震災の話~3月11日

最近、地震や火山と災害が続いています。被災された方々には、遅ればせながらお見舞い申し上げます。

311の地震から3年半以上です。けど、未だに地震があると「きたか!」と身構えるし、緊急地震速報なんて鳴った際には心臓がバクバクします。

あの日、揺れを感じる場所にいた人にとっては、その日にどうしていたかを克明に話せる人は多いんじゃないかなと思います。それだけ強烈な体験でした。(ちなみに、お客さんに「沖縄は揺れましたか?」と聞くと、「ん?全然だよ」とのこと)

今後、また地震や噴火が起きるかもという話もあります。災害は忘れたころにやってくると言う人もいますが、実際にその場面になった時にどれだけ準備が出来ているかということには、“心の準備”も多分に含まれていると思います(いつ来るかいつ来るかと、ビクビク生活しようというわけではなくて)。

そんなで、最近は意識からは遠くなることも多くなった震災のことを思い出し、書いてみようと思いました。あんまり思い出したくない…という方ももちろんいると思うので、そのような方は、この先を読み進めないようにお願いします。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(2011年3月11日)

ぼくはコーラル熊谷のスペースにいて、みんなとゲーム。昔の卒業生も遊びに来てくれて、普段よりは賑やかな金曜日。金曜日というと「明日はお休み!」という開放感があるかもしれないけれど、コーラル熊谷は木金土がオープン日なので、まだまだ中日。しかも、ぼく個人は、日曜日に電話相談の仕事が入っているで、2週間連続出勤。ぼくにとっては、中日もまだまだ…。

さて。17時までの活動時間で、事務仕事と翌日の授業の準備もしないと…といういつものひと時。

+++++++++++++++(14時46分)

『グラッ…』

「おーぃ、地震だよぉ。机の下ー」
小学校低学年の子もいたので、ちょっとした避難訓練のような雰囲気。
「わー、じしーん」
なんて、危機感はゼロ。みんなを机の下に潜り込ませて様子をみる…。

『ガタガタガタガタ!!!!!!!!』

すぐに、今まで感じたことのない揺れになり、「これはマズイ」と全身の毛穴が開くような緊張感。

「ちゃんと机につかまって!」
「うぅあぁぁ!!」
みんなも凍りつくような顔。不安でまんまるになった目が、机の下の影からこっちを見ている。

とにかく揺れが長い。倒れてくるようなものはないけれど、それより建物が倒れるんじゃないかという大きな揺れ。一瞬、高校生の時に見た、阪神大震災の映像が頭をよぎる。

「まだ!?」
「まだ!まだだよ!」

数分経って、ちょっと揺れが収まった隙に、

「すぐ外に出るよ!上着はなし!」
机から目の前のドアを通り建物の外に出て、窓などが落ちてこないような場所で待機。通りの向こうの電柱は、メトロノームのように揺れている。電線はいつか絡まるんじゃないかというほど波打っている。

うずくまる小学生。アルバイトをしていた教え子もやってきた。

「大丈夫だった!?こっちはヤバかったよ」
食べ物屋さんで働いている途中での地震だったけど、ガスを切ったりとパッと行動できたみたい。さすがだ。

一緒にいる人数が増えたけれど、それで不安が収まるような状況ではない。
「テッシ―、テッシ―…」
「ちょっと寒いけど、揺れが収まるまで我慢ね」

そんな風に言い、なだめていると、

「あれ?なんで?雪だ…」

何だ、これは?夢か??
思いもよらずにぱらつく雪。何で??

収まるかと思っていた揺れは、全く収まらず。『まだまだ終わらないよ』と言っているかのように、大きい揺れの波がやってくる。

「うー、寒いよぉ…」と、震え出す子。

「ちょっと、ここで待ってなね」と、一人ビルに戻る。幸い物が倒れているようなことはなくて一安心。みんなの上着と、携帯が全くつながらない状態だったので固定電話の子機を持って外へ。

「さ。おうちに電話しようね」
雪のせいか、はたまた動揺が収まらないのか、手元も震えるよう。けど、親御さんの声を聴いて、みんなも少し落ち着いた様子。何時になってもいいから、迎えに来てもらうようにお願い。

結局20分くらいは外にいて、部屋に戻った後も大きな揺れが来るたびに外に出る、の繰り返し。揺れが収まっているはずだけど、揺れているような感じもする。

「ほら、こうするといいよ」
中学生の子が、コップに水を入れて持ってきてテーブルの上に置いた。賢い。みんなの視線は、水面とテレビを行ったり来たり。けど、部屋で寒さをしのげるのは、気持ちをかなり落ち着かせてくれる。

けど。

「大変なことになっているよ…」
テレビを見て唖然。津波が次々に街を飲み込んでいる…。

ただ、正直なところ、事の重大さをそこまで感じていたとは言えない。津波は遠い街のことのようだったし、後から電車で来るはずだったスタッフには「じゃ、電車が動いたら教えてね」というくらい軽い危機感だった。交通網が全て麻痺してしまうなんてことは思いもせず。

そう。この地震が自分の人生を変えるような出来事だったというのは、この時点では全く思ってもいなかった。「明日は念のため、お休みにしますね」と、みんなをお迎えに来た親御さんに伝えるくらいにしか感じとっていなかった。

けど、そのお休みになった翌日以降。物資不足の混乱、原発事故、計画停電、そしてボランティアに行った石巻の景色…。度重なる目の前に広がる想像だにしない世界に、認識を改めざるをえない状況に直面していくのです。

(続く)

またまた選挙です

沖縄は最近まで知事選を始めとした選挙があったのだけど、あっという間に次の選挙。お店の入り口からこちらを覗いていた選挙掲示板は、一つだけ次の出番のために残され、そこには候補者のポスターも残ったままなので、未だにらめっこ継続中です。「落ちた人もいるのにねぇ。早く取ってあげればいいのに」とはご近所さん。完全同意。。。

ちなみに、ぼくは友人が衆院選に立候補したことがあるので、少しお手伝いに行ったことがあって。あぁ、選挙ってこういうものなんだなぁと、とても勉強になった。公平性なのかよくわからないけど、とにかく不効率だなぁと思うことが多かったけど、決まりは決まりだから仕方ないようだ。ぼくにとっては、選挙を始め政治もそれまで以上に身近になるきっかけになったので、機会があったらちょっとお手伝いしてみることはお勧めしたい。きっとひたすらビラにシールを貼るような作業が待っていると思う。

さて。自分が選挙権を持つまでは、面倒だという勝手な印象と、政治に対して諦めていることの方が社会を現実的に見ているような倒錯をしているところがあって、「選挙?そんなのしたって世の中何も変わらないよ」と言うことが、そのアピールかのように思っていた節がある。単純に、愚鈍だったのだ。今は、こういう時期を苦々しく思い出すことをいろんな行動に繋げていかないと、と。

以前のブログでも書いたけれど、「必ず投票するんだよ」と、子どもみんなには言ってきた。それは、上記のように自分のことを思い出してのことでもあって。もちろん、興味がわかないことには、ただ面倒だということになると思うので、政治の授業、選挙の授業は時事を含めてよく行ってきた。中でも、選挙制度の授業は、国会の仕組みなど事前に必要な授業も多く、シリーズ化せざるを得なくなって大変だったけど、選挙期間になると小学生も一緒になって楽しめるトピックだった。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*(授業の話)

「今日、ここに来るまでにポスター、見た?」
「見た!」
「じゃぁ、ポスターには何が書いてあった?」
「えっと、写真と…ナントカ党とか」
「あと、○○って名前…。あ、あの人だ」

前の道を大きな音を出して通る、選挙カー。
窓から覗くみんな。

「ご声援、ありがとうございます!」と、選挙カー。
「ゴセイエン、した??」と見合うみんな…。

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

フリースクールの場合は年齢層が幅広いので、「何で一回の選挙で何回も投票するの?」という疑問がまさに自分のこととして実感する子もいて。まぁ、小選挙区、比例代表、中選挙区と、どうして分かれているの?と不思議に思うことは自然なこと。けど、それぞれの長所短所を一つ一つ確認していくことは、いろんな政治の動きを読むために大事なことだし、何よりも民主主義を成長させるために、表面化した短所を埋めるべく選挙制度を編み出してきた知恵の歴史に触れることでも。だから、それぞれの選挙制度の“熱い思い”に気付くと、「おぉ~」となることが多かった。子どもにとってはしっかりと感じられる“思い”なので、政治家の皆さんには、都合よく利用するのではなくて、原点の意識をしっかり持ってもらいたいものです。

さて。政治の話をしてはいけないというのは、この国では暗黙の了解になっていて。子どもにとって、話しちゃいけないと言われていることを、ある年齢になったから「今日からは真面目に考えなさい。自分で」というのはだいぶ無理があるのでは、と思っていて。日頃からこれだけ目につく顔なのに、「アンパンマンみたい」とか有名人の第一印象みたいな話が終わってしまうことは実にもったいなく、おそれないでみんなのために何をしようとしている人なのかくらいまで話をした方がいいのではと思う。

そもそも、政治家というと、なんだか遠い存在かもしれないけれど、実際に話してみると親戚のおじさんおばさんみたいな人が多くて、ちょっと拍子抜けする。子どもにとっても、そんな身近な存在として政治があると、みんなが大人になった時にはもっと成熟した社会が存在しているのかな、とも思ったりもします。希望を込めて。

“フリースクール等フォーラム”のこと

先日、文科省の主催で“フリースクール等フォーラム”が行われたようだ。参加された方のブログを拾い読みしている状態だけど、その中で若い方の参加が多くて世代交代を感じたという感想があって、あぁそうかぁといろんな思いが。

ちなみに文科省主催のフォーラムということについては、「やっと国が動いた」という感想を好意的に持っている人が多いようでちょっとびっくりしたけど、どちらかというとそういう思いの方が今のフリースクールの中ではメインなんだなぁと認識を改めることにした。

フリースクールと経営のこと、関わる子どもの経済的問題については身に染みるくらいわかっている。いろんなフリースクールがあの手この手と経営の健全化に四苦八苦している。自分もその一人だったし、現在食堂を何とかしようとしているのもこの四苦八苦の一部分。

さて。国が責任を持てという主張も痛いほどわかるのだけど、

「日本国憲法第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」

という下で、どういう形になるのか。以前お話を伺った当時文科省の方も、この条文を理由に公的資金の投下は難しいということだった。簡単に言えば、公金が落ちるということは、民間教育ではなくなるということだろうか。これは、つまり、ぼくが沖縄に引っ越してきたころ連日報道されていた、“八重山教科書問題”のような公教育の動きを受け入れるということだと思っている。

フリースクールを“不登校児の受け入れ場所”としているのであれば、学校と同じ内容の教育を行うことに抵抗はないかもしれない。また、そうではなくて、学校教育に不備を感じ、独自のポリシーやメソッドに基づいた教育を行っているフリースクールにとっては、考えなければいけないことが出てくるはずだと思う。これは、どっちがいいとかではなくてスタンスの問題。今のこの国にはどちらも必要だから。ただ、どうもごっちゃになっていることが多い気がする。

あれこれ書こうと思ったけど、矢継ぎ早に毒しか出てこない感じなので、やめておきます。

最後に、一つだけ。

フリースクールを始めとした多くの民間教育機関の方々は、文字通り身を切りながら運営をしてきているだろうし、学校を始めとした公的機関とのやり取りに苦慮してきた思いもあると思う。
そんな逆境も苦労とも思わず活動し続けてきたのは、自分たちがしていることに確信を持っていたからで、その確信は、目の前の子どもが楽しく成長していく姿に裏付けされていたんだと思う。例え国がそっぽを向いていようとも。。。

ぼくがフリースクールの世界に入った十数年前には、社会に対しての「民間の教育運動だよ」と言っていたけれど、今一度この意識を確認していくべき時期にきていると個人的には思っている。今、フリースクールを始めとした“不登校業界”は大きな変革期に来ていて、何らかの選択を迫られる事態が近づいてきていることには違いない。その選択による結果は、目の前の子どもはもちろん、将来に渡ってその結果による枠組みを適用され続けるかもしれない次世代が背負うことになるということを念頭に、準備をしておきたいと思う。

難関大学に入れたら、はい100万円

最近、話題になっていたニュースがこれ↓

難関大合格で100万円 鹿児島県立高「ニンジン作戦」成否

100点取ったらご褒美をあげる…なんていうのは珍しいことじゃないと思う。ぼく自身は、こういう習慣がない家庭で育ったので、あんまりこういことの必要性を感じない。むしろ、今まで見聞きしてきた中で、年齢が上がるにつれて「高額なものを買えと言って困る」という話も良く耳にしてきたので、その弊害の方を心配してしまう。小学生くらいなら数百円のご褒美で済むかもしれないけど、年齢に合わせて、ゲームだパソコンだバイクだ(!)となっていくのはとても自然なことなんじゃないかなと。
“ご褒美賛成派”の一部の人は、小さい頃は動機づけとしてご褒美をあげて勉強を習慣づけて、年齢が上がるにつれて本来の学習の形である“自分のために勉強する”という流れになっていくという目測を持っているのかなぁとテレビを見ていて思った。けど、これは随分楽観的だなぁと思ってしまった。この習慣づけは、ご褒美をもらうということもセットになっていると思うけど、どうだろう?

子どもがどうやったら勉強をするようになるか、あの手この手と考えるのは、大人は皆同じだと思う。ぼくは、楽しいと思うことが一番の動機づけになると思うし、この楽しいというトピックをどうやって提供していくのかが一番だと思っている。ただ、それだけじゃなくて、問題を解くとか暗記というような反復演習も必要だと思う。子どもが、これを面倒だと思う気持ちは、良く分かる。自分もそうだったから。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+(お勉強の時間の前に)

「今日は算数からやる?」
「いや、やらない」
「ん?なんで?」
「メンドクサイからー」
「お。そうか」
「いいの?」
「いいよ。おれは困らないから。だって、おれは今日出すはずだった問題、できるもん」
「うー…。やるよ…。やればいいんでしょ」
「いや。やれ、とは言ってないんだよ。やるなら、やろうって。やらないなら、やらない」
「うーー…」

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

こんな問答はしょっちゅうだった。しまいには慣れちゃって、
「はいはい、テッシーは困んないもんねー。やるよ。やりますよー」
「なんでぃ、その言いぐさはー」
と朝からよくわからないやり取り。まぁ、気持ちが入らない時には、ただただ時間がかかるし、そのくせますますつまらなくなるのは当然。だから、提示する内容だったり量を意識するのはこちらの仕事。とにかく、勉強は自分のためにすることと思ってほしいし、そう思えたならば生涯に渡っていろんな勉強を重ねていけると思う。

ちょっと脱線するけど、フリースクールに来ている子が心配していることの一つは、勉強のこと。学校に行って
いれば、身に着く云々は抜きにして、とりあえずは自動的に勉強をすることになる。学校に行っているみんなは授業を受けていると思っているからか、フリースクールに来始めの子は、ある程度自由になったので「勉強しなくていいんだー」と解放されるより、自分のドリルなどを持ってくる子は多かった。そんな様子を見ていると、ただただ、自分は勉強していないということから生まれる不安をどこか抱えてしまっているのかな、と感じざるを得なかった。だから、ちょっとしたことでもいいから、今日は勉強したなという時間を過ごせるといいし、ましてやそれが楽しい時間だったらこの上ないと思う。(このことも、また今度の機会にしっかり書こうと思う)

さてさて。ニュースの話に戻ります…。
テレビを見ていると、現地の高校生にもインタビューをしていた。見ている限りは、多くの子が賛成だった。そして、その理由は「親の負担を減らせるから」というもの。あら?大人が話していた“ご褒美”とは、ちょっと意味合いが違うんじゃないか?

大人が話していた“ご褒美”は、子どもが自分の好きなことに使うと言ったニュアンス(例えそれが学費であろうと)。
子どものにとっては、大学に行くための、経済的補完。

まぁ、テレビに出てくるような大人だから、今のいわゆる“苦学”の状況をわかっていないんだろうけど。経済的理由によって、教育の機会を奪われているということは今は全く珍しくない。10年以上前に進学塾で教えていた時、面接対策で高校卒業してからどうしたいかという質問をしたら、「近所の工場で働くしかない」と答えた子もいた。本人の希望ならばもちろん良いのだけど、高校入学する前から「それしかない」。
そんなことを思い出しながら、ニュースを見ていて、本来なら大学名なんかも関係なく、勉強したい子は勉強ができるようにする奨学制度があってしかるべきとしか思わなかった。

個人的なことを書くと、ぼくは、親に学費を払ってもらい、奨学金を借りて、大学でも学内奨学金の給付を受けた上で大学を卒業できた。少し前まで、日本には、自分も利用したように奨学金があるからお金がなくても大学に行けるし、しっかりとした枠組みがあると思ってた。けど、この国の制度もそんなに褒められたものじゃないようだ。奨学金が給付という国や、学費は無償という国も珍しくないと知って、ちょっとガクッときた。今は、奨学金を借りても卒業後に返済ができず困っている人もたくさんいる。「借りた金なんだから、返すのは当たり前」と言われたらそりゃそうなんだけど、返せなさそうな借金を躊躇するのも当たり前だと思う。ちなみに、ぼくはこの年になっても、毎月せっせと返済している。

お金がないと進学も大変だし、その結果就職も大変だというのが今のこの国。学生を集めるためにお金を使う…というのでは、根本的には何も変わらない(そもそも「東大に入ったら、お金あげる」という教育って、なんだ??)。手本になる国はたくさんあるので、まずは枠組みを作る側がどれだけ勉強するかの話でもあって、そう考えれば考えるほど悲観してしまう。そういう人たちは、海外視察には喜んで行くんだろうけど…。

まぁ、ただ悲観しているだけじゃ仕方ない。そもそも、大人一人ひとりが学習してきた知識だったりを、次の世代に繋いでいく行為自体には、多大な費用がかかるわけではない。昨日は、お店に来た子に、画用紙2枚と折り紙8枚をあげて、一緒に工作をした。数円の材料費と、ぼくの知っていることを共有しただけだけど、汗だくになるくらい一生懸命にカッターの使い方から練習していた。紙と鉛筆さえあれば十分できる勉強だってたくさんある。今こそ、大人一人ひとりが子どもの教育に対して積極的になるときなのかも。そんな風にも思いました。

※補足
お金がないと、塾に行けない、私立の学校に行けないなどの現実はもちろんあるのだけど、『大衆教育のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史』(刈谷剛彦著 中公新書)によると、経済的格差によって教育の結果としての学歴格差が生まれるという単純な図式とはちょっと違うようだ。しっかりとした検討の上に対応を考えないと、見誤ってしまう可能性があるので、注意が必要だと思う。

電話相談という世界

これまでのブログの中で、普通に電話相談の話題を出して来たのだけど、
「それで、電話相談って、どんななの?使ったことないけど」と。
実は、ぼくも自分が利用したことのある電話相談は、子ども電話相談室だけだった…。そんななので、自分が電話を受ける側になって、今までの対面での相談とは違う世界を初めて知ることに。

ぼくがいたところは、子どもに関する全般的な相談を受けるところだったので、保健のことから始まり、性格などの育成相談、発達、不登校、非行、虐待、いじめなどなど…と幅広い電話が入ってきていて。これだけのジャンルに渡っているので、もちろん相談員同士のフォローが必須になってきて、男性のぼくなんかは「授乳の相談なんですけど…」と言われたら、即女性の相談員に代わってもらうような状態だった。面談とは違って、電話をかける側も、取る側も、繋がるまではどうなるのか全く分からない状態なので、5年半続けていても、受話器を取る時に緊張しないことはなかった。

多くの電話相談がそうであるように、ぼくのところも匿名での電話相談だったので、インターネットの罵詈雑言とまではいかないまでも、開口一番に「どうなってんだ!」と言われ、仰天するようなことも結構あった。ただ、インターネットと違うのは、こちらが直接話を聴ける状況にあること。そこで、一緒にどんな事情があったのかを整理していくことができるということは、罵詈雑言での感情発散で終わってしまうインターネットとは大分性格が違っていて。また、対面での相談ではこうやって感情を出すことが難しいことが多いと思うので、“電話相談だからこそ”という有益性はやっぱりあるんだなと思ったり。

「気軽に電話してください」と、広報をしていたものの、利用したことのない方はどんな時に電話していいのかもイメージしづらかったかもしれない。

例えば、可愛い我が子であろうとずーっと一緒にいると煮詰まってしまう波がくることもある。そんな時期には、何か目につく行動だったりに親の方が敏感になってしまう。「また○○して!」という風に。そして、そういう瞬間が重なっていくと感情的になってしまうこともあって。そんな時に、思わず手を上げそうになったという自分自身に、「虐待しちゃうかも…」と自己嫌悪になって悪循環に…というような話は珍しくなかった。

最近は、虐待に関する報道もあるし、その度に虐待する親は“人間じゃない”という論調になっていく。確かにいろんなケースを見聞きした中で、にわかに信じ難いくらいに酷い話というのもあったけれど、皆が皆そういうわけではなくて。上に書いたようなことというのは、人間の感情の流れとしては何ら不自然ではなく、むしろ我が子と一生懸命に向き合ってきたからこそ生まれた感情という捉え方もできる。けど、報道を見たときに虐待している親に対して自分も感じたであろう嫌悪感が、今度は自分に向かってくるという、かなりのストレス状態が24時間家の中で続き、それが親を激しく疲弊していくという現実。「あぁだめかも…」といざ相談に行くにしてもエネルギーが必要で、疲弊しすぎてそのエネルギーもなくなりかけていたり。まさに悪循環…。

こういう話の時には、「「また○○して!」と思ったり、叩いちゃいそうって時には、迷わず、まずすぐに受話器を取ってくださいね」と言っていた。電話相談は予約も必要ないし、相談所に行く必要もない。即効性があるから、こういう使い方をしてもらえる。瞬時に気持ちを外に向けるということは、悪循環から少しでも逸れていくきっかけになりうる。

「また泣きやまないことがあったら、その時にでも電話してきて下さいね」と伝えることもできた。こんな時、実際に子どもを受話器口に出してもらうと、ふっと興奮状態が収まることがよくある。
「どうしたの?ママとケンカした?」と話をしていくと、実は自分が何で怒られたのかよくわかっていて。怒られたということ自体で興奮して、逆ギレじゃないけど、なんだかだんだん後に引けなくなってしまうような気持ちはぼく自身もちょっとわかったり。少しずつ保育園の話とか、好きな絵本の話とか小さい子でも答えやすい質問に変えていくと、徐々に落ち着いてきて、
「ママと仲直り、できそう?」
「うん」
全くうまくいかない場合(ずーっと泣いてたり)ももちろんあるけれど、これは決して出来すぎのケースというわけでもない。煮詰まった空気には、一回外の風を通してみることもかなり有効だったり。

大きい声からひしひしと伝わってくるのは、お互を大事に思っているからこそ生まれる感情なんだなということ。本当はこんな風にしたくないんだけどと思いながらも、波に飲み込まれていくような。だから、とりあえず落ち着いた状態で相談が終わったとしても、なんかヒリヒリとしたやるせなさはぼくの心に残っていって。あれから大丈夫かな…と思っても追跡する術はないので、ヒリヒリが解消されることもなかなかなくて。そんなで、「仕事なんだから」と言われるかもしれないけれど、相談員の側の消耗もなかなかのものだった。

他にもいろんな相談があったけど、もちろん具体的な話を出すことはできないので、いろいろ想像をして見てほしい。“相談”というと、何かしっかりしたテーマがあって順序立てて話をしていくというイメージがあるかもしれないけれど、電話相談に関しては、上記のような使い方もあるということだけでも伝えられていたら、この記事を書いたかいがあったと思う。

今はいろんな電話相談があるので、ちょっと上手くいかないなと感じる波が来ている時、何かあったらかけられる番号を見つけておくとそれだけでもちょっと違うかもしれない。具体的なアドヴァイスとなると、実施母体によって変わってくると思うので、事前に調べておけるといい(一番良いのは、ちょっとしたときに実際に利用してみて感触を確かめてみておくこと)。また、同じ場所でもいろんな相談員がいるので、相性が合わないことももちろんあると思う。一度電話を切ってちょっとかけ直してみるくらいのことは、相談員側は承知して電話を待っていると思うので、遠慮はいらないと。

最後に脱線して個人的な話を付け足すと、電話相談に入った時、30歳手前の再就職先ということで自分自身かなりの精神的に追い詰められていた部分があった。そんな状態で行った職場には、ぼく以外の相談員が、ヘビメタとラーメンの好きな男性上司(“上司”と呼ぶにしては親しくしてもらいすぎた…)、他には母親ぐらいの年齢の方々十数名だった。「一気に母が増えたね」と、笑いながら言われたけれど、本当に良くしてもらった。

人生のピンチには、常に助けてくれる誰かに出会う。そして、それは今現在も感じていることなのです。

いじめについての相談のこと

「フリースクールって、どういう子が通ってくるの?」
「どうって…、普通だよ」

こんな会話は前にも書いたような気がするけど、『フリースクール=不登校の子の受け入れ場所』という認識が一般的な現状では、当然の質問かも。これまた前に書いた帰属理論に当てはまるかもしれないけど、不登校になっているのだから、特別な“何か”がある子の集まりだと思ってしまうかもしれない。そんな中、文科省は“不登校はどの子にも起こりうる”と認識している(はず)ので、この点においては最初の質問が生まれるような認識よりは先を行っていると思う。

フリースクール関係者の多くは、公教育以外にも、他にもいろんな学びがあり、自分はどっちの学び方が良いかなと子ども自身が選べるのが理想だと考えていると思う(ぼくのお師さんは、不登校ではなくて“選択登校”という言葉を使っている)。ただ、この理想のためには、“学ぶ場所(スペース作り、生活の仕方など)”と“学びの内容(何を、どうやって学ぶのか)”を二本柱にした上での検討が必要で、その上でこそ本来の意味での“学びの選択”が可能になると個人的には思っている。これは、活動の本論でもあるので、また別の機会にしっかりと書きます。

さて。
子どもの選択の結果としてフリースクールがあるのが理想と書いたけど、選択の余地なく学校ではないところを勧めることもあって、それは“いじめ”が絡んでいる場合。誤解しないでほしいのは、子どもの集まる場所では必ずトラブルは起きるし、それはフリースクールも例外ではない。大事なことは、学校だろうとフリースクールだろうと、そのトラブルとどういう風に向き合うのかということだと思う。

以前、地域での勉強会で講師として呼ばれた際、準備のために文科省の不登校に関するデータを見直していてびっくりした。不登校の原因の統計では、いじめが原因とする層は少なく、代わりに交友関係の不調が原因みたいな層が圧倒的に多かった。「これって、いじめがあったってことじゃないの?」とパッと思ってしまったのだけど。どうなんでしょかね…。

電話相談の仕事でもいじめの相談は多く、入ってくる内容もまた深刻で。深刻なのは、すでにトラブルが解決していたり、学校の対応に問題がない場合は電話相談を利用しないので、こじれているケースが増えることは必然なのだけど。その中で、いじめを発端とした学校とのやり取りについての相談が中心になることも多かったのだけど、保護者と学校側のやり取りの中で大きなテーマになるのが「これは、“いじめ”なのか?」ということ。いろんなニュースや、上記のデータの取り方からもわかるように、頑ななまでに「いじめではないです」と言ってくる学校があることは何となくイメージできると思う。ぼくは、“いじめ認定スパイラル”と勝手に呼んでいたけど、このスパイラルは双方の態度を硬化させ、かつ互いに消耗していくことになってしまう。

ここで大事なことは、「いじめか、いじめじゃないか。認めろ、認めない」というのは、大人同士の話であって、当の子どもが困っていることには全くの無関係ということ。それに、こじれているケースの場合、いじめと学校が認識したとしても、対応が劇的に良くなるということは、それまでの消耗戦を考えれば、あまり望めないように思えたり。なので、まずは「子ども本人が困っている内容から、話し合いの中心がずれていかないように注意してください」という風に話すことが多かった。いじめに当てはまるかどうかなんて、それこそ統計のためで、トラブル解決を目指すなら二の次なのだ。

もちろん相談の中で、「しばらく休んでもいいんじゃないですか」ということも少なくなかった。これは、辛いと分かっている状況で、“頑張って”登校することに何の意味もないと思うから。ぼくの職場にいた人は、出演したテレビで「いじめなんか、戦う価値すらない」と言っていた。その通り。勝ちとか負けとか逃げとか、お門違いも甚だしい。
「例えば、明日も無理して登校して、それで何か好転しそうですか?」と聞くこともあり、多くの場合は「難しいと思う」という答え。これは、いじめの問題が登校の問題にすり替わってしまっていて、目下の目標はいじめ解決ではなくて、登校することになってしまうパターンの時に質問していたこと。「頑張って、いじめに負けない!」みたいに、いつの間にか被害を受けている側が課題を背負わされている状態で、おまけにいじめ解決ということから焦点がずれていっていて、そのうち「登校しないあなたが悪い」みたいな方向性になることが多い。こういう話を聴きながら、子どもの様子を想像すると胸が締め付けられる様な思いだった。

そもそもは、子どもは安心できる場所に行き、環境を整えるという対応は大人が行うとそれだけの話。いじめが絡んでいる場合は、特に子どもの安心を確保することが最優先になる。その上で、先生などの指導する側の大人がどれだけ「いじめは許さない」ということを貫けるか。
「弱い側、困っている側に立つ」というのが、ぼくがいたフリースクールの大人の大原則で、「それを贔屓っていうなら、そう言っていいよ。贔屓するよ」という態度だった。要は、大人がどこまで覚悟を持って“いじめ”に向き合うかの話で、いじめが命に関わる問題である以上、その覚悟にこそ頑なさが必要なんだと思う。

何か報道に乗るようないじめの事件があると一気に世論が沸き立つけれど、報道がなくても辛い思いが日常になっている子がいることには違いない。これは、想像ではなくて、電話相談という場では日常だったから、疑いようのない事実。冒頭に書いた「学校以外の選択肢もあるよ」というメッセージが、上述とは少し違った意味合いを持って受け取ってもらえる可能性を考えると、日々の発信は続けていかないとなと思うのです。

子どもにとって“話す”ということ

小学6年生の頃、朝の会では日直が皆の前でスピーチをするという時期があって。
ある月曜日に日直だったぼくは、
「昨日はみんなで学校に集まって遊びました。みんなでジュースを飲んだりして楽しかったです」みたいな話をしたところ、
「ん?ジュース?」と、担任の顔が強張っていって…。

そうだった…。昨日は風が強くてジュースのゴミが飛ばされてしまうので、ビニールに入れてサッカーゴールに縛りつけていて、プラプラとビニールがアチコチにぶら下がっているその景色に面白くなって(なんでだ??)そのままにして帰ってしまっていて。朝の会の前の全校朝礼の時に、学校で一番怖がられていた“イノ先(イノウエ先生)”が、ゴミを一生懸命ゴールネットから取り外しているのを皆で見て、「あ…」と、なっていたのだった…。

この「あ…」の緊迫感が伝わりやすいように話を付け足すと、この少し前のこと。体育館の用具室に忍び込んでマットを引っ張り出して遊んでいるということがあって(だいたいいつもの同じメンバー)。またまたそのマットを出しっぱなしにして帰ってしまったところ、翌日に
「6年4組の、○○、△△、…。すぐに体育館に来るように」と、“イノ先”が全校放送で呼び出し。

みんなで急いでいくと、用具室の窓が割れていたらしく、
「お前ら、誰がこの窓割ったと思ってんだ」と、“イノ先”。
マットを出しっ放しだったのは覚えているけど、まさか窓が割れているなんて思いもせず、
「知りません…」
「ぼくもわかりません…」と一人ひとり答えると、

「おれがやったんだよ」と、まさかの“イノ先”。

どうやら、“イノ先”は、出しっ放しのマットを片づけてくれた時に、自ら窓を割ってしまったようで。まぁマットを出しっ放しだったことには違いないので、今ではあり得ない鉄拳制裁を受け入れざるを得なかったようだ。ちなみに、この微妙な伝聞調は、ぼくはたまたま風邪で学校を休んでいて難を逃れていて…。その日の帰りに家に寄った友達が事細かに教えてくれ、「てっちん、ずるい!」と非難轟々だったのでした。

こんな事件があったので、ぼくの朝のスピーチでの不意の一言と担任の先生の反応で、みんなは凍りついたのでした。当然、職員室まで“イノ先”に謝りに行くことになって。
事の経緯を説明して、「どうもスイマセンでした…」と、謝ったところ、

「風にゴミが飛ばされないようにした工夫は素晴らしい!この工夫を、どんどんみんなに広めてほしい!」と、まさかの“イノ先”。。。

担任の先生が裏で話をしてくれていたのかもしれないけど、「みんながゴールにゴミをつけたら、“イノ先”がまた取るのかな?」と、なんとも不思議な気持ちになりながら教室に戻ったのでした…。

なんでこんな話を書いたのかというと、口は災いの元…と書きたかったわけじゃなくて、「子どもにとっての“話す”という作業」について書こうと思ったから。上記の話は6年生の時の話で、我ながら恥ずかしいのだけど、ぼくのスピーチは多分原文のママで。この程度のことしか話せなかったことは、自分の文章力の問題だったのか、それともこの強制的なスピーチという手法にあるのか…。

そして、今、教える側の立場になった時、文章を話す、そして綴るということをどういう手法で取り上げていくのかは、母語の力の獲得に大きく関わることであって、相当に意識をしている。感想もないのに書かされる感想文や、ひな型のような問答になりがちな“話し合い”では、子どもの気持ちが向かないのは当然のことだと思っていて。じゃぁ、他にどんな方法があるのか…ということを、実践を含めて書こうと思って書き始めたのでしたが。何だか既に長くなってしまったので、またいつかの機会に書くことにします。

最後に。
このエピソードを一緒に過ごし、時間が経ってからも一緒にゲラゲラ思い出しながら話していた友達がいて、そういう楽しい時間があったからこそ今回のブログを書けたのだけど、その友達は昨年他界してしまった。みんな一緒に無邪気に過ごしていた時間への郷愁を、哀悼の意を込めて、ここに書き記しておきます。

極々私的話題~中島みゆき編

最近ちょくちょくブログを書くようにしているのは、皆さんにも伝わっていると思う。物を考える方法というのは、人それぞれだと思うけど、文章を書きながら考えるという人もいると思う。ぼくは、考えてから書いて、書きながらまた考える…の繰り返し。なので、このブログは自分の頭の整理のためでもあって、しょっちゅう話が飛ぶのはその整理の過程なんだなと、この乱文を暖かい目で見守ってもらえたら嬉しい。

そもそも、いつも頭の中にあることと言えば「今日の晩ご飯は何にしようかな」ぐらいのことで、ブログの題材にしているようなことを常に考えているわけじゃなくて。今まで書いてきた、日々一生懸命研究している人がいるような内容を、お店の端っこでTシャツに前掛けという姿であーだこーだ書いているのも、何だか申し訳なさすら感じてしまう。

そんなで(どんなだ?)、息抜きとして平たい内容についても、『極々私的話題』と、仰々しいけどよく考えると何の内容もない表題をつけて書いていくので、このタイトルが出てきたらお時間のある方だけ読んでみてください。

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『極々私的話題~中島みゆき編』

今までライヴで思わず涙がこぼれた曲というのがいくつかあって。それは、レッチリの『By the way』、オジーの『I just want you』、そして中島みゆきの『時代』。

関東から沖縄に引っ越すと決めたことは結構(いや、かなり)大きな決断だったのだけど、関東を離れる前にどうしてもしておきたかったことの一つが中島みゆきのライヴに行くことだった。最近はネットで調べればライヴに行く前に曲目が分かってしまって、我慢できずに検索してみたら結構思い入れのある曲が何曲か入っていたので、「あー、あの曲を聴いたら泣いちゃうかも」なんて思っていたのだけど、なんのことはない結局一番有名な曲でホロホロしていたのでした。

みゆきさん(と普段は呼んでいる)をよく聞いていたのは高校の頃。他に聴いていたのはヘビメタばっかりだったので、「どういう趣味の組み合わせなの?」とよく言われたけど、結構この組み合わせの人は多かったり。なんせ、道に倒れて誰かの名を呼び続けるくらいロックな人なのだから、妙に共感することも多いんだろう。ぼくの持っていたみゆきさんのベスト盤CDも当時クラスで出回って、未だに返ってきていない。

みゆきさんは、松任谷由美さんがオシャレでスタイリッシュな感じがするのと比較されることが多い。その歌詞は聴けば聴くほど「あれ?こういう意味なのかな?」とスルメ的な味わいで、あぁやっぱりスタイリッシュとかっていうのとは一線を画するんだなぁと改めて思う。阿久悠さんの歌詞のフィールドの広さにはびっくりしたけど、みゆきさんの歌詞は確固たる一ジャンルとして成立していて、それがとても広大な感じがする。その世界は、カフェでなくて、夜明け間際の居酒屋で流れる感じ。いや、一人暗い部屋の中で閉じこもって聴くのが一番だ。居酒屋は八代亜紀さんに任せておこう。

言葉を綴る仕事というのはいろいろ種類があるだろうし、仕事ではないにせよ、このブログ自体も言葉を綴る作業であることには変わりない。ぼくは、どうやって書いたら伝わりやすいかなということを常に意識するし、それは文章を誰かに読んでもらうという前提で書き綴っていく以上は、当然のこと。

ところが。みゆきさんのスルメ的な歌詞っていうのは、字面だけでは分からない世界が広がっているということで、これとは反する。何を意図した比喩が書かれているのかが、その歌詞の広がりであって、その意図が結局わからなかったりすることもある。ただ、何の比喩なのかが分かったときには、その奥行きというのが果てしなく広がっていく。
そうかと思うと、死ぬまで恨みますと比喩もへったくれもない直球を投げ込まれたりして面食らうことも。この世界観の変化は作品の時期にも大きく関わっているような。デビューより後に生まれたぼくは、昔の曲も最近の曲もいっぺんに聴いたから、目が回るような曲の違いだったけど、時系列に追っていけば、昔の曲は恋愛の歌が多くて、その後だんだんと戦う君のことを応援する歌が増えていっているようだ。ただ、根底に流れているオリジナリティは共通しているような気もして、表現者としても希有な人だなぁと思う。

まぁ、何で急にみゆきさんについて書いているのかというと、この前テレビで特集されていたのをみたという単純な理由。その番組ではぼくが行った時のライヴ映像が流れていて、思わずグッときたのだけど、そういやDVDが発売される時期だった。餃子が何個売れればDVDが買えるかな…というのが、最近頭の中で常にあること。なので、今回は物欲から生まれた話題でした。最後まで付き合ってくれた方、大変失礼しました…。

勉強するということ~高校の思い出から

ぼくの通っていた高校は、先生の定年が70歳だったので、かなり高齢の先生が多かった。胸ポケットにはセブンスターとニトロを入れているような先生や、「ゼロ戦を作ってたよ」という先生がいたりして。普通に中学校を卒業して、新生活でいきなり出会う先生としては、目が点になるようなことの連続。

特に、英語の先生は強烈で、高校入学したての一番最初の授業で、テキストの題だった『The American spirit』を訳しなさいと指しはじめて、
「アメリカ人の精神」と答えると
「だめー!そんなんじゃない!!次!」
「アメリカ人の魂…」
「全然ダメ―!」
「…」
「こういうのはね…例えば、アメリカ人のヤンキー魂、とか訳すんだよ」
「………」
今思えばコントのようだけど、当時はこの高校でやっていけるのだろうかと不安になったもんだった。

ただ、そんな先生からすれば、ぼく達なんかはそれこそ孫みたいなものだったのかもしれなく、「勉強はこれからだよ。今は勉強のための準備に学校に来ているんだよ。たくさん勉強せいよ」とか、「30歳まではどんな苦労もして勉強しろー。それで、30歳過ぎたら自分を安売りしちゃいかんよ」とかいう話から、お年頃の男子校の生徒を相手に「恋愛なんて一回でいいんだよ。そのかわり、まじめにやれ」などという話まで、本当におじいちゃんになったような眼差しで、何とも悟りのような言葉を次々と投げかけてくれていた。

いろんな事情があったようだけど、うちの高校には修学旅行も体育祭もなかった。3年間で唯一行われた宿泊学習は、富士山の麓でウォークラリーみたいなものを委託先がしっかり準備した上でやらされたこと。このウォークラリーは、チーム分けした上に、リーダー、地図係や磁石係などの役割をしっかり決めて行うものだったのだけど、ロシア語の先生は「君たちにこんなサラリーマンの真似事のようなことをさせて!けしからん!」と怒っていた。

こんな高校だったからかどうかはわからないけど、学問に関して「成績のため」とか「就職のため」ということとは切り離されたものとして考えるということ、つまり、学問はそれ自体が目的であって、何かのための手段ではないという捉え方がなんとなく身についていたように思えたり。実際に勉強するかどうかは別の話として…。

自分が教える立場になってから、一時期、林竹二さんの本を何度も読んでいて。あぁ、こういう授業っていいなぁとその場の雰囲気が伝わってくるような本だった。非常に哲学的な話(林竹二さんはギリシア哲学の研究者でもあった)で、みんなで考えるにはとっても刺激的な題材が満載で、シリーズ化して授業の追試をしたことも。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*(授業の話)

「何のために勉強するのかって言われたらどう?」
「そりゃ、将来困るからでしょ」
「困るって、なんで?」
「だって、高校とかさ、行けなくなるじゃん」
「高校行かないって決めたら、勉強しない?」
「んー…」

「例えば、○○は干物の作り方の本を読んでたね。あれは、勉強?」
「えー、役に立たないよ」と○○。

「そう?でも、知りたくて読んでたんでしょ?」
「そもそも、干物の本なんてあんの???」と、他の子…。

※ちなみに干物の作り方を読んでいたのは小学生。んー、素敵だ。。。
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さてさて、この前、フェイスブックで流れてきたニュースに、こういうのがあった。

国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革“

今は“就職率”を売りにしている大学だって珍しくないし、この記者の熱意には共感するけれど、残念ながらまさに社会の流れに乗っているという見方もできるのかなとも。何よりも、この流れにうだうだ言ってしまうと、「就職できなきゃ大変だし“きれいごと”を言っている場合じゃない」と、怒られてしまいそうだ。就職云々は経済生活に直結することで、今のこの国では“経済”という言葉の下で全てが動いていることは紛れもない事実。それが例え原発だろうと何だろうと。

ちなみに、先述のロシア語の先生は、「こんな役割の内容まで決められて、そういう決められたことを上手にこなしていくことが良いことだと思っちゃいかん」というようなことを言っていた。ただ、今となっては、これが時流になっているとも。求められているのは、人材というより従順な労働力なのか、と思うようなことも少なくないから。

もちろん、働くことはもちろん大事だけど、今の“就職”という言葉のもたらすことが、働くこととイコールにはならないと思ったり。それよりも、小さいころに言っていた「お医者さんになって、たくさん病気を治したい」とか「美味しい干物を作りたい」イコール働くことでいいのかなと。

大学は本来、学問のための場所。この学問とは何ぞや…ということに対しては、答えはないのかもしれないし、はたまた逆に答えはたくさんありすぎるのかもしれない。そもそもこの答えを探すことこそが学問になりうる大きなテーマなのかも。ただ、学問が普遍的なことを目指していくということを考えれば、時代(時の政府?)に合わせてその存在意義を変えてしまうことは、長い歴史の遺産である文化精神の退廃につながりかねないと思ったり。

何だかグチグチ書いてしまったけれど、何でも時代のせいにしても仕方ない。こんなときだからこそ、自分がどういう態度でこの時代に向き合うのかを、しっかり見つめ直す必要があるのかも。上述の「何のために勉強をするのか」という授業の最後には、林竹二さんの言葉を紹介していたので、今回も引用して終わります。

人は、あるときには、世間の人がすべて、これが美しいとか、これが正しいとか、いう場合でも、それをただちに美しいとか、正しいとか、認めることができない場合もやっぱりある。そのときには、やはり、自分の責任において、自分の信ずる正しいこと、美しいことのために、自分の存在を賭けることが必要になる。そういうときには、世間の通念をきびしい吟味にかける力としての学問がものをいうわけです。(林竹二 著 『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』筑摩書房)

『ベンハ―』から奴隷制の授業のこと

キッチンコーラルの常連さんは、「沖縄に知り合いもいないのに、お店大丈夫なのか?」と、心配半分に顔を出してくれています。その中に、「自分の子どもと同じくらいの年齢の人のお店だから」と、いつも気にかけてくださる近所のご夫婦も。お母さんは沖縄の食材をもってきてくれて、沖縄料理の話を教えてくれたり。今日は、差し入れというにはいささか豪華すぎるお料理を頂いてしまいました。

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まだお鍋にいっぱいあります。ものすごく上品な香りがします!嬉しいなぁ。

そして、お父さんは、かなりの数の音楽、映画を持っているらしく、CDやDVDを「あげる」と持ってきてくれて。このCDというのも、井上陽水からレディガガまでとジャンルが幅広くて、「何でも聴くんだよ」という言葉通り。
この前の台風の時には、頂いたDVDを観て過ごしました。『大脱走』は懐かしく、スティーブマックイーンはカッコいいし。『アナと雪の女王』は、かなり久しぶりに見たディズニー映画で、かつ初めて見た3Dアニメ。ストーリーらしいストーリーはない気がしたけど、キャラクターで押し続けられて、なんだかんだあっという間に最後まで。そして、気がついたら「ありのー♪」って歌っていたり…。んー、ディズニー恐るべし。。。

そして、『ベンハー』。競馬シーンはもちろんのこと、ハンセン病のこと、奴隷制のことなど、結構強烈に記憶に残っていた映画。今となっては、チャールトンヘストンのいろんな情報とかがあったりして、観ていながら気持ちが彼方此方歩き回ってしまったけど、記憶通りのシーンの連続で改めて名画なんだなと。

中でも、奴隷制の授業をする時に、奴隷が倒れるまで船を漕がされるというシーンを例に挙げることもあったなと思い出したり。
奴隷ってどういうことだったのか…。いろんな差別、偏見など含めて、社会が成熟していくためには絶対に克服しなくてはならないテーマだと思っているので、結構意識的に授業を組み立ててきていて。『ベンハ―』のシーンはイメージ作りとしてはもってこいなので、授業の中でよく紹介していた。

奴隷の授業の導入は、鉄腕アトム。その中で、ロボットが“ロボット権”を求めてデモをする話は、みんなの議論のきっかけとしてとてもいい。手塚治虫さんの意図に乗って読んでいけば、自然と思考が回り出すようになっているから、みんなで読むだけで授業として成立していく。

映画やアニメで描かれる場合は、どちらかというと奴隷側の視点が多いし、ともすれば『ベンハー』のようにヒーローになる立場だったり。そういうことがあるからなのか、奴隷という言葉に対するイメージはかなり柔らかいものになっていて。本来は二度と繰り返してはいけない非人道的な制度であるはずなのだけど、“奴隷制”という言葉ではどこか重大さの伝わり方が違う気が。まずは、イメージを付け加えるところから。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*(授業の話)

「奴隷は奴隷で、人じゃなかったんだよ。アトムのロボットと同じで」
「何それ」
「例えば、必死に船を漕がされるでしょ。漕げなくなったら、もういらないの」
「どういうこと?」
「看病なんてしないし、海にポイ。次を連れてくればいいから」
「ひどい!」
「いや、ひどいと思ってないんだよ。だって人と思ってないから。奴隷は奴隷だから」
「テッシー、ひどい!」
「いや、おれの話じゃないよ…」

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でも、人だけど人じゃないって、どういうこと。逆から考えると、だったら人だっていうのはどういうことなのか。とてもややこしい話ではあるのだけど、シンプルに考えれば小さい子も一緒に考えられるテーマでも。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*(授業の話)

「例えば、大人になってしたいこと、何かある?」
「仕事はしないとね」
「何の仕事がしたい?」
「んー、今は思いつかないけど…。料理関係かなぁ」
「先生とかになりたいけど、勉強しないとか」

「あとは?」
「結婚」
「大人買い」などなど。

「じゃぁ、あとはどこで暮らしたい?」
「今のままでいい」
「もっと都会に…」

「何人家族がいい?」
「そもそも、結婚相手に出会えるのかー!おれは!」なんて。

「自分で選ぼうとすれば、今はいろいろ選べるでしょ。今こうやって勉強をしに来ることも選べてる。こうやって当たり前のように思えることも、奴隷だとできなかったんだよ」

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奴隷の話というと、大きい子だと「あ。リンカーンでしょ」と(きっと同じ写真を思い浮かべながら)発言してくることが多かったかな。ただ、奴隷を解放した国なのに、黒人差別が根強く残った(残っている)ということを矛盾として疑問に思う子も多いし、ぼく自身もそうだった。

長くなるから、ここでは端折ってしまうけど、アメリカの北部には五大湖があること、工業化の波、そして奴隷制。綿花を摘むのは単純作業だけど、機械を動かすにはある程度の“学力”が必要ということなどを、一緒に考えていくといろんなことが繋がってきて。「あー!それって!」と発言が止まらなくなると、授業自身が自然と動いていく感覚に。
ぼくの小さいころの記憶にある「奴隷は解放されたんでしょ。リンカーンは偉い!ハッピー!」という伝え方では、上記の疑問を生んでいくし、一見人道的なうねりによって解決されたかのように錯覚してしまうことで、現実問題としての根強い差別の存在をぼかしてしまことにも。差別の存在をぼかすということは、それによって苦しんでいる人の存在をも社会からぼかしていってしまい、それこそ温床となっていく。

差別の話以外にも、もちろん人権の話にも広がっていって。現在生きている存在として、当たり前だと思っている人権のことを、どう実感するのか…。これから先、もしも人権が脅かされるようなことがシレっと行われようとした時に、実際にその人権というものがどういうものなのかを知っておかなければ、そもそも人権が制限されることの何が問題なのかも分からないまま時間が過ぎて行ってしまうことにも。「今はいろいろ自由で幸せな時代だなぁ」ではなくて、その幸せを守るためにどうしていくのか、そんなことが大事になってくる時代に差し掛かっているような気もするのです。

長い歴史によって生まれた遺産のおかげで、今という歴史を生きている。その遺産を大事に育んでいくためにも、歴史を学ぶ意義があるのかな。そんなところまで伝えられたらよかったのだけど。どうだったかな。