最近、地震や火山と災害が続いています。被災された方々には、遅ればせながらお見舞い申し上げます。
311の地震から3年半以上です。けど、未だに地震があると「きたか!」と身構えるし、緊急地震速報なんて鳴った際には心臓がバクバクします。
あの日、揺れを感じる場所にいた人にとっては、その日にどうしていたかを克明に話せる人は多いんじゃないかなと思います。それだけ強烈な体験でした。(ちなみに、お客さんに「沖縄は揺れましたか?」と聞くと、「ん?全然だよ」とのこと)
今後、また地震や噴火が起きるかもという話もあります。災害は忘れたころにやってくると言う人もいますが、実際にその場面になった時にどれだけ準備が出来ているかということには、“心の準備”も多分に含まれていると思います(いつ来るかいつ来るかと、ビクビク生活しようというわけではなくて)。
そんなで、最近は意識からは遠くなることも多くなった震災のことを思い出し、書いてみようと思いました。あんまり思い出したくない…という方ももちろんいると思うので、そのような方は、この先を読み進めないようにお願いします。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++(2011年3月11日)
ぼくはコーラル熊谷のスペースにいて、みんなとゲーム。昔の卒業生も遊びに来てくれて、普段よりは賑やかな金曜日。金曜日というと「明日はお休み!」という開放感があるかもしれないけれど、コーラル熊谷は木金土がオープン日なので、まだまだ中日。しかも、ぼく個人は、日曜日に電話相談の仕事が入っているで、2週間連続出勤。ぼくにとっては、中日もまだまだ…。
さて。17時までの活動時間で、事務仕事と翌日の授業の準備もしないと…といういつものひと時。
+++++++++++++++(14時46分)
『グラッ…』
「おーぃ、地震だよぉ。机の下ー」
小学校低学年の子もいたので、ちょっとした避難訓練のような雰囲気。
「わー、じしーん」
なんて、危機感はゼロ。みんなを机の下に潜り込ませて様子をみる…。
『ガタガタガタガタ!!!!!!!!』
すぐに、今まで感じたことのない揺れになり、「これはマズイ」と全身の毛穴が開くような緊張感。
「ちゃんと机につかまって!」
「うぅあぁぁ!!」
みんなも凍りつくような顔。不安でまんまるになった目が、机の下の影からこっちを見ている。
とにかく揺れが長い。倒れてくるようなものはないけれど、それより建物が倒れるんじゃないかという大きな揺れ。一瞬、高校生の時に見た、阪神大震災の映像が頭をよぎる。
「まだ!?」
「まだ!まだだよ!」
数分経って、ちょっと揺れが収まった隙に、
「すぐ外に出るよ!上着はなし!」
机から目の前のドアを通り建物の外に出て、窓などが落ちてこないような場所で待機。通りの向こうの電柱は、メトロノームのように揺れている。電線はいつか絡まるんじゃないかというほど波打っている。
うずくまる小学生。アルバイトをしていた教え子もやってきた。
「大丈夫だった!?こっちはヤバかったよ」
食べ物屋さんで働いている途中での地震だったけど、ガスを切ったりとパッと行動できたみたい。さすがだ。
一緒にいる人数が増えたけれど、それで不安が収まるような状況ではない。
「テッシ―、テッシ―…」
「ちょっと寒いけど、揺れが収まるまで我慢ね」
そんな風に言い、なだめていると、
「あれ?なんで?雪だ…」
何だ、これは?夢か??
思いもよらずにぱらつく雪。何で??
収まるかと思っていた揺れは、全く収まらず。『まだまだ終わらないよ』と言っているかのように、大きい揺れの波がやってくる。
「うー、寒いよぉ…」と、震え出す子。
「ちょっと、ここで待ってなね」と、一人ビルに戻る。幸い物が倒れているようなことはなくて一安心。みんなの上着と、携帯が全くつながらない状態だったので固定電話の子機を持って外へ。
「さ。おうちに電話しようね」
雪のせいか、はたまた動揺が収まらないのか、手元も震えるよう。けど、親御さんの声を聴いて、みんなも少し落ち着いた様子。何時になってもいいから、迎えに来てもらうようにお願い。
結局20分くらいは外にいて、部屋に戻った後も大きな揺れが来るたびに外に出る、の繰り返し。揺れが収まっているはずだけど、揺れているような感じもする。
「ほら、こうするといいよ」
中学生の子が、コップに水を入れて持ってきてテーブルの上に置いた。賢い。みんなの視線は、水面とテレビを行ったり来たり。けど、部屋で寒さをしのげるのは、気持ちをかなり落ち着かせてくれる。
けど。
「大変なことになっているよ…」
テレビを見て唖然。津波が次々に街を飲み込んでいる…。
ただ、正直なところ、事の重大さをそこまで感じていたとは言えない。津波は遠い街のことのようだったし、後から電車で来るはずだったスタッフには「じゃ、電車が動いたら教えてね」というくらい軽い危機感だった。交通網が全て麻痺してしまうなんてことは思いもせず。
そう。この地震が自分の人生を変えるような出来事だったというのは、この時点では全く思ってもいなかった。「明日は念のため、お休みにしますね」と、みんなをお迎えに来た親御さんに伝えるくらいにしか感じとっていなかった。
けど、そのお休みになった翌日以降。物資不足の混乱、原発事故、計画停電、そしてボランティアに行った石巻の景色…。度重なる目の前に広がる想像だにしない世界に、認識を改めざるをえない状況に直面していくのです。
(続く)