思うし、勉強ソフトを通して“学習”するのだから、ある程度の効果はある、とは思う。ただ、それは『タブレットを操作すること』自体が目新しいから、単純に画面に向かう時間が増えるだけでは?という気がする。

冒頭に挙げた記事では、“発達障害”の子は先生の話を聞きながら板書をノートに写すのが難しいから、まず板書を写真に撮って、家でそれを見返してノートを作って…みたいに書いてあった。なんだか一日勉強に追われている姿は忍びないのだけど、そもそも、その授業構成に疑問が残る。

ぼくは、学習塾で講師に採用された時に、教える側のキャラクターが最も大事だけど、その上でも授業者として最低限の“基本”みたいなことを研修で教わった。そのうちの一つは、説明の時間と、板書をノートに写す時間は分けるということ。

そういえば、フリースクールに通うようになった子は、最初の授業の時に、ノートを取り漏らさないことに気持ちが向いてしまっていることが多かった。だから、

「今は鉛筆置いておこうね。後でノートを書く時間をちゃんと取るからね」

と、声掛けすることが必須だった。もちろん、後でノートを取る時に、今行った説明をもう一度反復できるような板書の仕方が大事になってくる。これは、まさに教える側の努力。(後々、「このノート、宝物だよ」と言ってもらえると、かなり嬉しい)

そもそも、聴きながらノートを取るというのは、誰だってかなり大変。ぼくは、電話相談をしていた時に、相談内容をメモしながら話をしていたけれど、後で気になったこととかを他の相談員に教えてもらう時にそのメモを見返すと、「これは何て書いてあるんですかね?」と、我ながら苦笑いすることが珍しくなかった。
また、性教育や性被害についての1時間半くらいの研修を文字起こしする担当になった時には、作業完了までに何日もかかった。その間、何度も再生し直したりして、しばらく頭の中が性の用語でいっぱいになってクラクラしていた。

そんな風に思うと、授業を聞きながら板書を見て、ノートを取り、さらにはいつ指されるかわからないという緊張感も加わったとしたら、そりゃ誰だって大変じゃないかなと思う。

最も学習の効果を上げることは、気持ちを“学ぶ内容”に集中させることだし、そのために必要なことは、楽しい授業を行うこと。タブレット端末の“操作自体”に気持ちが削がれていくことは、学習そのものに対する集中力を削いでいることにもなると思うのだけど、ある一定程度の効果があるってことは、普段どんな教え方をしているんだろうかという疑問しか出てこなかったり。

しまいには、「タブレット端末を使うと、授業の効率が良い」なんて意見まで出てくる始末で、“学び”に対して“効率”を求めるようなメンタリティで教育を語るって何なんだろうとガックリきてしまう。

逆に、タブレットが導入されていなくてもしっかりと授業を行っている教師からすれば、急に一人一台導入されたりして、それぞれが指をスッスッと動かしていたりしていたらやりづらくて仕方ないんじゃないかなぁとも思う。

別の視点として。
学校にタブレット端末が配置されたとして、それに頼った授業が行われるようになったら、持っていない子の自宅学習はどうなっていくんだろう、とも思ったり。特に沖縄では貧困と学習を結び付ける風潮があるのにな、と。全員に配布することは可能なのか?例え配布したとしても、それを自宅で使える環境は保証できるのか?などなど、家庭への寄付金で筆記用具を買い、それを大事に使って勉強していた子も見てきた身としては、首を傾げたくなることばかり。

こういう話が出てくると、少し前には携帯型のゲーム機器である“DS”を使うと、学習効果が上がるというニュースがあったなぁと思い出したりもして。新しいものにパッと飛びつくのは、ぼくの私生活もまさになんだけど、教育がこんなことで良くなるようなら世話はないなぁと。新しい道具を使うことが、進んだ教育とイコールになるわけではないという至極単純なこと。今一度、足元を見直し、「学びってなんぞや?」という本質に真剣に向き合っていけば、自ずと答えも出てくるのかなぁと思ってます。教える側ができる学習も無限大です。

最近は、フラフラした文章ばっかり書いていたので、久しぶりのまとまった文章は読みづらそうです。最後までお付き合い頂いた方、ありがとうございました。

雑感に次ぐ雑感

メールをチェックしていたら、見慣れない英語のメール。

「あ…」

先日いらした韓国のお客さんからのメールだった。無事に帰国されていたよう。お礼の返信など、何度かやりとり。やりとりは英語。なので、ここにきて、改めて英語を勉強し直していたり…。でも、楽しい。伝えたいという気持ちと、そう思える相手がいるから、かな。

最後のメールでは、ご家族の写真まで送っていただいた。素敵な写真だった。

なんだか、ほろっときた。

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韓国からのお客さんがしきりに行っていたことの一つが、

「済州島って知ってる?済州島は沖縄と同じなんだよ」ということ。

綺麗なところだということと、基地の問題で揺れていることを聞いたことがある程度だった。改めて調べてみたら、反対する市民、並んでいる警官隊…。見たことのあるような場面の連続だった。

「same」という言葉が、まさにだった。

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沖縄では辺野古のニュースがトップ。先日はお年寄りのけが人が出て救急車まで出た。

キッチンの年配のお客さんとは、よく辺野古のことが話題に上がる。
「あんなに綺麗なところに基地なんか作っちゃいけないよ」と、みなさん口を揃える。

この国の中では、基地が必要だという意見があるのはわかっている。けど、身の周りでは、「なければない方が良いに決まっている」という意見しかきかない。

ただ、
「自分は、仕事とかで関わっていないから、反対って言えるけどね」という方がほとんど。何らかの形で関わっている人がいる以上、配慮がある。

反対の声を集めるためには、やめた後のことをセットにしていく必要がある。そうじゃないと、あげたい声もあげられないのが、現地の状況だと思う。

大きな転機が迫っている中、先を見て、動ける人は動いていくことが求められている。もちろん、“教育”も地域を作っていく中で大きな課題の一つ。例え誰かに梯子を外されようとも、動揺しない教育環境を準備していくことが、自分にとって“やめた後のセット”として考えていること。

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少し前に、韓国の飛行機の“リターン”事件が日本でも話題になった。自分には全くご縁のない会社のオエライさんが、国内の批判によってどんどんやつれていくのを、外国にいるぼくがテレビを流しているだけで克明に知ることができた。
(それにしても、この国では中国の交通事故のニュースとかちょくちょく流れるけれど、あれは何の意味があるのだろう?)

あの時ツイッターでも書いたのだけど、どこの国であろうと、権力を持っている人の中には、“しょーもない人”はいる。その“しょーもない人”が何かを起こした時に、社会がどの様に声を上げられるのかが、国の成熟度だと思う。例え、どんなに大きな権力を持っている人が相手であろうとも。

この国はどうなんかな…。

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機動隊とぶつかっている様子や、おばぁが倒れている様子を画面を通して見ていたら、いてもたってもいられなくなって、午前中に辺野古まで行ってきた。

先日怪我をしたおばぁは、念のために療養しているけれど無事だそう。それにしても、おばぁを救急車に乗せることまで機動隊が邪魔してきた、と怒っていた。「ふざけるな!」と。

ふざけるな。

お店の営業があるので、早めに帰って来た。漁港からは、海保の船が続々と集まってきているのが見てとれた。

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また、動きがあるのだろうか。

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メールをくれた韓国のお客さんの住む街は、日本でもドラマで有名になった街だった。

あのドラマが流行った時に、安堵というかなんというか、人知れずふぅっと静かに胸をなでおろした人はたくさんいたと思う。いや、いた。

いつしかブーム自体が攻撃の対象とされてしまっていたけれど、あの時の可能性の体験は残っている。

庭の写真と共に送られた「うちの玄関は、いつでもあなた達へ開いていますよ!」というメールの言葉が改めて胸に刺さる。

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それにしても、あのお客さんは、海外からなのに、沖縄の現状について“絵”としても知っていたんだなぁと思いながら辺野古から帰ってきた。

そして、今はキッチン営業中です。

雑感

今朝は、家を出るまでの間に時間があったので、ユーチューブなんか見てしまって。しかも、選曲が森田童子。一日の滑り出しとしては最高です…。

森田童子というと、ぼくが中学2年の時にやっていたドラマ『高校教師』で知ったのだけど。ドラマの主題歌になっていることを知らなかった数学の先生は、

「最近森田童子が流れてるけど、なんで?おれは学生の頃、夏は急いで帰って、部屋に籠って汗だくになりながら森田童子を聴くのが好きだったんだよなぁ」

と言っていて、何か聞いちゃいけないことを聞いてしまった気分になったのでした。

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昨日は、香港のお客さんがいらして、その後、韓国のお客さんと続いて何とも賑やかでした。ぼくみたいな拙い英語でも、なんとかなるものです。ただ、普段よりも“聞き漏らし”がないように神経が働いているからか、いつもと違う疲労感に襲われたり。

お客さんの方も、日本に旅行に来て、日本人しかいない小さなお店に入って、何とかコミュニケーションを取ろうとしているのが伝わってくるので、ホテルに戻ったらきっとぐったり疲れているんだろうなぁと。

言葉が通じてもなかなか分かり合えないことも多いけど、言葉が通じなくても何とか接近していこうという気持ちがあると素敵な時間を共有することができる。もちろん、言葉では表現しきれない時間になった。ぼくがまた会えたらいいなと思っていたら、記念写真に誘われ、「韓国、来てね」と名刺を置いていってくれた。言葉以上の表現から感じとれる気持ちの接近。

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最近書いていたブログに、お便りを頂いていて。ぼくの中では、ちょっと感情的になっていることも自認しつつの記事だったのだけど、雑感に近いものだったのを丁寧に紐解き、解してもらいました。
その中で、“複雑なものを複雑なものとして検討する立体感が大事”ということと、“現実の人と出会うことが大事”ということを投げかけてもらった。ちょうど昨日のお客さんとのこともあったので、今一度噛みしめたいなと。

今回のパリのことは、本当にいろんな要素が絡んでいるのだけど、考えれば考えるほど、これは思想の問題ではなくて社会構造の問題なのかなと思ってきていて。追い込まれる社会層が作り出され、状況が整ってしまえば、あとは誰かがポンと背中を押すだけなのかもしれない。じゃぁ、その追い込まれる社会層が、どうして、そして、何によって生み出されるのかというと…ということを、思想よりも階層という切り口でしばらく考えたいなと。

そこまで考える必要ある?という人もいるけれど、せめて教育に関わる立場にある人は、次の世代にどういう風に伝えていくのかについて、自分の責任において真剣に考える必要がある。それが、先の大戦がこの国に残したものの一つだと思う。自戒の念を込めて。

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ドラマ『高校教師』は、中学生のぼく達にとってかなり刺激的だったので、しばしばみんなの話題に上がっていた。気がついたら、真田広之のモノマネで「なぜだ!」と言いながら制服のブレザーをクシャクシャにし合っていた。

このドラマの中では、森田童子の曲『男のくせに泣いてくれた』が流れるのだけど、
「曲と違って、女の方が泣いてあげてたよね?逆じゃない??」
と、話していた。

よくよく考えれば、教師がフラれた身の上話を生徒の前でして泣いているという、なんともトホホなシーンなんだけど、「あんなこと、あるのかな?」と、お年頃のぼく達はちょっとドキドキしていた。ちょっと恥ずかしいから「桜井幸子の泣き方って、アレだよな」とか言いながらも、自分のことで泣いてくれるくらいに自分という存在に接近してくれる人がいるってことへの憧れが丸出しだった。

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今は、「負けない!」と結果的には闘争心を掻き立てる言葉ばかりが乱立している。お互いに自分達のストーリーがあって、それを元に「負けない!」を煽り合っている。非常に嫌な予感がする。「徹底的に!」が叫ばれた時に、この国はどういう参加の仕方をしていくのだろう。不本意な流れになった時に、止める術はあるのか。。。

そんな時に、個人という尺度ではこれだけ互いに接近しようとエネルギーを注ぎ、またその受け手となった時にはその近しさで胸がいっぱいになるような気持ちになるという自然な流れを、今一度振り返って、平和への可能性として確かめていきたいなと。

インドネシアからの留学生

高校の時、インドネシアからの留学生がクラスに来ていて、1年間くらい一緒に過ごしていた。それはそれは見事に日本語が上達していってたけど、体育の授業でサッカーボールに乗ってしまい、ハイレベルな捻挫でグラウンド上に伸び切っていたぼくを見た時は、
「先生、手島、ムリ!」と久しぶりに片言の日本語になって、助けを呼びに行ってくれていたらしい。

また、ある時、彼がウォークマンを聴いていたので、
「何、聴いてるの?」と、きくと、
「ん?これだよー」と見せてくれたCDは、

『いつかの少年 長渕剛』

「おぅのぅ…。日本を誤解しちゃダメだよ…」
「…???」
と、意味ありそうで何の意味もないやり取り。けど、今となって、どんな曲が入っていたのか見返してみたら、かの曲『キャプテンオブザシップ』が入っていたので、あながち間違っていなかったのかな…。(←嫌い、という意味じゃないですよ)

さて。
彼がクラスに来る前、担任からは簡単に説明があったことを覚えていて。それは、彼はイスラム教徒なので、校内にお祈りをする部屋を準備することになり、一日に何回かそこに行くからクラスからいなくなるということ、握手をする時には右手を出すようにということ、豚肉は食べないということ。

みんなそれまでに耳にしたことがあることだし、「あぁ、そうか」と、ちょっと心に留めておく程度で、すんなり過ごしていた。
ぼくは一緒に食事に行くような機会はなかったのだけど、クラスメイトの中には彼が牛丼屋に入りたいと言った時に、念のためにいろいろ説明をしたという話を聞いたこともあった。
「あ、まぁ、牛肉だもんね」と改めて考えれば至極普通のことなんだけど、できる気配りはしておくという、これまた至極普通のことをしていたのだと思う。

そんな彼は、留学を終えて帰国する時には、わざわざ挨拶に来てくれた。
「手島ー、いろいろありがとうね」
「おー、ユアウェルカムだよー」
「ユアウェルカムじゃないよー!」
と、右手で握手をしながら最後までゲラゲラ笑ったのでした。

今ニュースになっているフランスでのデモは、犠牲になった方々への哀悼の意を表し、平和を望んでいる人たちの集まりだと思う。
ただ、その場で「私はシャルリ」というプラカードを掲げるのは、どうなのかな…と思う。理由は前回ブログの通り。嘘か本当か分からないので具体的には書かないけれど、他にもいろんなプラカードがあったみたいだ。イスラム教が偶像崇拝を禁止しているということは、ムハンマドの顔が消された絵と共に学校の教科書にですら載っていたこと。やはりどうにも解せない。

イスラム教の人もデモに参加していたようだけど、どんな思いでそのプラカードに並んでいたのかなと想像すると、何とも言えない気持ちになる。参加しなければ「お前はテロリストか?」と心ない非難に曝される立場に置かれてしまっているようにも思えるから、複雑な気持ちでニュースを見てしまう。

あの“マンガ”で心を痛めた人達の中に、きっとぼくの友人も入っているだろう、と思う。温和な彼は「あんなの気にしないよー」と笑って言うかもしれないけれど、そんなことはないはず。いったい何の権限があってそんなことができるのかと思うと、正直感情的にもなってしまう。

一日流れている国際的な“連帯”と“一部の『イスラム教徒』”についてのニュースを眺めていて、頭の中に浮かんだのが冒頭に書いた20年近く前の高校の思い出だったので、前回のブログに続けて書き記してみた。当時高校生だったぼく達のような関係ってそんなに特別なことなのかな?と思いながら、ニュースを見ている。何ともやるせない。

ただ、きっと同じ様に思っている人は世界中に溢れていると思う。こういうところにこそ“連帯”があるといいな…。

前回のブログの後、かなりしっかりとしたメールもいただいて、一つ一つ整理していく必要があるなと、改めて感じていて。これからどういう流れになっていくのか注意が必要そうだし、少し頭を冷やし、時間をかけながら思考を止めないようにしたいなと。

最近のニュースから

最近は、久しぶりにレポートのようなものを書いていて、なんだか懐かしい気分に。それにしても、今まではほとんど気持ちを向けてこなかった内容について、いろいろ助言してもらいながら作業をしていて、あぁ世の中ってこんな風に動いていたんだなぁと改めて…。

そんなで、しばらくブログから遠ざかっていました。そろそろ何か書こうと、お正月から何か明るいニュースがなかったかなぁと思い返してみたけど、目につくのはスポーツばかりで、あとはなんだか心配になる内容ばかり。
中でも、沖縄県知事に対する政府の冷遇は、県内のニュースでは良く取り上げられています。お客さんとの話題になることも多くて、かなりの注目度。これは知事に対する態度ではなくて、県民に対する態度という本質で見ていかないと、県内の対立を煽るだけなので注意が必要だと。大事なことなので、また今度しっかりまとめて書きたいなと。

さて。
パリのニュースを見ていて思い出していたことがあって。

サッカーW杯のドイツ大会の後。
「テッシー、テッシー」と、小学生に子に呼ばれて、
「ん?」と振り返ると、
「ジダーン!!」と、頭から飛び込まれるという暇つぶしが、しばらく流行っていた。

サッカーにあまり明るくないぼくでも、ジダンのプレイヤーとしての凄さと、そのアルジェリア系移民という生い立ちについては知っていて。あの試合の後に流れた報道の内容(相手選手が、ジダンのお母さんやお姉さんに対して、差別的、侮蔑的な言葉を吐いていた)が、大まかにでも正しいのであれば、彼の気持ちは何だか察するに余りあるものだった。

もちろん、頭突きはまずいし、その結果レッドカードを出されたことも当然の結果。

ただ、それと、その原因になったことについては別の問題。だからこそ、ジダンの気持ちに接近しようという心の動きがあったのだと思う。

ジダンの場合は家族という大切な存在が関わっていたけれど、信仰の対象が同じ様な存在としてあることも想像できる。ぼく自身はこれといった信仰の対象を持っていないのだけど…、である。想像できる。

もちろん、今回のパリの“テロ”は許されることではない。

その上で。

あのマンガが“言論の自由”という言葉の下に置かれる対象のものだったのかは、自分の中には大いに疑問が残っていて。“風刺”っていうのは、もっと知的な道筋で権力に向かっていくものだと思いたいし、大きなメッセージがその礎になっているものだと思いたい。そう、チャップリンの映画のように。

今は、“言論の自由”とワンフレーズを掲げられれば誰も反論できない。それゆえに、本当にそれが“言論”に当てはまるものなのか、もっと言ってしまえばただの“ヘイト”にすぎないものなのではないか、という議論にも行きつかない。疑問を呈しようものならば、「言論の弾圧!」とその疑問を押さえつけられてしまいそう。何だか、こういう風潮の方がとても怖い。

そういえば、チャップリンも“赤狩り”の対象になり、追われる身となったんだな…と思い返してみたり。ただ、そんな立場に置かれたチャップリンを救ったのは、一般国民の声だったそうです。これは、過去から照らされている未来への一筋の光かなぁと思っています。