二つの台風が通り過ぎていきました。24号は「これから来るのか?」と構えている間に通り過ぎていました。思っていたよりも大きくなかったのかなと思っていたのだけど、ニュースを見てびっくり。大きな被害が出た地域もあるようです。影響はまだこれからの場所もあるようですし、くれぐれもご用心ください。
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●基地のこと
僕が育った埼玉県入間市は、自衛隊の基地のあるところでした。航空祭前には、体育の授業中なんかに校庭に出ると、ブルーインパルスがブンブン飛んでいました。また、今年3月まで住んでいた埼玉県狭山市のアパートは、自衛隊入間基地の滑走路沿いにあり、時には家に擦ってしまうのではないかという高さを自衛隊の飛行機が飛んでいました。
さらには、車を少し走らせると米軍の横田基地があり、夜に国道16号沿いのゲームセンターなんかに行こうものなら、日本ではないような雰囲気になっていました。国道を運転していた友人は、間違えて基地に右折侵入しそうになってしまい、「アメリカ兵がワーッと寄ってきたよ!国際問題になるところだった!!」と、飄々と話していました。テロが騒がれていた時期だったので、笑い話で済んでよかったの一言ですが…。
そんな所で生活していたので、飛行機の騒音や町並みの雰囲気に、ある程度は体感として予想はしていました。
けど、この様なことはあくまで問題の一部分であると、改めて感じます。
実際に沖縄に来て感じたことは、騒音や危険性の感じ方の大きさももちろんですが、何よりもはその圧迫感です。それは、基地の面積の広大さももちろんあるでしょう。国道58号を那覇市から北上していくと、ずっと基地に面して走っているような気分です。フェンスの向こうは元々誰の土地だったのか…。そこに自由に出入りできるのは、沖縄の人ではなく米兵だという現実が日常になっています。
ちょうどオスプレイの追加配備の時期にも重なったことや、映画『標的の村』が公開されたことなどもあり、情報の出方も多い時期だったのかもしれませんが、県内のニュースではかなり積極的に報じられています。知れば知るほど、理不尽さを感じます。なんだかんだと政治のやり取りがあるとニュースに流れても、その後の動きの強引さは、強烈な圧迫感となって、心の中の大事な何かをごっそり掻き毟っていくようです。押しつぶされそうな気持ちになります。
何よりも一番辛いのは、住民の反対行動と相対するのが沖縄県警だったりすることです。お互いに苦々しい表情。警察も「熱中症に気をつけてください」と気遣うことしかできないようで、汗だくになりながらその言葉を繰り返す。住民を分断することによる遂行というのは原発にも繋がるところですが、行き場のない気持ちだけが吹きだまっています。半年の暮らしでこうなのだから、ましてや沖縄の方々の気持ちというのは…と考えると言葉になりません。
これらの話は本当に一部分ですが、このようなことは埼玉で暮らしていた時には頭で考えるしかなかったことでした。今は次々に実感として突きつけられる毎日です。沖縄の基地の話は、他の地域とはやはり違う性質のものなのだと改めて感じます。
未来に何を残すのか。平和を残すためには何が必要だと子どもに伝えていくのか。すごくシンプルに考え伝えることが一番大事なのではないかと感じます。「現実的に」という言葉の下で現状を肯定してしまったら、状況の改善はなされないと強く思います。