今年もお世話になりました

明日は大みそか。クリスマスが終わったなぁ思っていたら、あっという間です。

今年は、沖展への出展に始まり、キッチンコーラルのオープン、“オルタナティブ教育ネットワーク沖縄”への参加などなど、めまぐるしい一年に。去年は、版画を彫ったり、図書館通いをしたりと一人での作業が多かったから、今年の出会いの多さは正反対。人に囲まれて過ごした一年でした。お店だったり、行事だったりと、今まで出会ってきたよりも圧倒的に小さい子どもとの触れ合いが多くてとっても新鮮だったなぁ。

また、去年にも増して、関東からの知り合い、教え子の来沖が多かったことも、今年の思い出の一つ。昔に戻っているようで、目の前にいる教え子は大きくなっていて。いやいや、負けてられないなぁと思ったり。ただ、体力的にはもう全く敵いませんね…。

先日、お客さんと話をしていたら、
「昔、東京に行った時にはびっくりしたよ。“沖縄人”お断り、って書いてあるんだから。“沖縄人”って。ただね、自分は、そういうのじゃなくて、受け入れる側になりたいからさ」と。

埼玉からの引っ越しを決めた時、行き先が沖縄でいいのか、いろんな面から悩んだところもあったけれど、今、自分の周りにいる方々を思うと、あぁやっぱり沖縄で良かったなぁとしか思わなくて。本当に周りの方々に支えられてなんとかやっていけています。ほんと自分は人に恵まれてるなぁと、改めて。今後は、お世話になっている皆さんに、自分が返せることをしていかないとな、と。

さて、今年は、この国に目に見える大きな変化が多かった一年。それに対して…という意味でも、ぼく個人としては、自分の思っていることに近づくための種をいくつか蒔けたので、来年は少しずつ育てていけるようにしたいなと。勉強、行動、そして継続…ですね。。。

ではでは、いつもに増しての乱文で申し訳ないですが、これが今年最後の更新です。
一年間、皆さんどうもありがとうございました。
良いお年を!!

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震災の話~石巻へ

※少し前に書いた、震災の話の記事の続編です。最近は、意識から遠くなることも多くなった震災のことを思い出し、書き記しておこうと思っています。もちろん、震災のことはあまり思い出したくない…という方もいらっしゃると思うので、そのような場合は、この先を読み進めないようにお願いします。

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「原発が爆発したらしいよ」
一瞬緊張が走る。映像がテレビで繰り返し流されている。

『ただちに…』

「あ、また言ってるよ。“ただちに”って」
テレビに話しかけてみるけれど、この頃は喫煙者だったこともあり、正直タバコを吸いながら放射能の心配するのもなぁ…と思っていた。

今思えば、それまでに広島・長崎に子どもを連れて行ったりしても、頭の中に強烈に残っていたのは“ピカ”の被害。“入市被曝”やイラクでの“劣化ウラン弾”の被害の写真を見たこともあったけれど、どうしてもケロイドの症状の記憶の方が強い。

『ただちに…』

「またか…。本当に大丈夫なの??」

ただ、それよりも津波という目に見える被害に気持ちが流れる。インターネット上で錯綜する情報。
“食べ物がなくて餓死しているらしい”
“まだ道路も通れないみたい”

実際に揺れを感じる地域にいたからか、自分でできることを探している人で溢れている。熊谷市では、体育館に支援物資を集めて被災地に送るという動きが出始めたと教えてもらい、送れそうなものをかき集める。

そのうち、被災地にいる知り合いと連絡が取れる。
“まだまだ電気もガスもないんだけど、子どものための文房具を集めている”と。
身の周りの人にも声をかけると、あっという間にたくさんの文房具が集まってきた。とにかく“今、自分でできること”を一つでも多く探そうとしている人で溢れている。

次第に、現地で活動しているボランティアの映像が流れ始める。
「行けるの?」
「いや、行くと迷惑になるらしい」
「でも、物資が全く足りていないんだって」
「体育館とかでストップされてるらしいよ。不公平になるとかで」

こんな問答を、熊谷のスタッフ間で何回も繰り返したけれど、東北道が開通したと聞き、被災地行きを決める。正直、本当に行けるのか?という思いの方が強いけれど、あるブログに書いてあった文章に背中を押される。

『今、何もしなかったら、自分は一生何もしないだろう』

そうだ。それに、自分が動いている姿を子どもにも見せないと。現地で必要と言われている物は分かっている。自分達のものは完備して行って、水を渡せるだけでもいい。とにかく、今できることを一つでも多くしよう。

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土曜日の活動が終わったら、熊谷を出発。途中、晩ご飯をサービスエリアで取る。埼玉、栃木あたりは大分落ち着いていて、人も多い。連休のひと時…といった雰囲気。

それが、徐々に変わってくる。東北道を北上すればするほど、路面が凸凹になっていく。もちろん法定速度なんか出せない。

「これ、朝までに着くかな…」
ちょっと不安に。もしも駄目だったら帰ろうと思っていたけれど、なんとか夜明け前に菅生サービスエリアに到着。ガソリンスタンドは長蛇の列になっている。そして、みんなげっそりしている。
「ちょっと休もう…」

朝9時には石巻のボランティアセンターに着かなければいけない。日が昇ったら、再度出発。次第に、周囲には日本各地からのパトカーだらけになってくる。仙台南ジャンクションから海岸線へ抜ける。そして、多賀城に入る。

「あ、あれ…」

嗚咽がこみ上げてくる。今自分が北上している道路の右側は、津波にさらわれている。ここまできて、初めて津波を肌で感じる。どうしてこんなことになるんだろう…。頬がびしょびしょになる。

石巻のボランティアセンターには何とか間に合った。事前の情報が嘘のように、スムーズに作業を振り分けられる。とにかく人が足りていなようだ。

その日は、市内のお宅へ。ボランティアセンターから海へ向かって川を渡った瞬間、さらに景色が一変する。

信号は点かない。警官が交通整理をしている。目の前は埃で充満、道路は通れるものの汚泥まみれ、彼方此方にひっくり返っている車、そして船…。

ボランティア先のお宅に着いてからは、黙々と庭に流れ込んだ汚泥を、ただひたすら掻きだす。ヘドロというよりも、油のようなものが含まれていて妙に重い。お邪魔したお宅の娘さんは、場にはそぐわないウールのPコートを泥だらけにして作業をしている。服がないのだ。
知り合ったボランティアの人は、「持ってきたお弁当が多すぎたから」と差し出している。「遠慮なく…」と受け取っている。食料も圧倒的に足りていない…。

身体はヘトヘトに、だけど緊張感だけは張り詰めたままボランティアセンターに戻り、テントで宿泊。
「う…寒くない?」
強烈な寒さ。かけられるものは、タオルでも着替えでもかける。けど、寒い。

翌朝、近所の小学校へ、出発前にいろいろな方に託された物資を届けに行く。

「あ…。ここも…」

小学校の校庭にも車はひっくり返っている。そんな中を通り抜け、体育館の中へ。

「すいません。水とかをお渡しできたらと思って来たのですが…」

ここでも、事前の情報と違い、二つ返事で受け取ってもらえた。それにしても、体育館にダンボールで仕切りを作り、何枚かの毛布で暖を取っている。

「じゃぁ、壇上へお願いします…」と言われて、体育館の前まで移動。壇上に移動してびっくり。着替えや上着などの物資が山のように置かれている。
「これは、配れないんですかね?」
「いや、どこに何があるのか分からなくて…」
その向こうにいるのは、某自治体から派遣されてきた職員2名。ぼんやりこっちを見ている。

「どういうもの、いりますか?ちょっと探してみます」

こんな風にして、急遽物資の整理。いろんなものが出てくる。確かに整理しきれない量。完全に新品の服から、「これ、使えるのかな…」というものまで溢れている。ちなみに、新品のものは台湾からのものが多い。

壇上から見渡すと、ただただ生活圏にしか見えなくて、自分達が邪魔にならないように…と作業を続ける。ただ、何をしているのか分かってもらえるようになると、少しずつ「○○、どこにありますか?」と、声がかかってくる。余計なことをしているのか?という自問もちょっとだけ和らぐ。

その後、実は高速道路の料金がボランティアは免除になるという情報を知って、役所へ。もちろんここも人でごった返している。待ちに待ってようやく帰路に。言葉少なに車を走らせて。

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その後も月に一回を目安に被災地へ。5月の連休に行った時には、再度同じ体育館に物資を届けたけれど、状況は何も変わっていなくて、より一層の疲労感を感じとって帰ってくることに。

6月頃からは、ボランティアの人の集まり方に少しずつ変化が。被災者とのトラブルも耳にするようになったけど、何だかそれも納得してしまうような場面にも遭遇。秋に行った時には、何だか腑に落ちない気持ちの方が強くなって、ボランティアでの訪問は最後になった。

ただ、この間、自分なりに放射能のことを調べ直したことも、自分の行動を変えていく大きな要因になっている。きっかけは、熊谷から帰宅中の車の中で、ラジオから「放射能の被害に“しきい値”はない」ということが流れてきて、「やっぱりそうだよな…」と改めて思ったこと。インターネットで、チェルノブイリやイラクの子どもの写真を見返し、背筋が凍る。その後は、とにかく原発、被曝、メディアなどなど、目に着いた本は読み漁った。

それに加えて、震災直後の、みんなで何とかしようというシンプルな気持ちが、日に日にいろんなことに塗れていく様子が、どうにも納得いかなかった。自分の中で整理しきれていなかったことを、とにかく自分で調べるということで対処していくことが、“自分が今できること”の変化に大きく影響していくことになる。

“違う”という出発点

グローバル化という言葉があちこちで見聞きされるようになって、それが“人材”という単語とくっついてしまうと何だか教育にも食い込んでくることがある。「これからは、世界に通用する“グローバルな人材”を育てる」みたいに。
こう言われると、なんだか乗り遅れちゃいけないみたいに思ってしまうのは横文字の持っている力なのかもしれないけれど、そもそも教育の視点として成立するのかというと、妙に曖昧な感じもする。具体的に進めることとなると、小学生のころから英会話を頑張りましょう、みたいなことに落ち着くような。

そもそも世界を見る視点って何なんだろう?と考える時、大学の地理の授業を思い出す。そして、その授業をモチーフに何度か授業をしたことがあって。

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一人ひとりに紙を配る。

「じゃぁ、その紙に、日本の特徴と思えること、いくつでもいいから書いてみて」
「何でもいいの?」
「もちろん」

「じゃぁ、挙げていってみようか」

・四季がある
・小さい(狭い)
・魚が旨い
・米をよく食べる

「じゃぁ、政治が悪い!」
「おー、言うねぇ!」

「だいたい、出たかな?ここで見返してみたいのは、今書いたものは本当に特徴と言える?」
「…?どういうこと?」
「例えば、日本は狭いっていうけど、日本より広い国ってどれくらいあるんかな?」
「それを言ったら、政治が悪いのも日本だけじゃなかったり…」
「そう、そういう感じで、本当の意味で“特徴”って考えると、今書きだしたものは、どうなる?」

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こうやって考えると、例えば“日本が狭い”という意見は、思わず「そうそう」と頷きたくなるものではあるんだけど、結局のところそれは非常に個人的視点ということに。もっと広い視点にたつということは、“こっちの特徴”と“あっちの特徴”を本質的に捉えていくことでもあって、これは世界を見る時に、とても重要な意識に。ちなみに、この意識は、みんながゆくゆく触れ合うであろう学問の基本的姿勢のひとつでもあると思っていて。

この授業の、その後の展開を簡単に説明すると、まず、日本の特徴として“米”を挙げる。もちろん、「他の国でも米を食べるところはあるよ!」という意見も出てくる。ただ、日本人にとっては、古くから米が“食料”としての意味付けだけでは留まらなくて。租庸調や埼玉県では有名なの『“十万石”まんじゅう』の名称の由来などなど、話はどんどん広がっていく。
そんな生活にあらゆる意味で関わってきた米はどういう条件の場所で、どういう風に作られてきたのか、またその米を作るために日本の田園風景はどのように形づけられてきたのか、外国ではどんな風に米を作っているのか、さらには、日本の中で例外地域はないのか…などなど、そのときのみんなの興味の方向によって、いろんな広がり方を見せてくる授業に。

特徴というのはどういうことなのか認識するということは、世界という視点で見ると、お互いの“違い”を認識するということにも繋がること。『みんなちがって、みんないい』を身体化させるためには、とても大事な視点だと思っていて。そして、これこそが世界と関わる上で最も大事なことだと。

よく耳にすることが多いのは、「ほら、どこの人だって、同じ人間なんだから」というような言葉。ただ、外国人に対して、この言葉を日本語で投げかけていたとしたら、それは暗に“同化”を強いていることにもなってしまう。もちろん、今置かれている立場が多数派なのか少数派なのかによって、このやり取りの持つ意味にも大きな違いが出てくる。自分たちの“当たり前”が、少数派にとっては大きなプレッシャーになることもある。だから、互いに『違う』という視点が大前提として存在してれば、こういうこともなくなると思ったり。

さて。文化の違いを、それぞれの特徴として位置付けることは、優劣をつけるということとは正反対の作業だと思うのだけど、知らないうちに“比べる”ことの結果が蔑視に繋がってしまうこともある。これは、一番避けたいこと。

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「今日のお昼ご飯は、何を使って食べた?」
「箸だよ」

「じゃぁ、世界を見て、他に食べる方法、どんなんがある?」
「フォークとかスプーンとか」
「あ、ナイフ!藤岡弘が肉を食べてた!」

「インドの人は、手でカレーを食べるんでしょ?」
「そう!よく知ってる!見たことある?」

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その後は、手で食べる文化の食事マナーを写真で見てみる。日本では、手づかみで食べる食事は少ないし、例えばみんながおうちに帰って急に手で食べたら、きっと怒られる。けど、場所が変われば食事のマナーとして、文化として受け継がれているのが写真を見ていくとしっかり伝わってきて。写真を見ながら「なんか、カッコ良く見えるねぇ」と。もうあとは説明もいらない。

ある行動を判断する時に、自分達の文化背景だけを基準にしていくことは、世界と関わる中では大きく偏った関わりになっていくことに。文化は優劣ではなく、それぞれの特徴として位置付けることが全ての出発点でも。そして、こういう交流こそが、自分達の世界を豊かにして、さらには世界中を平和にしていく礎になっていくんだと思う。

母語の力を育てるということ

大学を卒業してすぐ、進学塾で講師をしていた時のこと。県立高校入試対策をすることに。毎年、国語の問題の最後は作文。当時、40点満点中、作文の配点は確か8点だったと思う。作文と言っても、原稿用紙の半分程度の文字数で、与えられるテーマも自分の経験を踏まえて…といったシンプルなものだった。

みんなの回答を集めて最初に仰天したのは、作文の回答欄の白紙が多いこと。決して時間がなくなったという訳でもないのは、問題を解いている様子を見ているから知っていて。
「8点もあるんだよ」
「はぁ…。でも、特に書くことないし…」
こんな感じだった。

ちなみに、採点の仕方も決まっていて、漢字を間違えないで、原稿用紙の使い方もキチンとして…などと意識するだけで点数になるので、とにかくマスを埋めるように練習するしかなかった。書きやすい、もっと言えば、マスを埋めていきやすいように原稿用紙をさらに分割して…と、こうなると作文じゃないなぁというところまで“指導”して、入試対策としていた。

さて。
作文に対して苦手意識のある子はとても多い。それに大きく助長していることの一つは、事あるごとに書かされる読書感想文だと思っている。

ぼくの友人の話。
「ベーブルースの本は読んでてさ。読んだんだけど、何を書いていいのか分からないから、兄ちゃんに相談したんだよ。そしたら、じゃぁ一番感動したところは?って聞かれてさ。ちょっと悩んだんだけど、最後にベーブルースが死んだところって言ったら、兄ちゃんいなくなっちゃってさ」

当時はみんなで大爆笑になっただけだけど、今となったら、こんなに笑える話ができるんだから、そのまんま作文にして書いて提出したら、ぼくが添削者だったら花マルだなぁと。

こんな風に、おしゃべりはするんだけど、それを文章にするという行動に移る時に、大きなハードルがあることが多い。それには、まず何よりも「特に読みたくなかった本を読んで、特にない感想を書かされる」という、鉛筆を持つ必要性が希薄な課題設定に原因があるとしか思わない。

もちろん、読み書きの前には、聞く話すという段階がある。だから、小さい頃にはたくさんおしゃべりをする機会があると良いし、大人からすればその引き出し方というのを意識する必要も出てくる。「あのね、あのね!」と、親に伝えたくなるような、心を動かす出来事(自然や芸術などなど…)にたくさん出会うという動機作りもたくさんあると良い。

電話相談で「学校の様子を聴いても話さないんです」といった内容は、良く出てくる話題だった。

「今日、学校どうだった?」
「うん」
「“うん”じゃわからないでしょ!」
「別に…」

これも、「どう?」って聞かれても、どうもこうも何の感想もない…っていうことで、質問の出し方に問題があって。もう少し、具体的に聞いてみることを電話相談では勧めていた。最近は、“育て方マニュアル”みたいな本もたくさん出ていて、子どもへの声掛け例文みたいなものまで載っているけれど、単純に子どもが何をしてきたのか親が頭の中で想像している場面(授業だったり、休み時間だったり、はたまた仲良しとの時間だったり…)を投げかけてみればいいだけの話だと思う。

フリースクールに関わってから、母語の力の獲得、その中でも作文は常に意識していた。読書感想文のようなものではなくて、子どもが向かいやすくて書きやすくて、さらに書く力がつく方法…。

まず行っていたのは、工藤順一さんの提唱していた『コボちゃん作文』。これは、4コマ漫画の『コボちゃん』の一つの話を200字でまとめるというもの。いつ、どこで、誰が、何をしている…ということを軸に、マンガのオチまで分かるように文章にするというもの。
「じゃぁ、ボランティアさんも一緒にやってみて」と、大人も一緒にチャレンジするんだけど、これがまた、なかなか難しい。ただ、感想を書くのとは違って、鉛筆は自然と走ってくる。

『コボちゃん作文』だけだと、飽きてきちゃうので、“200字でまとめる”ということをベースに、あとは作文のテーマを考えるように。ポイントは、やっぱり感想ではなくて、説明がテーマになること。

例えば、ぼくのお師さんは「最寄駅から家までの道筋を文章にする」という授業をしていた。出来た作文を元に、みんなで地図を作り、さらには実際にその地図を手にお宅訪問!…というところまで。ここまでくると、ただの作文の授業じゃなくて、インパクトのある時間に。もちろん大人も一緒に書いたけれど、なかなか正確に書けない…。

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「今、一番好きなもの、何?」と、ぼく。
「うーん、カメかな」
「じゃぁ、今日は、カメを宇宙人に説明する作文にしよう」
「宇宙人?」
「そう。宇宙人に、地球にいるカメって何かを説明するの」

しばし、考える子。

「で、何語で書くの??」
「…。確かに…」

伝えるということの本質でもある質問だ。。。

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他にも、○○を売る通信販売のシナリオ作りだったり、△△君を選挙応援するだったり、思いつくものは何でもやっていた。面白いのは、テーマがしっくりくると、どんどん書けるようになってくるということ。“200字でまとめる”ということも目的の一つだったけれど、この目的にはとりあえず目をつぶろうと思うくらいに、鉛筆が止まらないことも。ちなみにそんな時は、

「それでね!それでね!」

と、実際に言葉に出している子も多くて。言葉を綴る一番の動機は、こういうことなんだろうと改めて。これに勝るものはない。

母語の力の獲得を目指し、その一つの側面である“書く”という力を作文で目指すのだけど、では“読む”という力はどうするのか。基本的には、本人が読みたいと思う文章に出会うことが一番大事だし、結果として本を読むという個人の行動に繋がっていくのだから、どういう本をどういう風に紹介するのかだけが大人のできることだとは思っていて。最終的には、作文と同じ様に、本人が読もうと思う動機がすべてだし、これに関しては大人になっても本人次第といえる分野かもしれない。

ただ、その入り口として、読み聞かせは大きな方法だと思う。どんな本を選ぶのかはそれぞれの好みだと思う。個人的には、小学生から20歳前後までを対象に数週間に渡って灰谷健次郎さんの『兎の眼』を読み聞かせしたことがあった。途中、先を予想するクイズを出したりしながら読んだのだけど、主人公になっているかのように先を読める子もいた。そして、最後まで読んだ後には、灰谷さんの本を片っ端から読み漁っている子もいた。あの場では、ちょうどフィットする子の多かった本だったんだな、と思う。

さて。母語の力に関して、どのくらいの力を目安にしていくのかというのも一つのテーマに。

社会生活を送る上で必要な母語能力の目安は、新聞が読めるかどうか、という話がある。そして、新聞が読めるために必要な母語能力は、小学校4年生程度という話も。これは、もちろん漢字が読めるとか、単語の意味を解っているという意味ではなくて、文章の構造を理解する力という意味。
自分を思い返しても、小学校高学年の頃には、新聞で西武ライオンズの試合結果を確認し、大相撲の欄では霧島のコメントを探して読んでいたし、映画や番組の紹介も読んでいた。政治欄、社会欄は読まなかったけど。

ちなみに小学4年生というと、少し前に流行った“10歳の壁”の年齢。小学3年~4年の頃に学校で習う内容は飛躍的に難易度が上がる。算数だったら、少数や分数が導入され、国語でいうと、接続詞が増え、文章が少し複雑になりだす。(漢字は、文章力とは関係ない)
ぼくは、脳の発達がどうこうという話には懐疑的だけれど、今述べたように、この時期に目の前に出される内容が“壁”となり得る時期には違いないと思っている。つまり、教える立場からすれば、この時期に扱われる内容をどういう風に扱うかが重要ということでも。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+(授業の話)

「じゃぁ、次に繋がる文章を考えてみてね」

“ぼくはオバケがきらいだ。だから、(     )。”

「うんちをもらした!」
「なんで?」
「トイレに行けなくなって!」
「おー!」

「はい!はい!じゃぁね!おしっこ!!」
「ありゃー。ぼくはオバケがきらいだ。だから、おしっこ!!なの??」

「じゃぁ、次は…」

“ぼくはオバケがきらいだ。だけど、(     )。”

「はい!おしっこ!!」

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まぁ、こんな感じで、ワケわからなくなってしまうことも多いし、厳密に言うと“間違った”使い方になっていることもあるけれど、導入としては、まずは大まかな意味を掴めた上で、“接続”するイメージを得て、それを重ねていけるといい(上の話の時は、小学低学年の子もいた)。そして何よりも「今日は作文の練習をやって、楽しかったよ!」とおうちで話す時間になるといいなと。
(ちなみに、接続詞を埋めるバージョンもやってみたことがあるけれど、ちょっと難しいし、“問題っぽさ”が強すぎてあまり面白くなかった。接続詞の後を作文する方が、自由度も高くて何よりも楽しい)

普段生活している上で、あれやこれやと言葉を用いていることには違いなくて(たとえ頭の中に留めていることであっても)、この身近なものをどうやって理解や表現の手段として伸ばしていくのかが目的。そして、一番有効なことは、ここまで書いてきたように、話したい、伝えたい、読みたい、知りたいという出来事に出会うことだと思う。

こう考えると、授業でどれだけ作文や読み聞かせの時間を重ねて母語の力の獲得を目指したとしても、本人が自分で学び始めた時に得る力に比べれば、それは微々たるもの。ただ、このささやかな土台作りの段階で、不必要な苦手意識を持ってしまうことが、大きな停滞を生むと考えれば、例え微々たる力であろうとも大きな弊害を生むことになる。そして、母語の力が、いわゆる“国語”だけにとどまらず、さらには個人のありとあらゆることに影響してくることを考えれば、教える立場である以上、このささやかな土台作りを精一杯の力で行っていく必要があるのだと思う。

震災の話~3月12日から

※少し前に書いた、震災の話の記事の続編です。最近は、意識から遠くなることも多くなった震災のことを思い出し、書き記しておこうと思っています。もちろん、震災のことはあまり思い出したくない…という方もいらっしゃると思うので、そのような場合は、この先を読み進めないようにお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(2011年3月12日)
家に着いたのは朝5時。

昨夜の車での帰宅は、想像を超える大渋滞に飲み込まれた。いや、渋滞というより、まさしく麻痺。大きな道路が、テールランプで真っ赤に染まっている。

『電車も全て止まっています。歩いて帰宅している人がいます』
カーナビのテレビから聞こえてくるアナウンサーの声。ふと、歩道に目をやると、本当に人が数珠つなぎに歩いている。映画で見たような風景だな…。妙な緊張感で気にならなかったけれど、やっぱり疲れているらしく、何だか目の前のことが他人事のように思える。

地元に着くころには、うっすらと明るくなってきていて。念のため、満タンにしておこう…と、セルフのガソリンスタンドに寄って帰宅したのだった。

玄関の扉を開ける。部屋は何の変化もない。昨日の揺れがなかったかの様に。
“あぁ、明日休みにしておいて良かった…”
とりあえず、布団に入る…。

目が覚めて、テレビをつけるととんでもないことになっている。日が明けて、被害の実態が徐々に明らかになってきている。津波の映像が繰り返し画面に流される。
「これは大変だ…」

そして、今まで聞いたことのない音がテレビから流れてくる。携帯電話もグーグー鳴りだす。
「また地震??」
緊急地震速報が流れて、数秒すると

『ガタガタガタガタ!』

棚を抑える。また、昨日みたいな揺れになるのか??
揺れが収まるまでは、気が気ではない。

とにかく、家には何もないからと買い出しへ。
「あれ…」
スーパーは人でごった返している。けど、棚には何もない。

「あの人は、何人家族なのかね…」
カートの上には山積みにされたお米やカップラーメンが乗っていたり。みんな憔悴しきっている表情だけど、妙に殺気立っている雰囲気だけは伝わってくる。

とにかく、数軒のお店を回り、数日分のカップラーメンだけ買って帰宅。テレビを見続ける。

しばらくすると、届くメール。随分連絡の来なかった人からだ。
「何だか、千葉の化学工場が爆発したみたいだから、雨には当たらない方が良い…?ほんと??テレビでやってる???」
(※チェーンメールがあちこちに回っていて、“デマには気をつけましょう”という政府の発表も後ほど耳にする。やっぱりな…と思ったけれど、どうやらデマではなかったようだ)

とにかく情報が錯綜しているけれど、一番憂鬱だったのは、そんな中、「明日は出勤してください」という連絡があったこと。なので、13日の日曜日は普通に出勤している。“また地震が来て電車が止まったら嫌だな…”と思いながら。
けど、そんな風に思いながらも、その出勤の帰りには、池袋の電気屋で携帯電話を新しいものに変えている。普通に電車に乗って帰宅。そのくらい、“普通”に全てが動いていた。

そして、原発が爆発した映像を見ることになる。

日曜日のこと

この前の日曜日は、南風原にあるスーパーでのイベントに参加。沖縄に越してくる前、どういうフリースクールがあるのかなども調べていたのだけど、越してきてびっくり。思っていたよりもたくさんの民間教育機関があった。そして、コーラルは現在フリースクールの活動はしていないのだけど、お世話になっている方にお願いして、『オルタナティブ教育ネットワーク沖縄』という集まりに参加させてもらっていて。今回のイベントも、この集まりで参加してきたのでした。

ぼくは就学年齢の子と接することが主だったけれど、沖縄に来てからはもっと小さい子と触れ合うことが多くて。今回のイベントも目の前にいる子の手はとっても可愛い大きさでした。手元でお手本をしても、じーっと目を見てくるので、ちょっと楽しかった。無事にイベントも終えることができ、何よりぼく自身楽しい時間が過ごせて良かったです。みなさん、お疲れ様でした。

さて。このイベントに行く前に済ませたのが選挙。選挙会場の小学校は行事が同時開催されていて、ごった返していた。小学校の行事に来ていた子ども連れの両親は、「は?今日、選挙なんてやってんの?邪魔だな」と選挙の係に言いながら消えていった。投票率は戦後最低更新だったようだけど、選挙があることを知らなければ行きようがない。そんな風に思ったり。

最近は、選挙が終わるたびに「あぁ、もう終わったな…」という意見をよく見かける。今回の選挙も。「終わった」と言いながら、翌朝にはいつも時間に起きて、いつもよりは幾分すっきりしない気持ちで新聞を開き、いつもの電車に乗る、いつもの生活を始めるんだろうな…と思う。ぼくもそうだった。

沖縄に越してきて。

うちのお店には年配のお客さんが多くて。お酒を飲まれると、戦中の話をぽつぽつとしてくれる。選挙の前日にいらしたお客さんは、戦争時、幼稚園生だったそう。お店のテレビで一緒に選挙特番を見ながら、長い時間話をしてくれた。

**********************************************************(お話)
ゼロ戦が編隊を組んで飛んで来れば手を振り、白い馬に乗った司令官が通れば拍手をしていた。アメリカにはゼロ戦もないと言われていたし、絶対に負けるわけはないと思っていた。そういう風に教えられてきたから。アメリカ軍を見るまでは。

その後は、生きること。それだけしかなかった。
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今、耳にしている「あぁ、もう終わったな…」って、何だろうと思う。

**********************************************************(お話)
沖縄は6月には戦争が終わったことになっている。けど、その後も周りでは戦争が続いているから、ゼロ戦が飛んできて、艦砲射撃で粉々になっていくのがここから見える。

けど、とにかく食べること。食べ物を探すこと。
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やっぱり、今、耳にしている「あぁ、もう終わったな…」って、何だろうと思う。

これから、いろいろなことが進むかもしれない。いや、きっと、進むんだろう。そして、一つ、一つ進みながら、その度に「あぁ、もう終わったな…」と言い、いつもより少しだけすっきりしない、けど、いつもの朝を迎えるのかもしれない。

ただ、本当に「終わったな」と思ったら、そのとき、本当に次に始めるべきことが見つかるかも。少なくとも、自分が今ここにいる理由だから。

未来を繋げるためにできること、それは、目の前の小さい手を育てていくこと。社会を繋いでいくためにできること、それは、目の前の小さい目がまん丸になるくらい楽しい“学”を伝えていくこと。この二つは、次の世代が、もしも「終わったな」に直面しても、自分たちで次を繋いでいく力になること。

これは、学校じゃなくてもできることだし、もちろん、何かに抗ったり、反社会的にならなくてもできること。静かに、そして、着実に進めていこう。まだまだ、これから。

いろいろな子が集まるということ

この前、買い物帰りに某ドーナツ屋さんの店内に飾られた絵を見て「お!」と思った。懐かしい“ねむの木学園”の絵だったから。ぼくは個人的に一回、コーラル熊谷のみんなで一回、計二回静岡県にある“ねむの木学園”まで行ったことがあって。ひと山まるまる、まるで“村”のように学園が存在しているのは、なんとも不思議な雰囲気でとても良かった。

ねむの木学園の美術館は建物自体が素敵なんだけど、もちろん中に入ってから作品と向かい合う時間は特別なもので、絵が持っている“陰陽”に飲み込まれそうな瞬間があったりするくらい。それは、この“絵”自身が持つ力であって、受け手であるぼくは、この絵について語る術はないんだなぁと感じる瞬間でも。ぼくの思考の主導権は、完全に目の前の“絵”が持っている感覚に。今まで絵画と向かい合って、そんな風に力を感じることはなかなかないなぁと。

ねむの木学園は、世界各国でも展覧会を行っていて、美術館の中でも外国の方の解説が紹介されていた。そこには、障害のある人の絵として…とか、心理学の観点からみると…などと解説をする人がいるかもしれないけれど、それはこの作品と真正面から向かい合えていなく、そんなことを超越した作品だ…といった内容で、妙に合点がいった。

美術館を出て、フラフラしながら思い出した出来事が一つ。

フリースクールに最初に関わった頃に、みんなで車の絵を描いたことがあった。
「うちの車は、屋根にバーがついていて…」みたいに、ホワイトボードにみんなで描いていたのだけど、一人の子が「うちの車はね!」と、描き始めた絵を見て少し戸惑ってしまった。本人はエキサイトしながら「上はこうなってて!!」と、解説しながらペンを走らせているのだけど、描けば描くほどよくわからない絵になっていく。強いて言えば、展開図のような絵に。

帰宅して、このことを姉に話してみた(うちは、ぼく以外の家族がみんな絵を描く)ところ、
「それは、本人が車の絵を描いているんだから、それは車なんだよ。それを車だと見えない方が問題なんだよ」と、一蹴された。ぐぅの音も出なかった。

発達の視点から言えば、確かに“発達障害”のいくつかの要素を持っていた。ただ、表出していくる行動をどういう風に捉えるのかということは、最終的には受け手の感性がどれほどのものなのかということにかかっているのだと。自分の中で、何かが変わった出来事だった。

フリースクールの多くは、異年齢の集団で構成されていることが多い。そして、それぞれのスクールの方針があるにせよ、学校に行かないという選択に至る経験をしてきた子が集まってきているのが現実だと思う。中には、「あぁ、学校に行っていた時は、大変だったろうなぁ」という行動を取る子もいる。学校という場所にできる対応に限りがあることは当然だし、その枠を飛び出た時にどの様な受け止め方をされるのかということは、本人が話さなくても何となく想像できてしまう。

もちろん、フリースクールも子どもの集まる場所だから、こういう行動に対して周りの子が眉をひそめたり、直接「何なんだよ!」という言葉になったりすることも当然ある。
苦手なところはお互いにカバーし合おうね…と、我慢を強いるわけにもいかない。けど、トラブルに繋がる行動が収まる訳でもない。時間の重なり方によっては、次第にギスギスした雰囲気がスペースに漂う時間が増えてしまう…ということも珍しくはなかったり。最初の頃は、行き帰りの電車の中、ずっとこのことで頭がいっぱいになるようなことも少なくなかった。

ただ、たくさんの子と接していてふと気づくことは、こういう子はものすごく愛嬌があるということ。ある場所では“問題行動”と位置付けられるかもしれないけど、その屈託のなさに注目すれば人を惹きつける存在でもあって。そういう雰囲気でスペースが満たされていくと、このギスギスも全く違ったものになっていった。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*(沖縄への修学旅行)

毎年、10泊近くをかけての沖縄旅行。2つのスペースが一緒に行くので、初めて会う子も。

気がつくと隣にいる子。
「あなた(←ぼくのこと)、こういうことされたら、どうなの?」
知らない人の携帯を勝手に触り出す。携帯の持ち主に謝るぼく。
「これっ。何してるん!」
「あははー」

「ほら、こうやったら、どう?あなた(←ぼくのこと)、怒る?」
共同の洗濯機に、ザーッと洗剤をいれている。
「これっ!」
「あははー。あなた、怒るのね」
洗濯機は故障…。
「…あなた、どうするの?」
「…」

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

旅行で初めて会って、いきなりこの調子だったので、どうなるかなぁと思っていたけれど、10日以上も一緒にいればいろんな場面に出会うように。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+**+*+*+*+*+*+*(波止場でのこと)

誰かがこっちを見てるなぁ…と思っていたら、ウォークマンを聴きながらじーっと。

「あなた(←やっぱり、ぼくのこと)も、聴く?」
「ん?何の歌、聴いているの?」

ギューっと入れられるイヤホン。沖縄の夏の日差しの下、流れてくる『ラスト クリスマス(織田裕二バージョン)』…。

「知ってる?」
「知ってるよ。おれが聴いたことあるのは英語の人だったけど…」

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

珍道中と言っていい出来事が満載だったけど、帰京して解散時には「ありがとうございました」と、泣きながら言ってきたんだっけな。ふと、よみがえる情景がたくさんある。
そんな時間を過ごしながら、最初は“困ったなぁ”の行動だったのが、“可愛いなぁ”の行動と捉えられるようになってきて。全体がゆったりとした空気に包まれていくのを、みんなで共有しているようだった。

強調しておきたいのは、これは決してみんなが“寛容”になるというのではないということ。その結果が、ただただ“惹きつけられていった結果”であって、あくまで受け手の感性が豊かになっていった結果と。
もちろん、困ったことにはしっかりとした対応が必要なことには変わりない。けど、その対応の仕方も少し工夫が必要になってくる。「どうしていましたか?」と聞かれたこともあって、相談に乗ったこともあるけど、基本的には自分の感性で編み出していくべきことだとは思う。

ともすればただただ大変な時間と記憶されてしまったかもしれない出来事が、とても楽しく暖かい思い出として残る。これは、その場にいたみんなにとって同じだと実感があって、なぜかというと思い出話が心地よいから。この心地よさは、人が入れ替わってもスペースとして受け継がれていく空気でもあって、こういうことは、年齢も個性もいろんな子が集まるフリースクールだからこそ。
子どもと大人一緒に、空間としても一人の人間としても成長していける時間を過ごしていく…。大げさかもしれないけれど、これは、未来への光の原点だと思うのです。

フリースクールのタイプ分けを試みる~補足

思いの外、ご意見を頂けてうれしいです。今後の考察に参考にさせていただきます。

前ブログで説明しきれていないところがあるので、補足します。

「そもそもこのタイプ分けが必要なのかどうか?」ということですが、第一に、このタイプ分けは、あくまで“利用する側”にとっての利点と思っています。利用者が、実際にフリースクールを選ぶことになった際、地理的条件が最優先になることがほとんどです。まずは、通える範囲にフリースクールがあるのかを調べることになります。ただ、複数のフリースクールを見つけた時、片っ端から見学に行ってみる…というには大変なことも多々あります。
その際に、多くのフリースクールが行っている料理や遠足などの“体験学び”ではなく、どういうメソッドに基づいて学習を行っているのかということが、各々のフリースクールの考え方の大きな特徴となり、一つの判断材料になってくると思っています。もちろん、その空間が子どもにとって安心できる場所かどうかが最も大事なことには違いませんが、学習に関するスタンスというのはこの安心に関わってくるものだと思います。

では、なぜ『タイプ分け』なのかというと、フリースクールはそれぞれ独自の考えに基づいているので、設立の段階から公教育とは種が異なってきます。現在学校によっていろんな特徴があるとしても、学校はあくまで公教育に沿って作られていて、それゆえに同じ物差しで測ることが可能になります。善し悪しは別として、偏差値はその表出の一つで、結果、『ランク付け』が可能になります。
これに対して、上述の通り、フリースクールは各々の思想が反映されているので、それを共通の物差しで測ることは不可能です。結果、一つの体系化の手段として『タイプ分け』という訳です。

最近は、大学生などの若い世代が「ゆくゆくはフリースクールを作りたい」と話していることを聴くこともあります。その多くの学生さんは、すでにボランティアなどでフリースクールに関わっていることも多いです。現在、日本各地にフリースクールがありますが、関われる数にも限りが出てきます。この様なグループ分けは、日本のフリースクールの現状を整理して把握することを助け、一つの指標となり、新しい場所を作ろうしている次の世代のヒントになりうるとも思っています。

なお、元々は、どこかの大学で日本のフリースクールの総論を研究したりしていないかと探していたのですが、多くは個々のフリースクールの活動を追ったレポートの様なもので、総論に関してはなかなか見つけることができませんでした。ならば、自分で…と試みている最中です。もちろん、ぼくが探し切れなかった情報もたくさんあると思うので、今後とも助言を頂ける機会があれば嬉しいです。

フリースクールのタイプ分けを試みる

ちょっと前までは、「フリースクールで働いている」と言ってもなかなか通じないので、最初から「不登校の子が集まっているところで働いている」と言うことも多かった。ニュースで“フリースクール”という単語が出てくるのも、何だか事件絡みのことが多かったりして。そんな頃から比べると、今日、随分周知されるようになってきたなと。

ただ、フリースクールがどういう所かということまでは、なかなか知られていない。不登校の受け皿としての公的な機関だと思っている人もいたりして、教員免許を持っている人が働いているとか、「学校にはどのくらいの頻度で行かなければならないんですか?」という疑問をもったりと、実際とは大分違う想像をしている人に出会うことも。これは、実際に関わることがなければ、普段の生活の中で触れ合うことはないことの表れでもあって、広く認知を目指すのであればフリースクールの側から何らかの発信が必要なのかもしれない。

そんなで、少し思いつくところでまとめてみようと思う。ちょっと堅苦しい文章になってしまうけど、ご勘弁を。。。

学校などを“公的”な教育機関とするのに対して、フリースクールを始めとする「公的な教育機関以外」の教育機関を“民間”の教育機関とする。この“民間”教育と、“オルタナティブ”な教育機関はほぼ同じことを指す。(最近は“民間”というと企業参入のイメージが強いけど、本来はそうではない。)

この“民間教育”については、一市民が実行者になので、特に資格は必要ない。だから、何かの要件を満たしているから「フリースクール」と名乗っているわけではなく、あくまで“自称”。それゆえ、ひとえに「フリースクール」といっても、実行者の考え次第なので、形態は様々あり、それゆえに外部の人からするとわかりずらいところがある。

ちなみに、フリースクールに通っていても、子どもの在籍は“公教育”の中に置かれる。つまり、近所の小中学校に籍を置きながら、フリースクールに通っていることになる。この際、校長裁量で、フリースクールに通っている日数が、在籍校の出席日数に振り替えられることがある。この“校長裁量”というところが何ともむず痒いのだけど、関東近郊におけるぼくの経験では、90%以上の子は振り替えを認められていた。出席が認められれば、電車やバスでフリースクールに通う場合、通学定期を買えることになる。(これは、フリースクールに通うことが、校外学習のような“実習”に出ている位置づけになる…ということだったはず。うろ覚え…)

ただ、前例主義が強い地域においては、校長が首を縦に振らずに、家庭と学校の間では話し合いが難航する場合も多かった。そういう際は、フリースクールの代表者として、家庭と学校の間に入って交渉を行う。ちなみに、この出席振り替えについては、ぼくが勝手に言っているわけではなく、旧文部省から各学校に通達が出ているということに基づいているので、そういう話をすれば、結局はOKがおりることがほとんどだった(学校の方がこの通達を知らないことがある…)。ぼくが住んでいる沖縄を始めとして関東近郊以外の実例がどうなっているのか、今の段階でしっかりとした把握はできていない。けど、本来は、地方によって対応に差が出てくることは許されないはずの内容だとは思う。

(数年前、高校についても同様に通学定期の採用が認められるという話があったけれど、これについてもしっかりと把握できていない。ただ、義務教育年齢においても“私立”の学校においては、なかなか通用しないことが多かったので、高校に関しては学校の判断が色濃く表れるかもしれないと思う)

さて。
実際に子どもが通っているフリースクールはどんな場所なのかと言うと、上述のようにスペースによって様々。この“様々”は、オープンしている時間、日数、対象年齢…ありとあらゆことが当てはまる。
こういう運営の仕方について考察してもきりがないので、ここでは方針や活動について絞り、フリースクールを始めとする民間教育を大きくタイプ分けしてみたいと思う。

その前に…。以前のブログでも書いたけれど、だいたいのフリースクールでは、子どもの提案を募り、ミーティングによって活動を組み立てている。その結果として、料理、遠足、季節ごとの自然活動、農業、修学旅行、英会話、音楽、美容関係…などなどが行われているところが多い。それぞれのスペースで物理的・経済的制約があるものの、多くのフリースクールが行っている活動のジャンルというのは以上の様な例になってくると思う。
多くのスペースにおいてこの様な活動体験を、“学び”として位置付けている。なお、各々の“体験学び”は結果としては同じジャンルに集約されるけど、そこに至るプロセスにおいてはそれぞれのスペースの考えが反映されていることは、補足しておきたい。

この様な“学び”の活動に加えて、行われるのが日々の学習活動。これこそが、それぞれのスペースの教育スタンスが如実に表れる部分だと思う。今回は、純粋に“学習”の教育という観点から、民間教育機関のタイプ分けを試みたい。これは、子どもの“学力”に対するアプローチの仕方と言ってもいいと思う。

大きく分けて、次の二つの要素を設定して、その組み合わせでタイプ分けをしてみた。

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《学習の進め方》
A:準備されている学習カリキュラムを柱に学習を行う
B:子どもに応じて学習カリキュラムを編成していく

《学習の内容》
a:公教育の指導要領を踏襲
b:公教育以外の教育メソッドを持っている

1.A‐a型
基本的に学校に似ている。時間割が設定されているところもある。学校よりも圧倒的に高い自由度の中、“学校生活”を送ることができる。個別の学習対応を行い、個人のペースに合わせて基礎から学び直せるところも多い。また、学習塾が、昼間の時間帯に不登校の子を集めて学習指導しているところもある。教材はその塾のものなので、学校のカリキュラムに沿って学習を進めることができる。

2.A‐b型
日本の公教育とは違う、特定の教育理論に基づいてカリキュラムが組まれている。多くの場合は、海外での教育メソッドを踏襲し、それをアレンジして教育を行う。自由教育と銘打っていることが多いけれど、理論に基づいてしっかりとしたスケジュールが組まれていることがある。

3.B‐a型
日本では一番多い形だと思う。皆で集まり、活動を作っていくこと自体が第一目標になっていることが多い。学習に関しては、本人に任されていて、基本的に子ども自身が動き出すのを待つ。勉強を始め出した時には、教科書や指導要領に基づいたドリルを行うことが多い。学習内容に合わせて、外部講師やボランティアを呼ぶところも多い。

4.B‐b型
独自の授業を行っていくことが活動の中心にある。上述の“体験学び”は、授業の一形態として位置付けられている。他にもオリジナルの授業を行っていくので、基本的にスタッフ自身で授業を組み立てていく必要がある。教科学習に関しても、学校教科書ではない教材を準備している。

※もちろん十分なタイプ分けには足らないと思っているので、今後もアンテナを伸ばして情報収集をして改訂を重ねていきたい。

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各々のフリースクールが立ち上げに際して、「不登校に対応して設立」されたのか、それとも「公教育以外の教育実践として設立」されたのかが、学習指導法、更には学習そのものに対する考え方に、大きな違いを生んでいると感じる。ただ、こういう大人の思いはさておき、今までいくつかスペースを見てきたけれど、どこのスペースでも楽しく活動している子ども達がいた。それこそが、スペース存在の第一意義には違いない。つまり、それぞれのスペースの善し悪しというものは存在せず、その子ども自身に、その場所、その学びの形が合っているかどうかという“個々の視点”が、唯一の判断材料ということになる。

多くの民間教育従事者は、今後この国では、子どもが自分に合った形での“学び”を選択して行けることが望ましいと思っている。この“個々の視点”に基づく選択を可能にするのは、学校、フリースクールを始めとする民間教育、そして家庭が、同列の選択肢として存在していることが第一で、それぞれの場所が、学習に対してどの様なアプローチをしているのかについての情報が開示されていることが必須だと思う。学校がどういう場所で、どういう学習の進め方をしているのかは、既知のこと。これに並ぶようにして、まずは、民間教育従事者が“体験学び”の紹介に加えて、学習に関してどの様なスタンスで、どの様な手法を取っているかを明確にしていくことが、その存在意義を社会に示していくことに繋がっていくと思う。

最高裁判所裁判官の国民審査から“死刑制度”のこと

あっという間に投票日まで一週間を切りました。今回、衆院選ということは、最高裁判所裁判官国民審査も同時に行われます。普段の生活において どういう裁判で、どういう判決が出たかには目が行くけれど、誰がその判決を下したのかについては正直気を配っていなくて。

インターネットが身近になる前は、「いつも全員“バツ”つけてるよ」か、またはその反対のことしか聴いたことがなかった。投票に行って、初めて目にする名前…ということがほとんどだったから。まぁ、今はある程度の情報を検索することができるので、時間のある時に調べています。

さて。何を基準に“バツ”を付けるのかは、一人ひとりそれぞれに判断基準があると思う。けど、いろいろ見ていると、“死刑制度”をテーマにしている人が思いの外に多くてちょっとびっくり。

今回の国民審査は裁判官に対するものなので、法制度に対する委任とは違うのかなというのが個人的な考え。

ただ、この“死刑制度”に関しては、しっかりと考えなければいけないことには違いないと思っていて。
国の制度として“死刑”は必要なのか?難しいです。。。

個人的な意見として。
もしも自分の大切な人が殺されるようなことがあったら、やはり極刑を望むと思う。ただ、これはぼく自身の感情であって、法律、憲法というものは、そういう感情を超越した存在であるべきとも思う。これは、決して無慈悲にあれというわけではなくて、道理が通っているべきということ。公の手段としての殺人なら容認するべき…ということに関して、「死刑だって人を殺すことなのに、どうしてそれはいいの?」と子どもに聞かれたら、今の自分は答えに詰まってしまう。悪い人は殺されてもいいんだよ、自業自得だよ、とは言えない。。。
(「戦争で人を殺すことはいいの?」に関しては迷わず答えられる。戦争を放棄する国で生きてきたから)

こういうことを考えると思い出すのが、10年くらい前に「どうして人を殺しちゃいけないの?」という問いに対する答えがブームになったこと。
いろんな答えを目にしたけど、一番目についたロジックは、「あなたが人を殺していいとなったら、他人はあなたを殺していいということになる」というものだった。自分がやられて嫌なことはしてはいけない、という論理かだろう。しかし、今は「自殺したいから。死刑になりたいから…」という理由で起こされた殺傷事件も結構思いつく。こうなると、上記のロジックは成立しえない。もちろん、これは、死刑が犯罪抑止力になりえないことを表しているとも思う。

ちょっと話が逸れるけど、ぼくは、子ども同士でトラブルがあった時に、年齢によって気をつけていることがあって。それは、年齢に合わせて、「自分が同じことをされたら嫌でしょ?」ということから、「相手は嫌がっているのだから」という流れにシフトしていくこと。「自分が同じことをされたら嫌でしょ?」というのは、相手に自分を投影することによって相手の状況を実感するということで、これは、体験の絶対数の少ない時期にはとても大事なことだと思う。
けど、「自分が同じことをされたら嫌でしょ?」の答えが、「いや、おれは全然嫌じゃないし」という時期が来る。このくらい大きくなると、いろんな経験も重ねていて、他者との違いを自認しながら自我も芽生えてきている。そういう時期になったら、自分の目を通しながらも、他者の感情を想像するということが必要になってくるのだと思う。
「あぁ、あの子にとっては嫌なんだな」という風に。
特に、老若男女国籍問わず他人と接していく可能性のある現代にとっては、他者を想像するということは平和構築のためには絶対に必要なこと。もしも、遠い国の話を聴いて自分の胸がズキっと突き刺さるように痛むような時があったら、会ったこともない人の気持ちを想像しながら、小さい頃に行っていたような自己投影をしているのかもしれない。

「どうして人を殺しちゃいけないの?」というようなことが論理ゲームのように扱われ、ブームになること自体が、正直あまり良いことだとは思わなかった。自我を超えたものとして許されないと認知されるべきことは世の中にあると思うし、この疑問はその最たるものだと思うから。ただ、当時は、ブームになったことで、子どもにとっては身近な大人に質問したくなる気持ちが出てくるのはわかるので、上記のような「相手のことを考える」という軸の延長での説明をしたし、「じゃぁ、どうして殺していいと思う?」という質問返しで、暗に“自分でも考えてみよう”という、ちょっと“ズルイ”対応をすることもあった。
一つ、安心していたのは、こういう質問をしてくる子がぼくを試しているような感じで、けっして純粋に「なんで??」と思っているわけではないということが分かっていたことだった。

さて。冒頭の話に戻ります。
デリケートな話題なんだけど、自分で書き始めておいて言いっ放しにするわけにもいかないので、今の自分の判断としては“死刑制度”に関して反対。もちろん、上記のような考えがあってのことで、「人を殺しちゃいけない」という道理を通せば反対になるということ。

だけど、加えてもうひとつ…。

誰しもいつかは等しく死を迎える。これは間違いのないこと。この“死”という誰にも必ず起こることが、人によっては“罰”と意味づけられることが果たして正当なんだろうかと。中には、未来をもって償うという見方もあるかもしれない。ただ、いろんな理由から、もっともっと長い未来を残してこの世を去っていくこともある。そういう方の思いを考えると、“未来”というものを“償い”として扱うことにも違和感を感じてしまう。
これは、人道的な理由で死刑に反対というのとはちょっと違う。単純に、犯罪を犯した人の“死”とか“未来”に特別な意味づけをするということが、どうにも腑に落ちないということ。「じゃぁ、代わりにどうしたらいいんだ」と言われても何とも返事ができないので、これはあまり他人には話したことがなかったこと…。ただただ、“死刑制度”について思う独り言とでも捉えてもらえたら。

このブログを書いてて思い出したことがあって。大学時代、外国人の女性教授が、
「犯罪人は全員死刑にしたらいいよ。そうしたら良い人だけ残って、パラダイスでしょー!」と言ってきて。
「うーん…。いや…」と答えると、
「なーんで!パーラダイスでしょ!!」
とさらに重ねてきて閉口したことがあった。この教授の授業で覚えているのはこのことだけだけど、勉強になったな。。。