選挙掲示板を眺めながら

沖縄は県知事選を来月に控えて、にわかに賑やかになってきていて。お店の目の前には選挙ポスターの掲示板が4枚も準備されています。しばらく、一日中、サワヤカ笑顔の候補者と向き合いながらの営業になるかと思うと、掲示前から複雑な気分。通りがかった時に見るくらいの頻度が良い気がするのだけど、まぁこればっかりは仕方ない…。

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香港でのデモは今も続いているそう。最初は、「日本の経済にも悪影響ですね」みたいなコメントばかりだったのが、この長期化ゆえに“民主主義のためのデモ”ということがさすがに浸透してきて、最初ころの報道とはだいぶ違った解説も耳にするようになってきた感じ。この国にとって、“民主主義”という言葉は絶対的で、応援しなきゃいけないし、否定することなんてあってはならないもの、という“決まり”を改めて感じる変遷。

じゃぁ、「その“民主主義”って何?」というと、これがなかなか難しい。子どものころから体験的に覚えていくこととしたら、多数決くらいなのか。だから、たまに“民主主義=多数決”って思ってるような大人に遭遇することもあったりするくらい。ただ、何でもいいから「過半数取った!信任!!」というのは国会の現状でもあって、正直「“民主主義”って何?」の答えを出すには、まだまだこの社会は未熟なのかなとも。

フリースクールは、それぞれの場所でそれぞれの方針があるけれど、大まかに似通っている部分もあって。その一つが「何事も話し合いで決める」ということ。これは、“世界で一番自由な学校”と言われたサマーヒル・スクールについて触れることが、この業界の多くの人が通る道だからかもしれない。大人も子どもも同じ一票というのは、多くのフリースクールに共通することだし、もちろん自分の関わってきたフリースクールも同じ。
(サマーヒルを作ったA.S.ニイルの話は、子どもに関わる仕事についている者として、とても刺激的で示唆に富んでいる)

そういう場所においては、お互いの主張がぶつかった時にどうするのかが一番大事なことで、また難しいこと。映画『12人の怒れる男』のように、全てが丸く収まって「全員同じ意見!これが民主主義!正義!」みたいなことはほとんどない。もめる時は、もめたままになってしまうもの。そして結局は、どっちかが折れるという形に収まっていく…。
そんな時にヒントになるのは、相手の立場、特に弱者、少数派の立場からの意見だと思う。ある意味、多数決とは逆の方向性。ただ、こんな風に思っていても、相手の立場、しかもそれまで相対していた立場に立ってみるというのは、普段の生活の中ではなかなかできないこと。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+(授業の話)

「嫌いなものと言って頭に浮かぶのは?」
「勉強!」
「ゴキブリとか」

「どういうところが嫌いなの?」
「だって面倒じゃん。ゲームの方がいい」
「気持ち悪いし。妙に動きが速いし…」

「じゃぁ、次はその嫌いなものの弁護士になってみて」
「えー!無理だよ!」
「嫌いなんだから!!」

「では、どうぞ」
「勉強はしないと将来困ります。あ、おれもか…」
「実は昔から生きていて、人よりすごいです。あと、素早く動けて素晴らしいです」

+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*

これは、別に民主主義とか話し合いとかに関連付けた授業じゃなかった。それよりも、普段生活している中で、立場を変えてみるという機会は滅多にないかもしれないけど、ちょっと視点を変えてみるということを意識的に体験することは容易にできるということで行ったもの。相対する立場を超えた、嫌いなものの立場になるっていうのは、なんだか新鮮だったみたいで、本当は参加者はもっといて、いろんなバージョンが生まれてかなり盛り上がった授業だった。半年後くらいに「あの授業、もう一回やって!」と言われたくらいに。

さて、選挙の話に戻ると。少し前までは基地の話は論戦にふさわしくない(もう決まっているから)という意見もあったけど、今となっては思いっきり基地の話が争点の中心に。その上で今回の選挙で出される沖縄の多数決が、はたしてこの国に乗せた時の多数決になるのか。県外の人が、「大変だよね。なんとかしてあげないとね。だって、うちに来ても大変だもの」というのは、一見沖縄の立場(相手の立場)に立っているように見えて、自分のいる場所には基地がないという現状を大前提としている時点で、沖縄の立場からは程遠い場所からの意見になっていて。今一度、過去の歴史を経た上で、どういう結論が出されて、そしてそれがこの国でどう扱われていくのかを噛みしめたいなと。

ちなみに、沖縄の中にもいろんな意見があるけど、「基地を移動するのではなくて、なくす。うちからなくなってほしいけど、よそに押し付けることもしたくない」という意見を聞くことが珍しくない。こういうスタンスこそが、社会を大きく成長させていく礎になっていくのではないかなと思っています。

雑記~大学時代の社会心理学実験から

ぼくの大学での専門は心理学で、ゼミでは社会心理学を専攻していた。心理学というと、カウンセラーとか、ドラマで見るようなプロファイリングとかを頭を浮かべる人も多いと思うけど、社会心理学の実験はフィールドワークが多くて。“フィールドワーク”というとちょっとカッコよく聞こえるかもしれないけど、要は外に出て行って、何の事情も知らない人の中で演技を打ってその反応を見るというもの。

在学中、ぼくは人が他者を助けるという“援助行動”の実験を3回もすることに。
例えば、そのうちの一回は、ブランド物の袋を忘れた場合と、野菜の入った袋を忘れた場合と、周囲の人が「忘れましたよ」と声をかけてくれる割合に差が出るかどうかというもの。実験前には、前者の方が後者よりも忘れた時のリスクが大きい(高価だから)ので、周囲の人の援助行動が起きやすいというような仮説を立てていく。

そして、これを調べるために、袋を忘れる役、観察する役、フォローする役の3人組で地下鉄に乗り、ひたすらデータを取る。最初は、一般の乗客(被験者)に怪しく思われないように一回ずつ電車を降りて次の電車を待っていたのだけど、統計を取るには当然データもたくさん取らなきゃいけないわけで、だんだん面倒になってきて。後ろの車両から、一両飛ばしに前の車両に移っていくという…。
そもそも、買ったこともないブランド物の袋なんて持っているわけもなく、先生の準備した使い古しのブランド袋だし、野菜の入った袋と一目見てわかるようにと大根一本をビニール袋に入れていて、そんなのを持った大学生が後ろの車両からゼイゼイ言いながら移動してくるわけで、怪しいことこの上ない。そして、おまけにその袋を忘れていくのだから、お巡りさんがいたら職務質問ものの状況なのである。まぁ、全て終わった時の達成感だけは素晴らしく、みんなで大根を生のまま“回しかじり”して酒を飲んだのは覚えている。実験の統計結果は覚えていないけど。

※元々援助行動の実験は、住宅街でキティジェノベーゼという女性が暴漢に襲われているのを多くの人が知りながら通報すらしなくて、結果殺されてしまったという事件を受けたもの。当時「普通の市民なのに誰も助けず、なんて冷淡な(スラムではないという意。非常に差別的…)」と社会問題になったそうな。免許の救急講習とかで、“傍観者効果”と耳にしたことがあるかも。ぼくですら3回も実験しているので、非常にスタンダード。

外でこういう実験をしていると、「この人は助けてくれそうだな…」という人は何となくわかるもので(多くの場合は子ども連れのお母さん)、これはほとんど当たる。けど、こういう人は稀で、多くの人はその時々で違うんだろうなぁと思うことの方が多い。手を差し伸べることもあれば、見て見ぬふりをすることもある。友達と一緒だと助けやすいとか、興奮状態だと助けやすいとか…(こういう条件づけも実験で調べる)。要は、人の行動は、その人の性格によって生まれるだけじゃないということ。単純に言ってしまうと。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+(授業の話)

駅前で走っている人がいる絵を描いて、みんなで見る。
「この絵から、どんなことが思い浮かぶ?」
「寝坊した人」
「だらしないなぁ」
「のび太!」
「他のことは思いつく?なんでもいいんだよ」
「…もしかしたら、大変なことがあったのかも…」
「ただのランニング、とか?」

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他者の行動をみると、どうしてもその人の性格に結び付けて考えてしまう傾向がある(帰属理論)。そして、それはマイナスのイメージを伴うことの方が多い。これは、一つの場面を見て、「あの人は○○な人だ!」などと決めつけてしまうことは大きな誤解を生む可能性があるということ。まずは、そういう傾向があるということを知っておくだけでも、人との関わり方に一つ視点が増えるのかも、との授業でした。

これは、ことさら教育という場においては、“レッテル”につながりかねないことで、絶対に避けなければならないこと。レッテルから変な濡れ衣を着せられて、その後疑いが晴れても、「君の普段の行いが悪いから、君も悪い」と片づけられたなんて、ひな型があるのかと思うくらいによく聞く話。自分の存在を含めた環境として影響していることはないのか、大人として改善できる余地はどこにあるのか。それらがまず大人に求められることだし、教育に関わっている人の存在意義でも。

面白いなと思うこともあった心理学だけど、統計を取っていくと必ず“エラー”の人が生じる。ふとした時に、自分が“エラー”だと気付いて、心理学には向いていないと思い、やめた。けど、実験の笑える思い出とともに、ちょっと違った視点で人の行動を見るきっかけになったこと、そして卒業してからはみんなで考える授業にも繋がっているんだなと思うと、向いてないけどちょっとは役に立っているのかな??と。

掛け算の話から

先日来沖した教え子との会話。
「勉強はどう?」
「んー、大丈夫。あ、でも“速さ”がちょっと…。“はじき”だっけ?」
「あー、“おじき”のやつか」
「あれ?“みはじ”じゃなかったっけ?」
きっとその場にいる皆が円にT字を書いた図を思い浮かべているのだろうと思いながらも、なんともおかしなやり取り。帰り際だったことと、今現在教えてもらっている人のやり方があるだろうということで深追いはできなかったのだけど…。

ぼくは基本的に学校の教科書は使わないので、学校でどうやって算数を教えているのかについては、まず自分の体験が浮かんできて。特に掛け算については、かなりしっかりとした記憶が。
それは、小学3年生の時、テストの文章題でのこと。答えは合っているのだけど、立てた式の「“かける数”と“かけられる数”が逆でしょ」ということでバツだった。さらにしばらく経ってから、全く同じ問題で全く同じ間違いをしたのでした。
“かける数”と“かけられる数”という言葉で何度説明されても、なんでこっちの数が“かける数”になって、そっちの数が“かけられる数”になるのかが解らなければチンプンカンプンのままで、それよりも「また間違えた!」と二回目の同じ間違いということの方が話の中心になっていて、「まぁ、もぅいぃやぁぁぁ」となったのでした。今思い返せば、出て来た数字の順に足したり掛けたり、大きい数字から小さい数字を引いたり割ったり…みたいな解き方をしていたなぁと思うし、そりゃチンプンカンプンだったんだな。

じゃぁ、今現在、学校ではどういう風に教えているのかなぁとネットで調べてみると、思いがけず“掛け算の順序”が大論争になっていて。これがまた、いわゆる“炎上”する話題のよう。ぼくにとってネット上での論争は、お互いに相手の弱いところを探しながら針でチクチク刺し合っているようにしか見えなくて、正直精神衛生上とても悪い。なので、ざっとしか読んでいないのだけど、おおざっぱに言うと「逆に掛けたって答えは同じなんだからいい」派vs「立式の順に掛け算の意味がある」派というやり取り。後で説明するように、ぼくは後者。

話が逸れるけど、「答えが合っていればいい」というのは、すなわち「計算の結果が合っていればいい」ということで。そこで思い出すのは高校受験の指導などをしていた時のこと。過去問でも模試でも、平均点前後に届くためには、とにかく計算問題を間違えないようにする。その上で、大問の一問目など、これまた公式で解けるような問題の計算を間違えないようにすると、少しずつ平均点を上回っていくのです。(ここ数年は受験指導をしていないので、現状はわからないけど)
高校受験という目標のための受験勉強なので、目標達成のためにはまずはここからでいいと思っていたけど、その上でふと思ったことは、「学校教育の数学の最終的成果って、計算力なのか??」ということ。平均点を頂点とした標準偏差の形を思い浮かべると、さらにこの思いは強くなってくるけど、上記のような「答えが合っていればいい」の行く末なのかなとも思ったり。問題が解けて楽しいのと、その学問自体が楽しいのとは大きな違いがあると思うんだけどな…。

さておき。

「立式の順に掛け算の意味がある」派の大方の説明と同じように、ぼくも、

(一あたり量)×(いくつ分)=(全体の量)

という掛け算の意味を確認しながら授業。もちろん、逆に掛けても同じ数字が出てくるというのは、子どもにとって大きな発見だし、“計算の方法”として別に否定されるものではない。

ただ、例えば、答えが同じ「12個のタイヤ」になる話だったとしても、
「“4×3”の時には自動車が3台なんだ!」
「“3×4”の時には三輪車!」
という風に、数式が、ただの数字の並びじゃなくて、絵を持つ世界になると発見した時のみんなの表情はパッと花が咲いたようだったし、さらにいえば、算数は計算だけじゃなくて、こんな広い世界観を持つんだと共有できることはとても幸せだったり。ここから、式を表す絵を描いてみたり、さらには「“2×3”の式になる問題を作ってみよう」という作問までいくと、みんなで楽しめてかなり盛り上がったなぁ。。。

フリースクールではいろんな年齢層の子がいるから、(一あたり量)が y=ax+b の “a” なのかとか、さらに座標やグラフの話に展開していったりと、それぞれに流れが生まれ出す授業になる可能性を持っているのが掛け算の話。「なんでこんな勉強しないといけないの?」から、「なるほど!」へ移っていくこともよくあって、何かと盛り上がることの多い時間でした。

さて。冒頭の教え子の“速さ”の話に戻れば、例えば一時間あたりに進む距離が(一あたり量)で、それを“速度”と呼ぶ、と繋げるだけの話。これに対して、“はじき”などのように解りやすい(覚えやすい?)ようでいて、“速さ”を何か特別なこととして今までの学習と繋がりを希薄にしてしまうようなトピックの扱い方は、ちょっと混乱してしまうこともあると思うのです。頭の中で、トピックが点々と追加されていくような教え方というのは、算数(そして数学)を体系化して捉えていくことには遠ざかっていくような気がしてしまう。そして、これは“速さ”に限ったことではないし、英語でも似たような思いがあったので、それこそ算数に限ったことではないのかも。。。

そもそも問題を解くための“はじき”だったりするし、答えが合っていればいいというのも問題を前提としたもの。もちろんマルをもらうというのは、達成感に繋がったり、大きな動機づけだったりもするのだけど、あぁ数学って面白いなぁっていうのは、問題を解くのとは別の次元のもの。これは、何のために勉強するのか…という根本的な問いにも繋がってくるのかな…。

こんな風に書いているぼくも、さっき書いたように算数がチンプンカンプンだったし、数学はとにかく苦手だった。それが、大学を卒業して教える立場になって、今一度算数からおさらいすると、あぁ数学ってこういう世界だったんだぁと、それこそパッと花が咲いた気持ちに。ぼくの場合は、お師さんが算数数学のプロフェショナルだったし、実家には算数の教材が揃っていたりと、おさらいするにはこの上ない環境だったということも大きな要因。ただ単純に楽しいなぁと思いながら算数を振り返っていたことは、「もう少し授業を続けて!」と言っていたみんなと同じだったんだなぁ。

Tシャツのこと

先週は、熊谷から教え子が二人来沖。
何度も沖縄には来ているので、「沖縄は結構行きつくしたなぁ」と言っていたけど、まぁ行ってないところはあるもので。じゃぁ、なんで行っていなかったのかというと、それなりの理由があったりもするのです。
たとえば、こんな場所↓

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「お金を払ってまで蛇に巻かれたりなんかしたくないよ…」なんて言っていたけど、、
「無料ですよ!」と言われてしまうと、巻かれなければ損をしたような気持ちになる貧乏性が出てしまい、
「ひぇぇぇぇぇ…」
気がつけばみんな揃ってカメラ目線なのでした。

この日に話題になったのが、みんなで作ったTシャツのこと。この日は誰も着ていなかったけど、「明日着るためにとってあるよ」と。
だけど、一人は、「コーラルTシャツどうした?」と聞くと、
「もう入らなくなっちゃって」
「なんと!!」
「そうか、ジュニアサイズだったもんね」
「じゃぁ、おれの、あげるよ!」
そんなで、帰りにはもらった大人サイズのコーラルTシャツを着ていました。前に合った時より大きくなったとは話していたけれど、こういう会話になると、小さいTシャツを手渡した時のことを思い出したりしてなんとも感慨深いものが。

今までフリースクールでは代々オリジナルTシャツを作ってきました。制服もなくて自由な場所なのに、わざわざ同じ服を作らなくても…と言われたこともあったけど。
そんなでも、どうして作り始めたのかというと、「フリースクールは、出来の悪い奴の集まり」と、通っている子ども本人から聞いたことがきっかけ。これは結構ショックだったな…。

“不登校は悪いこと”という考えは、フリースクールに通うようになったからといって払拭されるものではなくて。毎日が楽しかったりはするのだけど、どこか喉に小骨が刺さっているような気持ちを持っている子も多かった。フリースクールに通っていることは隠さなきゃいけないこと、というどこか自信なさげな姿も。スペースを運営している側としては、学習に関しても、集団での過ごし方としても、それこそ学校よりもかなり高度なことを要求していたし、みんながその中で生活していたことは事実なのだけど…。

そんな時に、例えば「自信を持って!」とか「不登校だっていいじゃないか!」と声をかけられることで自信を持てるようになるならそんな楽なことはなくて、アプローチの仕方は大人が工夫しなければならないことなのです。「自分はここの一員!」と胸を張って意思表示すること、いや、それ以前に意思表示してもいいんだなと思うこと、そして同じように一緒にいる仲間がいること。それを実感できる方法…と考えた結果の一つがオリジナルTシャツでした。「おれはいらなーい」という子もいたけど、もちろんそれもよし。欲しいとか、借りたいと思った時のために自分用のものは多めに作っておけばいい。そして「恥ずかしくないの?」と言われようが何しようが、まずは自分がたくさん着るところから。

気がつけば、「この前、Tシャツを着て買い物に行ったから、宣伝になったんじゃない?」なんて話も聞くようになって嬉しかったり。多分ちょっとしたことなんだろうけど、このちょっとしたことの積み重ねが意識の積み重ねに繋がっていくんじゃないかなと。そして、何かの時にその積み重ねの証として、思い出と一緒に広げてくれるといいなぁと思ったりもしています。

雑感~ノーベル賞から

先日、お店に来たご家族の中のお姉さんが、
「そういや、ノーベル文学賞、今日発表だった!村上春樹はどうかな。何時に発表かな」と。
「お、村上春樹、好きなんだ?」
「いや、東野圭吾が好き。ほとんど読んだ」
早とちりでした。

関東にいるときは、片道2時間の電車通勤の時期もあったし、手持無沙汰の中で本を読むことが多かった。読み始めて面白ければ、次へ読み進めたくなるのは当然で、生活の中に読書の時間が自然と設けられるように…。自分自身がこんな流れだったから、「基本が車通勤の沖縄では本を読む人が少ないよ」と聞いていたのがちょっと記憶に残ってしまっていて、さっきの会話で「やっぱりそんなことないよな」と思い返せるきっかけになって良かったと思っていたり。

村上春樹さんのノーベル賞はなりませんでしたね。
まぁ、彼のエルサレム賞でのスピーチ(http://anond.hatelabo.jp/20090218005155)を聴けば、この結果はいろんな意味で納得。
それにしても、今年こそ受賞なるかというニュースが年中行事になるのかと思うと、ちょっとげんなり。きっと本人も。多分。

今年のノーベル賞で話題になったことの一つが、17歳のマララさんが平和賞を受賞したこと。彼女のスピーチ(http://www.yomiuri.co.jp/world/20141012-OYT1T50145.html)もいろいろなところで紹介されているので、読んだ方もたくさんいるのでは。
※上記リンクの“子ども”の表記が何とも残念なのですが、問題提起の意味も込めて貼ります。それにしても、このスピーチ内容を考えると何ともいやはさ…。

ただ、あちこちでニュースになっているのを見ていて、非常に違和感を覚えてくるのは、「大変な国もあったもんだ」から始まり、イスラム過激派批判に終着するコメントが多いから。

うーん。。。彼女が訴えていることは、そこなのか??

そんな風に思いながら、振り返ること。
フリースクールに通っていても、時折学校から“呼び出される”子は多くて。「明日学校何だぁ」という子には、行きたくないなら行かなくていいとは言っていたのだけど、なんだかんだと言われるように学校に行く子は多かった。

学校から帰ってきて、「行って良かった!」ということはほとんどなく、
「どうだった?」
「んー、別に…」
「お、そうか」と、年頃の親子のような会話になるのが定番。

だけど、本当に何かあった時には様子でわかるもので、話を聴いていくと「学校に来い」ということをあの手この手で言ってくるということがよくあった。この“あの手この手”の中で多いのが、「義務教育なんだから、登校しなさい」パターン。あとは、「高校進学するなら、登校しておかないと不利」パターンかな。(ちなみに高校進学を希望していて、進学できなかった子はいなかったと思う)
中学生くらいの年齢の子が、面談室と言われる密室の中で、圧倒的年長者である校長達からこんな風に言われてトボトボ帰ってきたという場面を想像し、その子がションボリしている姿を目の当たりにしていると、全身の毛穴が開くような感覚に襲われ、それが治まると何ともやるせない気持ちになり、
「もう行かなくていいよ。何かあったら(文句があるなら、の意)、こっちに電話してもらおうね(用事があるならそっちが来い、の意)」と。ぼくも若かったな。。。

フリースクールを運営している人にとっては、こういう出来事なんてしょっちゅうだろうし、こういう出来事が起こっているからこそ、スペースを運営している使命感を持つことも多いのでは。ひどい学校…というにしては、予測可能なパターンになっているし、もう「学校がひどくなっている」と言ってもいいところがあるかな。
(こういう話をすると、「中には一生懸命やっている先生もいますよ」と言われることも多いけど、その先生はこの様な学校の醜い部分を取り繕うために一生懸命な訳ではない。むしろ一緒にしてもらいたくないと思っている、と感じたことの方が多い)

こういう出来事に多くの教え子が直面するからこそ、“義務教育”という言葉を取り上げて授業も行ってきた。やっぱり子どもの多くは先述のようなこと言われていることが多いらしく、教育(というより、登校)は子どもに課せられた義務、と思っていることがほとんど。そこに、“権利”という言葉を織り交ぜながら授業を進め、
「おれは、みんなは教育を受ける権利を持っているという立場。義務は大人が負っているものだね」
「なんだ!先生が言っていたことは、嘘なの?!」
「嘘をついてるつもりじゃなくて、多分本当にそういう考えなんだよ」
「なんだよー、それー。勉強しろよー」なんて。
不登校の子にとって、テーマとしては重いものだとは思うのだけど、明るく進むことが多かったな。最初の“気づき”の種になって、その芽がいつか育てばいいな、くらい“導入の導入”の授業だったけど、楽しかった。まぁ、本来明るく楽しく過ごすことが大前提の年齢への権利なのだから、これでいいのだ。

(日本でも注目されたフィンランドでは、教育を受けることは子どもの“仕事”のようなものであり、ある意味“義務”だということを研究所の方から伺って、目が点になったことがある。“学力をあげた”メソッドだけが注目され、日本でも採用した方が良いという声もよく聞いたけど、どういう思想背景があって、日本に馴染むのかどうかを吟味することは必須だと思う)

さて。

マララさんが訴えていたことは、子どもの人権、権利という普遍的なこと。これらを保証する社会を築いておくべき存在は大人であって、子ども自身が“勝ち取る”ようなことではないはず。子どもが教育を受けられる環境(学校に限らず)を作ることは、大人の方の義務なのだから。もしこれらが保障されていたのならば、もっと彼女が持っていたであろう興味を広げる年齢だったろうな、と思ったりもして、「受賞、すごーい」という単純な報道を見るたびに何とも複雑な気持ちに。
そして、自分自身のフリースクールでの経験を振り返ると、子どもの人権、権利ということにおいて、他の国のことを言っている場合なのか?と思い返し、「日本には学校が整備されていますから恵まれていますね」みたいな発言を見るたびに、教え子がションボリしている姿と、あのやるせない気持ちを生々しく思い出してしまうのです。

また、学校ではなくても。例えば。
ぼくは電車が好きだったけど、電車のない沖縄に来てよかったと思うことの一つが中吊り広告を見なくて済むこと。このご時世、小学生でも電車通学をしていることがあるのに、差別的なこと、性的なこと、批判していい人物が見つかれば粘着質なリンチとしか思えない見出しなどが並ぶ中吊り広告を野放しにしている状況は、子どもを暴力に曝しているに等しく、こういう人権意識、文化とはかけ離れたものを常日頃身近にして育ち、さらにはそれが身体化されてしまう可能性を大いに含んでいるということは、大きな不幸と思わざるを得ないのです。
中吊り広告は一例であって、同じ様なことは、テレビやインターネットを筆頭に、ここかしこで身受けられること。子どもを思うなら手を入れなければならないことに、今この国は塗れていると。

今回のノーベル平和賞、学校の先生達をはじめ大人はこぞって取り上げるニュースだとは思うけど、どのように取り上げるかがこの国の子どもへの思いそのものだと思っています。自分も含めて、今一度、彼女の訴えていることを身近に考える意識を。これは自分達の足元の問題でもあると捉えることが、まずは出発点だと。

地域の文化の狭間で

ぼくが物心ついてから過ごしていたのは、埼玉県入間市。「入間市では何が有名?」と言われたらと、「狭山茶」と答える人がほとんどの地域。「他に何かある?」と、さらに言われたら「自衛隊」とかになるのかな。そんな風にこれと言って見所が思い浮かばない地域なのだけど、小学3年生の時には「市内観光」なる遠足に連れていかれて、市内の工業地帯や養鶏場などを、これまた市内企業の観光バスで半日かけて回るという機会があった。小学3年生という微妙な年齢なのに、あの狭い市内を大きなバスでグルグル回るもんだから、バス酔いしちゃう子が続出したのをよく覚えている。

「埼玉県で有名なものは?」と言われると、またまた微妙なところ。もともと、見所が少ないと言われることの多い埼玉県。その埼玉県も、地元入間市を通る西武鉄道が走る埼玉県西部と、さいたま市あたり(埼京線?)を境にして春日部市や草加市などの埼玉県東部、高崎線で群馬へと繋がる熊谷市などの埼玉県北部、さらには秩父…と分かれていて、同じ県内なのにあまり接点がなかったり。なので、「埼玉県で有名なもの」と言われても西部で育った自分としては、残るのは西武ライオンズくらいになってしまい、クレヨンしんちゃんや草加せんべい、浦和レッズはほとんど馴染みがなかったり。
それでも、なんとなくだけど埼玉県の全貌を知っているのは小学4年生の時に、今度は“県内観光”なる遠足があったから。遠足では、埼玉県北部の“さきたま古墳”まではるばる行き、ガイドの人に「教科書に載っている鉄剣ですよ!」と言われたものの、鉄剣のレプリカがなぜか入間市の図書館にあったのでほとんどの子が「あ、それ見たことあるよ」という残念な状態になったという強烈な記憶が。。。

こんな風に地元のことを書いてしまうのだけど、愛着というのはもちろんあって。地域全体が盛り上がるような歴史ある大きなお祭りなどはないけど、その代わりの存在が西武ライオンズ。秋山清原デストラーデといった“あの頃のライオンズ”を見て育った世代としては、電車内がライオンズ帽をかぶった子どもでいっぱいになる季節が、その愛着を確認させる時だったりして。優勝なんてした年には、エンドレスで流れるマツザキシゲルの応援歌に購買意欲を刺激させられるとわかりながら、わざわざデパートに寄ったりしたものです。けど、昔はいつもいっぱいだった球場も最近は空席が目立つみたいで、余計に花火が上がったあの頃を懐かしく思ったり…。

前置きが過ぎました…。

キッチンには年配のお客さんが多いのだけど、若いお客さんもチラホラと。開店して間もない頃に来てくれた20歳くらいのお客さんと話していたら、「首里城なんて行ったことないですよ。たぶん、周りの友達にもいないんじゃないかな」とのこと。これだけ近いところにあって、これだけ有名な場所。先述の小学生時の遠足の話ではないけれど、何らかの形で連れて行かされそうなものだと勝手に思っていたので、あっけらかんと言われたのは、結構衝撃的だった。

沖縄というと、食事にしても、エイサーにしても、三線にしても…と頭に浮かぶものがたくさんあって、どっかの(旅行会社だったかな?)アンケート結果では日本で一番地元愛が強いと言われていて。“あの時のライオンズ”以来盛り上がりに欠けるぼくの地元とはだいぶ違って、様々な歴史を経て脈絡と受け継がれる地元意識を感じていて。そして、その地元沖縄の象徴としてあちこちに載っているのが首里城であることには違いないのだけど…。

けど、長年キッチンのある地域(前回ブログを参照)に住んできた方も、「ん?首里城?行ったことないよ」と。こんな風に首里城の話題が出たので、一緒に来ていた息子さんに「そうだ、今度行ってみようよ」「ヤダヨ」なんて。近すぎるとあまり行かなくなるものなのかなぁなんて思っていたのだけど、話をしていくと自分が大きな勘違いをしていたことが判明。

「だって、前はなかったんだから」

そうだった。沖縄戦では総司令部のあった首里城は、米軍から猛烈な攻撃を受けて壊滅状態に。さらには戦後、首里城跡地には琉球大学を建設したので、県外出身のぼくが首里城と聞いて思い浮かべる景色は、ごくごく最近に再び“創り直した”もの…。
他にも、「だって、ドルだったし」など、話をすればするほど、今まで自分が見聞きしてきた断片が繋がってきて、それが大きくなりすぎつつあって、全体像ともともとの断片との関係ですら次から次の断片の結束でモザイクがかってきてしまっています。そんなで、当時の沖縄社会にとって一番身近にあった文化、いや、生活に入り込んでいた文化って“何処の何”だったのだろうと改めて捉え直してみる必要を感じるし、それを象徴する場所が学校だったとも思うのです。

教育が、文化や生活と密接にあるべきことは当然のこと。復帰前の沖縄で本土の教科書を使っていて、例えば算数の授業で“円”という単位が出てきても、実際には“ドル”で生活しているとかの問題があったということは想像に難くない。時代のいろんな歪みが、ポロポロ実害として表出してくる。これは、占領下というある意味特殊な環境だったから…と言えるものでもなくて、元々沖縄を独自の文化として見るならば、こんなようなことは、“日本の歴史”“日本の地理”“日本の食事”などなど、社会科に家庭科にいろんな面で根本的な問題は続いているのかもしれないなと。

昔、外国の教科書が日本をどういう風に書いているのかという授業をしたことがあった。
いかにもというイラストも手伝い、みんな、「なんだ!これは!」と、大笑いだった。
ただ、“外国の人からはこう見えている”という視点で読みとれるものはいいけど、
「そりゃないよぉ」
と、イメージを元にしているのか、現在の事実と明らかに反しているもの(“今もチャンバラ系”が多かったような…)については、ちょっと笑えなかったり。ただ、実際にこういう風に教科書に載っているということは事実で、現地の子ども達がこれで一生懸命勉強しているということも事実。

例えば、こういう外国の教科書を使って日本の学校を運営するようなことなんて不可能であって、もしそれを無理やりに(例えば暴力的に)推し進めたとしても、本来の意味での教育的効果が望めないことは明らか。今のは極端な例だったけど、これは度合いの問題ではなくてベクトルの方向の問題。それぞれの文化を背景にしたそれぞれの民族でそれぞれの子を教育をしていくことは(非人道的ではないことは大前提)、次世代へ社会構成を引き継いでいく上で必須のことだと思うのです。

ベクトルの方向の問題。当時の沖縄の場合、“標準語励行”という標語の元に行われいたことが、教科書をはじめとした学校教育だけではなくてもっと広く影響したはずで、その広がり方というのは限りが想像できないほど。それは、年配の方々が「昔は“標準語励行”っていうのがあって…」と頻繁に話すこと、話す時には“負の意味”を持たせていることからも感じ取れたり。その方向の延長に、前回ブログで書いたような“しまくとぅば”の問題が今現在あることには違いないと思うのです。
(戦後、朝鮮学校ができた道と沖縄の学校教育がとった道の違いと、その影響についてよく考える。ただ、それぞれの置かれた立場、場所と諸々の情報が出てくるので、今の頭の中はそれこそ断片だらけの状態にある)

沖縄のこういう時間を、文化の変遷の長い長い過渡期として見るのか、それとも異文化の浸食の時期と捉えるのかで、今行うべきことがだいぶ変わってくると。よく耳にする「沖縄はチャンプルー文化さぁ」というのが、本来元々貿易国だった琉球を表していることなのだと個人的には思っていて、武力で持ちこまれてきたものには当てはまらないものなのかなぁと思っている。もちろん、時間を逆行させることはできないけれど、これからどういう形で文化を残していくのかという大きな問題があることは確かだし、“しまくとぅば”はその象徴となりうる役割を背負っている存在だと思うのです。

この“どういう形で残すのか”…というのは、一番大事なこと。日本各地の民族学校やイギリス統治下のインドなど、しっかり頭に入れ直したいことはたくさん。まだまだ勉強。そして、沖縄について一番の先生であるお客さんを含めた地域の方とのやり取りを重ねてひねり出していきたいものです。

おわりに。

今、県知事選を控えて、普段は聞かない政治の話をキッチンでも耳にします。「平和!だから、基地反対!」というわかりやすい構図は、「基地容認?じゃぁ、戦争賛成なのね」といういかにも短絡的で個人的な正論に繋がり、それを押しつけるような人もいて(しかも少なくない)、それがまた“ヤマトゥ”に多かったりもして…。もちろんわかり易い論理なんだけど、わかり易すぎて何ともいやはさ…。けど、そんな時には、「なんで首里城に行かないの?地元のシンボルなのに」と不思議に思っていた自分も振り返り、戒めにしています。

キッチンで聞く意見は、「もちろんいろんな意見があるけど」「自分があっているわけじゃないけど」という断りが必ず入る。それは、地域のそれぞれの人達がいろんな状況下にあるということが分かっているから。そして、“歯がゆさ”を感じている人もいるのだろうという含みがひしひしと伝わってくるのです。そんなに単純な問題ではないことは当然。どうしてこういう状況にあるのか、そもそも誰が持ちこんだ状況なのか。足元を見つめながら今地域に生きているものを感じ取っていくことが、“ヤマトゥ”であるぼくの基礎にするべきことなんだろうと思っています。

ことばのちから

キッチンコーラルは住宅地の中にあって、目の前は一方通行の道。近所の人達には買い物の近道としては知られていて、「あぁ、前はお弁当屋さんだったところね。あれ?カレー屋さんだったっけ?あそこは人が通らないんじゃない??」なんていう風に“入れ替わりの多い店舗”という注目も集めてきた場所のよう。いろいろ心配してもらいながらも、とりあえず無事に半年を迎えられて、続いているお店の方に仲間入りできてきたみたい。兎にも角にも、ひとえに声をかけてくださるご近所さんの応援のおかげです。

そんなキッチンの周辺地理を空から見てみると、一番てっぺんに首里城、そこから坂を下っていくと沖縄で昔から有名な『都ホテル』、さらに下っていくと沖縄随一のショッピング街である国際通りの入口へ。この幹線道路を途中脇道に入ってしまうとキッチンの灯りがぽつんと目に入ってくる…。なので、キッチンのほとんどのお客さんが近隣の方々なのだけど、過去何度か『都ホテル』の宿泊客が脇道に迷い込んでご来店したことも。

ぼくが初めて沖縄に来た10数年前と大きく変わったところが、アジアからの観光客の多さ。有名な『都ホテル』を利用する外国人も多いみたい。そして先日、中国からの観光客カップルがご来店。それはもう、言葉のやり取りに四苦八苦。二人が初めて沖縄に来たこと、今日到着したばかりなどは英語で何とかやり取り。中国から来たということで、沖縄に来ていきなり餃子を食べようとは思わないことも女性の表情から何とか察知。そんなで、そのカップルの最初の沖縄ご飯は“埼玉名物 肉汁うどん”に落ち着いたのでした…。

英語でのやり取りもままならず、もちろん中国語は全く分からないので、多少は通じる漢字での筆談、スマホの翻訳などなど、ありとあらゆる手段でお互いにやり取り。中国からの観光客に関する噂は正直あまり良くないものばかりだったけれど、そんな噂で少し緊張した自分が恥ずかしくなるくらい素敵なカップルでした。こちらも良い旅行になるようにと沖縄の写真を紹介したりと、数少ない“ことば”のやりとりで時間を過ごしてもらいました。そして、食事中、男性が検索して見せてくれたスマホの画面には「美味しいです」の日本語。「美味しいです」という日本語が、こんな風にカラフルに伝わってくることなんて多分この先ないだろうな。。。

言葉で四苦八苦する経験は初めて…ではなくて。沖縄で、さらに地元の方が多い地域での飲食業となると、年配のお客さんの言っていることが全く解らないことも珍しいことではないのです。一緒にご来店している方に通訳してもらうことなんてしょちゅう。時には、2時間近くの会話で唯一解ったのが、お皿を出して「ウリグァ」と言われて「…、キュウリのおかわりですね!」ということだけだったり(これはいろんな意味で嬉しかった…)。そして、通訳してくれるお友達が「ほら、ヤマトゥだからさ」と言っている度にドキッとしたりしながら過ごしています。ちなみに、聞く分には解るけど、しゃべる方が難しいと教えてくれました。

もう少し若い世代の方になると、やり取りができないということはなくて、沖縄の言葉である“しまくとぅば”についていろいろ教えてくれたりも。話を聞けば聞くほど、“しまくとぅば”は、発音の仕方や地方独特の言い回しなどといういわゆる“方言”というよりは、やっぱり独自の言葉だなと思うことの方が多くて。沖縄の文化は、日本の各地方のお祭りや踊りや料理という位置づけとは違って、一つの固有なものであって、その柱の一つが“しまくとぅば”だと感じています。

ちなみに沖縄では学校などでも“しまくとぅば”を残そうとしている動きがあって、そういう動きがあれば、最近まで沖縄は学力テスト最下位だったから“方言なんか”より国語をやった方がいいという話も出てきたりしているみたいで。お互いに向いている方向が違うので、それぞれの正論が背反しているような状況。
キッチンのお客さんはお孫さんが小学生という世代の方が多いからか、「やっぱり“しまくとぅば”がなくなっていくのは寂しいよね」という話や「学校で教えている“しまくとぅば”は間違っているんだよ。敬語とか。まぁ、だって先生も使ってないんだから」という話も聞いたり。そして、こういう話を聞くたびに、言葉って何なのか…ということを今一度振り返らないと、“しまくとぅば”の授業についての賛否の様に擦り合わせようのない議論になってしまうのかもと思うのです。

一言で表現すると、言葉っていうのは“文化そのもの”ということだと。だって、どこかの文化を学びたかったら、言葉の勉強は必須なのだから。

ぼくが子どもに対して文化としての言葉をテーマ取り上げてきたのは、歴史の授業で。戦前、日本が沖縄の人に方言札を使ったりしながら“しまくとぅば”を奪っていったり、朝鮮半島はじめアジアの各地でも同じようなことをしてきたという時代があった。その授業では、史実よりも、「文化って何なのか?」ということの方に重心をおいてきたけど、実際この“言葉を奪う”という場面に出会うと、その重大さがイマイチ実感できないことも。

中には「今だって、みんな英語にしちゃえばいいじゃん」なんていう意見もでてくることも珍しくない。
そんな時は
「例えば日本語が禁止になって、全部英語になったら、“短歌”とか“俳句”とか…そういうのも全部なくなっちゃうんだよ」というと、
「百人一首も!?」
「カルタすらなくなるかもねぇ」
「それって、ヤバくね…」なんて。
そうなると、歴史に戻ってもイメージは伝わりやすくなったり。

短歌や俳句の良さ…と言われても正直ピンとこないかもしれないけれど、それがなくなってしまうことは一大事だということは実感できる。これは、一つの文化として土地に根付いていて、自分がその土地の上で生きている(生きてきた)から。触れ合っていないように思えて、意識のどこかに種を蒔かれているものなのかな。だから、触れ合おうとした時には、文字からの理解を超えたものとして獲得できるのかも。
個人的な話だと、ぼくは中島みゆきさんの歌が好きで、その歌詞は日本語で物を考えているからこそ感じとれる世界観だと思ったり。「私」、「あたい」、「ぼく」…、そんな違いを立体的に感じられて良かったなぁと思うのです。逆に、洋楽で「これは良い歌詞だなぁ」と思うフレーズは、日本語に上手に訳せなかったりも。(ちなみに、最近はすぐに英訳できてしまうような歌詞の曲が多いなぁと思って、少し寂しい思いをしている。。。)

言葉は意思疎通の手段として生まれてきたのだろうけど、言葉が今この時代に意思疎通のツールとして存在しているだけでいいのであれば、それこそ多くの国の人が話している英語だけ出来れば良いのかもしれない。ただ、今日、「これからは英語ができた方が良い!」なんていう流れを生み出している大きな要因は、仕事の幅が広がるから…みたいな理由だったり。これは、経済世界の膨張ゆえのものだと思うけど、この流れに乗り遅れんとするためのツールでしかなかったりもして、経済=文化だと思わないぼくとしてはその目的に少し懸念を抱いたりも。これは言葉が成長して文化へと成長してきたものを、単純な意思疎通のためだけのものに赤ちゃん返りさせるようなものだと思うから。言葉が、存在理由として原始的なものになっていくということは、文化の他の側面もそうなっていってしまうのかと。

話は逸れるけど、例えばさっきの会話の中で出てきた「ヤバイ」という言葉。今では、良くても、悪くても、美味しくても、まずくても、「ヤバイ」で表現してしまったり。その場の雰囲気を読むことを重要視していれば通じるのかもしれないし、そういういろんな感覚に頼った上で、伝えるツールとしての役割は果たしているのかもしれない。けど、いろんな出来事がその人の脳内言語では全て「ヤバイ」で処理されているかと思うと、ゾッとしたりも。頭の中で物事を考えるときに用いるのは、当然のことながら言葉。それが、ある種感覚の次元になってしまっては、文化とか以前の段階の話になってしまうんじゃないかなと。すでに言葉の退化は始まってしまっているような気もしてしまう。。。

世界の人といろんな交流ができるようになってきた今、一番大切なことはお互いの文化を大事にし合うこと。そのためにまずは自分達の文化を大事にしていく必要があって、この必要性を感じることが第一歩だと。言葉で関してなら、日本語の特徴…表意文字のことでも、縦書きの持つ意味でも…を、子どもに「なんで?」と質問された時に大人としてどう答えるかは、次の世代に文化をどう伝えるかということに大きく影響してくるのかも。生活していること自体で、種は蒔かれている。その種をどうするかは、自分たち次第。

もちろん、英語をはじめとした外国語を学ぶことは視野が広がること。ただ、それが上記の様な理由ではなくて、文化交流の第一歩、友好のためであることを確認しつつの歩みであるといいなぁと思うのです。そして、これこそが言葉というものが長い歴史の中で成長し、獲得してきた力なんじゃないかなと。
中国からのお客さんの「美味しいです」の文字は、そんな言葉の持つ力を伝えてくれた様な気がしたのでした。

(“しまくとぅば”をはじめとした沖縄文化についても同じ様に考えているけれど、ウチナーンチュと日本人(ヤマトンチュじゃなくて)のアイデンティティについてや、歴史が一人一人の生活や文化に与えてきた影響を考えると、一概には言えないことが多いなと実感する出来事にたくさん出会ってます。これは、今度個別のテーマで書きたい)