報道を見るのに勇気がいる。そんな日々になってきた。昨日も寝際に入ってきたのは最悪のニュースだった。
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ぼくは、基本的に、いろんな“成功者”の講演会とかには行かない。けど、自分にとって知りたいことについての講演会や資料館、企画展などなど…は、できる限り行く。
高遠菜穂子さんの講演会もその一つだった。手元でありとあらゆる情報が即座に手に入る今日とは違って、電話線を繋げながらインターネットを使っていたような頃。ステージ上に映されたイラクの惨状は、初めて目にするもので強烈だった。正直、目眩がして、蕁麻疹が出るんじゃないかと思うくらいだった。
あのような中で生活している子どもがたくさんいて、彼女はその子ども達に接近しようと身を粉にしている人だった。自分もできることならば参加したいけれど、そこまでの力もない。その差は何だろう…と悩んだし、結果、尊敬するしかなかった。ただ、自分は自分のフィールドでできることをする、それだけはしっかりとやろうと思った。
それにしても、帰国してからの方が大変だったんじゃないかと思うほどの国内状況が、結果としては彼女の活動を潰してしまうんじゃないかと思うと、何ともやりきれない気持ちになった。
けど、今でもしっかりと情報発信を続けているようだ。自分の想像を超えた人物だった。
“集団的自衛権行使がもたらす惨禍-「対テロ戦争」で若い命失い一般市民の犠牲を世界に拡散|高遠菜穂子さん”
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140630-00036891/
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教育にとって大事な使命の一つに、「平和を繋いでいくこと」がある。いろんなことは体験から学ぶチャンスがある。けれど、戦争については、体験から…という訳にはいかない。それゆえに、繋いでいくための努力をしなければ、儚くも失われてしまう。
だから、平和に関する教育だけは、子どもの興味を優先して…というものではないと思っている。
ぼくは、幸せにも戦争を体験しないで育ってきた世代。知ろうという努力をしなければ知ることはできないし、知らないことを子どもに伝えることもできない。
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壮絶な土地であっても身を粉にして活動している人達の話を聴いてきたことが、震災の後に被災地へ行くという行動を後押しした一つの要因だったと思う。それが、あの時に自分でできる精一杯のことだった。
被災地でボランティアをしている時に、中年のメディアの人と話をする機会があった。通り一辺倒のやり取りをした後に言われたことは、
「で、どうしてこういうことしようと思うの?何の得もないでしょ?また地震があって、津波がくるかもしれないし。自分ならこんなにお金と時間をかけてボランティアなんて絶対やらないから、理解できないんだよね」
ふと、思う。被災地でボランティアをしている時に、再び大きな地震があって被害を受けていたとしたら、ぼくも“自己責任論”の対象になっていたのだろうか。「危ないと分かっていて、それでも好きで行ったんでしょ?」と。
あの時は、いてもたってもいられなくて…だった。だから、あんな質問を投げられても、「なんででしょうね…」としか答えようがないのが本心だった。自分のことだけど。
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今、沖縄では、辺野古での海上保安庁の“横暴”に疑問を投げかける報道が多くされている。写真を見ると目を疑うような場面の連続。警備だなんだという理屈なんか思い浮かびもしない、ただただひどい状況。いったいどうなっているんだ、と。
これも、海上で自らの身も危険に晒しながら写真を撮ってくれる人がいるから、知ることができたこと。もちろん、知らないで済ませておくべきことではない…と思う。
“辺野古、私が船長の船にも海猿たちが乗り込み、暴力行為”
http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/a826a16887cb8edbf1c41ce7e651f0eb
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バラエティに“戦場カメラマン”が出てくれば、その人の過酷な体験から来る“良い話”によって“日本人”という枠組みで高揚するのに…と思い返すと、いったい何なんだろうと思う。
ぼくはものすごく大切な仕事をしている人達だと思うし、出演している番組でもその様な取り上げ方なのだけど、本来その仕事はこの国には必要がないということなのか。それとも、本質的には“理解できない”類の話なのか。
何かあれば、手のひらを返したように「危ないと分かっていて、それでも好きで行ったんでしょ?」と、吐き捨てるのだから。
ちなみに海外ではどういう風に論じられるのかというと、ま逆と言ってもいいようだ。昔も、今も。
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これから、どういう流れになるのか。政府のいろいろな発言からは、心配しか生まれてこない。威勢のいい言葉だけが踊り、扇動されるようなことだけはないようにしたいけれど。
けど、もしも。
“自立支援”とか“社会貢献”とかいう言葉の下で、不登校や引きこもりの人達が何かの対象になった時に、社会は何て言うのだろうか。反対の声を上げるのだろうか?それとも、“自立支援”とかのワンフレーズを繰り返し、「本人のためだから」と言うのだろうか。
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いてもたってもいられなかったんだろうな…と思う。
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自分が少しでも“強者”になることで、または、隣の人よりも少しでも“上の立場”になることで、迫りくる窮状を潜り抜けようという風潮が強くなってくれば、いろんなことが一気に加速していく。
身を危険に晒してでも困っている人に接近しようとしている人達は、これとは正反対の生き方をしている。そして、フィールドは違えど、同じ様な思いで同じ様に身を削りながら行動している人達に囲まれて、ぼくは生活している。
だから、これからのことに絶望はしていない。
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無事を祈っています。