放課後教室のようす

沖縄は梅雨入り…のはずが、今日は快晴。新型コロナの自粛も徐々に解除されるらしく、ポカポカ陽気に誘われた人の動きも見てとれるような。まぁ決してこれでおしまいというわけではないので、今までの生活にすっかり戻るというわけにはいかないのだろうけど、押さえつけられるようにあった緊張感が多少はほぐれていくようにも。

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放課後教室は変わらず継続中です。マンツーマンでそれぞれの勉強を進めていく中で、新しく入会した子とは分数のかけ算・割り算はどういうことをしているのか、見学に来た子とは割り算のひっ算はどういうことをしているのか…を一緒に考えてみました。

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解き方は知っているけれど、どうしてその解き方が成立するのかは知らない…ということは多々あるようです。与えられた方法を体得する前に、まずは目の前の事象を理解するという第一歩が大事だと強く感じます。それは、みんなが勉強しているのは問題を解くためじゃなく、この先の長い人生自分で考えて理解し、判断することに繋がっていくだろうと考えているからです。

「本当の勉強はこれから自分でしていくんだから。そのためにも今はたくさん勉強しておくんだよ」という高校時代の先生の言葉がふとよぎります。先行きが何とも不透明な今日だから余計にかもしれません。

前回のブログに続いて…

臨時休校 家庭学習内容「改めて学校で教える必要なし」文科省

家庭学習も評価に反映 臨時休校の長期化で通知 文科省

先日のブログで“教育を止めない”云々のことを書いた。国の対応がお肉券やら布マスクやら想像を絶すること目白押しの中ちょっとやそっとのことじゃ驚かくなってきたのだけど(←こういう耐性は良くない)、これらの記事には目を疑った。

フリースクールに携わってきた身としては、学校に行かない・行けないという子どもが教育を受ける権利をないがしろにされてはいけないという思いがあった。公の機関として学校という場を用意しているのだからそれで子どもが教育を受ける権利に対する義務を果たしている、という理屈は大人として許容してはいけないということだ。いくらいろんな学校があってそれぞれの特色を打ち出そうとも学校である限りは公の機関の域を出ることはないから、学校に行かない・行けない子の教育を受ける権利のためには、学校以外の学びの場が必要だという結論に帰ってくると思い続けている。

ところが、公の機関としてすら子どもの教育を受ける権利を放棄している捉えてもいい上記の記事。前回記事に書いた子ども自身が感じている“教育の欠落”を、家庭の責任として押し付けられる形で上から落とされてきていいのか…。ちょっと考えられない状況になってきています。

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「休み中の宿題出た?」と聞いてみる。

とりあえず去年の復習という大雑把なもの、去年の英語の教科書の文を10回書き写すという作業…。こんな内容の課題を出されている話も珍しくありません。自分で勉強したい子には文科省がこんな学習インターネットページを紹介しているよ、なんていうのもあちこちで見ます。とにかく“丸投げ”と言ってもいいでしょう。なんでもないときには気にならなかったかもしれないことも、先の見えない今日の状況では所詮他人事なんだろうと横目で思ってしまいます。

前回の記事でも書きましたが、医学疫学的視点、経済的な視点同様、教育も危機的状況だということが浮き彫りになっていると強く思います。“教育を止めない”ために自分ができることは、現状ではコーラルを続けることしかないのですが、そのためにも自身の健康維持を含めて先を見据えた緊張感を保っていきたいと思っています。

放課後教室の対応

普段の生活はいつ戻るのだろう…と先行きが全く見通せない状態になってきました。沖縄でも新型コロナの感染者が連日伝えられ、ぼくが日中働いている飲食店では目に見えてお客さんが減りました。そして、予想されてはいたけれど、沖縄県内の学校も新学年を迎えて早々に軒並み休校になっています。

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学校としても新年度開始早々の休校なので混乱しているようで、教科書とプリントをもらったという学校から、教科書もまだもらっていないという学校まで対応にばらつきが。

「一応、去年の復習のプリントみたいだけど」
「新しい内容が入っているけど、自分でできるのかな?」
「自分でホームページで確認しろって言われた」

学校の混乱は、そのまま子どもの混乱にもつながっているよう。

「休みになって、どうしてるの?」と同僚のお母さんたちに聞いてみても、
「家には子どもだけになっちゃうし、結局テレビかゲームしかやることなくなっちゃうよね」と、ある程度予想された過ごし方になっているみたいです。まぁ大人でも急に一日家にいるようになって、外でするように仕事をしろと言われてもなかなか難しいかなと怠け癖のある自分としては思ってしまいます。

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コーラルの放課後教室は、

・授業はスタッフと子どもの完全マンツーマン
・公共交通機関を使って通ってくる子どもがいない
・会員数が限られている

という点から、スケジュール通りに行っています。

念のため、アルコール消毒液の設置や換気の徹底、席を離すなどの対応を取っています(いずれも感染者がいない前提では必要のないことですが、意識の問題として)。また、欠席をお願いする項目をいくつか保護者の方々に通知しました。今後の動きによってはコーラルへ通ってくることが難しくなる可能性も想定できますが、今のうちからその場合に備えておきたいと思っています。

新学年、上級学校に進む子にとって、新しい学習内容は不安でもあり、また楽しみでもあります。「難しくなるんだよね?」という言葉には決してマイナスの感情だけが存在しているわけではないことは、目の前に子どもから肌で感じるものです。せっせと決まった時間にコーラルにやってきては勉強して帰るルーティーンをどんな形でもいいから続けていきたいと思っています。

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「ホワイトボード遠いけど、読める?字、小さくない?」
「?全然大丈夫だよ」

同じ場所からメガネを取ってみると全く読めない自分の字…。年齢を感じます…。

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この休校処置がいつまで続くのかというと、政府の対応を見ていると想像以上に長引くのではないだろうかと思わざるをえなく、沖縄県内の多くの学校で設定された2週間の休校を「春休みが長くなったね」という意識で過ごすことはできないと考えています。

今の日本では、新型コロナウィルスに対して医学的疫学的な視点、経済的な視点が特にフォーカスされ、その危機的状況が常に大きな関心を集めています。ただ、有事と呼べる今日において、これらの視点と同列に教育も捉えられるべきであり、この教育も危機的状況にあるとぼくは思っています。先日「学校が始まってもバーッと急いで授業進められて、将来“ゆとり世代”みたいに言われちゃうんだよ」と子どもが言っていた時にはズシンとくるものがありました。“ゆとり教育”の是非はここでは別としますが、子どもに“教育の欠落”の予感をさせている現状の事の重大性に気付かなければいけないと思っています。

外国では自宅でも学習を続けられるようにとタブレット端末を配布してインターネットを利用して授業をしている国などもあるようですが、そこには「どんなことがあっても子どもの教育は停めてはいけない」という大人の側の確固たる意志と態度を感じ取ることができます。日本でもパソコンとルーターを貸し出そうという声もあるようですが、通信料は家庭持ち、理由は「これを使ってゲームをするかもしれないから」みたいなのをどこかで見かけて雲泥の差を感じてしまいました。

「私はコーラルで予習しているからまだわかるけど、塾に行っていない子は大丈夫なのかな?」というのは子どもの“生”の意見です。2週間の休校が延長されたときに更なるプリントの配布…。そんなことにならないことを願うばかりです。

3月11日

3月11日です。

地震の瞬間はついこの前のことの様に思い出すけれど、もうあれから九年も経つんだと。今日までの間にあったことを振り返ってみると本当にいろいろなことがあったので、地震の瞬間が手に届くような記憶であることもあって時間が捻じれていくような感覚になります。

九年。いまだに避難生活を続けられている方もいらっしゃいます。原発事故は未だどうなるのかすら不透明です。さらには、今日までの間に起きた他の災害の影響が色濃く残る地域もあります。今日日新型コロナの話題で持ちきりですが、その陰に何か隠れてしまっていないか、今一度立ち止まってみたいと思います。

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今日、沖縄県では高校の合格発表がありました。コーラルにも受験生がいましたが、見事志望校に合格!良かった!

ちなみに、学校はお休み中。一昨日話をしていると、

「家にいても時間を持て余しちゃうんじゃない?」
「英語の勉強をしてるよ。問題集を最初から」
「?テストは終わったのに??」
「テストがあるときは、ゲームとかテレビは勉強しないための理由みたいなもんだったんだよ、たぶん。だからテストがなくなったら、ゲームとかする理由がなくなっちゃったのかな」

うーん、妙に説得力がある…。。。「それに高校では英語を中心に勉強するから、時間のある今から準備しておく」って、何とも感心することを言っていました。今は、漏れのあった文法内容や高校内容を少しずつ。高校に入ってからも使えるノート作りを目指して進めています。

進路のことで幾度となく話をしながらだったけど、本人の納得のいく結果になったかな。晴れ晴れとしていました。ただ受験というだけじゃなくて、一つ大きな時間を過ごしたのだと思います。本当に良かった!頑張ったね!おめでとう!!

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最近のこと

突然の学校閉鎖要請に大混乱の先週末でした。現在放課後教室のみの活動であるコーラルは、通ってくる皆が近所に住んでいることと、元々完全なマンツーマン対応であることから通常運転です。変わったことと言えばアルコールを入り口に移動してきたことくらいかな。

学校が休みの間にできる復習や予習をどんどん進めていきたいと思っています。

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最近の新型肺炎をめぐる状況を見ていると、震災後の放射能をめぐるアレコレを思い出します。原発事故の話は(原発事故は現在も進行中なのだけど…)最終的には「生き方の問題かな…」とあまり周囲の人との話題に挙がらなくなった。そして、今回もその入り口に立っているような気持ちに。

未知の伝染病などは世界でしっかりとしたデータとそれに基づく知見を共有するべき事案だと思うのだけど、現状で共有できることが「手洗い、うがいが大事」とか「若い人は大丈夫」とか中身の薄い情報だけなので、本来科学のど真ん中の話のはずなのに、原発事故の時の「放射能はニコニコ笑っている人には寄って来ません(※)」とか「日本人なら乗り越えられる」などと同じ様な科学とは正反対の言葉の方へ世の中が振れていっているように感じます。

けど、こういう不確かな楽観視は深層では不安感を増長するので、結果的にいろいろなデマを助長したりと社会を著しく不安定にしているとも思います。多分大丈夫だから調べないというこの国に対して、他の国々が必死になってデータを取り、封じ込めに奔走している姿を目にすることができるから尚更です。今回の一斉休校要請も、本来根拠となるデータを提示しなければならないし、その根拠に基づく諸々の対応も一貫させることで説得力と有効性を持ちうると思うのだけど、インパクトだけ与えて「あとはヨロシク」とばかりに言いっぱなしでは混乱しか生まないのは当然です。

こんな場当たり的でチグハグな状況が続くと、こんな危機感だったんだと驚愕したクルーズ船の対応が、なんだかんだそのまま社会全体に定着してしまうことが危惧されるけど、正直すでにそこに片足を突っ込んでいるような気すらしてきます。

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((※)「ニコニコ笑っていれば…」の発言者は先日釈明したとのこと…→【子ども脱被ばく裁判】「言葉足らずの講演だった」。9年後の〝ミスター100mSv〟が法廷で語った今さらながらの「釈明」と「お詫び」。甲状腺ガン「多発」は強く否定

みんなの様子

土曜オープン日。
受験やテストが一段落した子も、受験を控えている子も机に向かっています。それぞれに取り組むことが違うけれど、隣で勉強している子がいると何だか自分も勉強に集中できるようです。

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中学内容の予習も進んでいます。数学は正負の数の加減に。今までやって来たカードゲームなどを交えながらの説明。“+”はカードを足していく、じゃぁ“-”は??

「カードを取る…」
「何もないところからカードを取るってどういうこと?」
「?」
「何もないって、数字でいうとどういうこと?」
「0…。あっ!反対(の符号のカード)が残る!」

いろんな発見をしながらの導入です。

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沖縄も新型肺炎の話題で持ちきりです。どこに行ってもマスクはない、観光客の姿もめっきり減ったと目に見える変化があちらこちらに。事態が事態だけに慎重な判断を重ねなければならないのだけど、判断の根拠となりうる情報も希薄なので自然と行動が狭くなってきています。現状、仕方ないのかな。

テストが続いています

受験に期末試験と続いています。コーラルの受験生も「受験モードだぁ!」と言いながら、せっせと過去問を解いています。期末試験真っただ中の子は、土曜日もコーラルに来てお勉強中…。

そして、一足早く志望校に合格した子(おめでとう!)は、さっそく英語に数学と中学校の内容を始めています。

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今までゲームの得点などをしてきたので、計算については何となくできるのだけど、では正負の数って何?ということは新しい世界。反対意味の言葉を一つの数直線上に統一していく…そんなことからスタートしています。

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目の前に試験があって…というみんなを見ていると、自分の受験シーズンの記憶と重なります。正月も何も関係なく塾に通い夜中に帰宅していたけれど、毎晩家では晩御飯が準備されていて、今更ながら家族の存在で勉強することができたと思い返したり。もちろん勉強するのは子ども本人なのだけど、まだまだ周りの支えがあってこその存在でもあって、特に受験という大きな節目においては進路を見据えながら一緒にこの時期に集中していくのが大人の役割かなと、自分を思い返しながら思っています。

さぁ、あと少し!

明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。フリースクールコーラルの活動は、埼玉県から沖縄県への引っ越しを挟みつつ丸10年が経過し、昨年は土曜オープン教室という新しい活動にもチャレンジすることができました。これも日々応援して下さる皆様のおかげです。今後も子どもが自分らしく学んでいける場を目指して、一歩一歩ではありますが自分ができることを進めていきたいと思っています。今年もよろしくお願いいたします。

もうすぐクリスマス

「なんかこの時期はいいよね。」
「?」
「ほら、クリスマスの時期ってさ、お店に行くだけでも楽しい雰囲気になってるでしょ」
「楽しいっていうのかわからないけど、なんかわかる、それ」

クリスマスに浮かれられるような年齢ではないけれど、ぼんやりとそのフワフワした空気には浸かっているような。一年の中で何とも不思議な時期。

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いつからクリスマスの日に外出するようになったのかは覚えていないけれど、その最初は多分小学校中学年の時。すっかり暗くなった時間に帰宅すると、母が一人でケーキを焼いて待っていたのを絵としてはっきり覚えている。

クリスマスの記憶の一つだけれど、今日日娘を見るとなんだかしんみりと思い出す。

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小学校高学年から中学生までがいるコーラル。サンタはいるか?の話に盛り上がっています。

「サンタなんて絶対家の人なんだよ」
「いや、昔見たことある!足だけだけど…太かった!」
「それが家の人なんだよ!それはじぃじの足だよ!」
と、まぁなかなかのやり取りがあった後に、一番年下の子が

「けど、プレゼントはもらえた方が良いんだから、サンタはいることにしておいた方が良いんだよ」とクールな発言をして皆を黙らせていました。

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クリスマスのプレゼントをいつ買いに行くのか、いつも子どもと一緒にいる職場のお母さん方には悩みの種の様です。

そんな中、若い子に、
「いつまでサンタさん来ていたのか覚えてる?」と聞いてみると、
「うーん、覚えてないです」
「そうなんだよね。気が付いたら、何が欲しい?って当たり前のように聞かれるようになってたよね」

あんなに楽しみにいたのにいつの間にか自然と来なくなったサンタさん。ちょっとだけセンチメンタルになる気持ちが、自分をサンタクロースにしていくようです。

最近のこと

小学生の時、母に連れられて北海道を一周したことがあった。

最後に泊まった札幌で、ぼくがどうしても見たかったのがクラーク博士の像だった。北海道大学の構内を見物しながら「クラーク博士の像はどこにありますか?」と母が学生に聞いていたものの、「???」という反応でようやくたどり着いたのはキャンパス内にある胸像だったりして「これじゃない…」と。

「やっぱり近すぎると行かないものなのかな…。ほら、入間の市民会館にある誰かの銅像だって、住んでたらよくわからないもんね」と地元にある誰かの銅像を思い浮かべながら母は呟いていた。

(有名なクラーク博士像は全然違うところにあることが判明して、無事記念撮影をして帰ってきました)

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夜明け前にふと目が覚めてスマホを開いたら、首里城が火災にあっている映像が流れてた。その時点で既に手が付けられないような燃え方で、寝ぼけ眼にはあまりに強烈な映像だった。

職場に行けば、皆その話題で持ちきりだったけど、
「あぁ、行っておけばよかった…」という地元の人が一人二人じゃなくて、県外からの移住者同士で目を見合わせたり。県外出身者にとっては旅行で来ていた頃はもちろん、移住後も県外からお客さんが来ればとりあえず観に行ってみようと案内する場所だったから、一回も行ったのことないの!?と火事とは違った衝撃が。

けど、首里城からそう遠くないコーラルのお客さんも「行ったことないよ。元々違ったんだし(戦後はあの場所に琉球大学があった)」と言っていたので、ある年齢層の人からすると新しすぎてちょっと気恥ずかしいのかもと感じたなと思い出したりしました。

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再度復元するにも膨大な時間がかかるようだし、そもそもこれからどうするのかまだしっかりとは決まっていないので、同世代の人とは「うちらが生きている間にはもう見られないだろうね」なんて言っています。そんな中、募金箱をあちこちで見かけるようになっている反面、もう公園とかにしてもいいんじゃないという声も少なからず聞こえてきたりと、少し時間がたって熱が冷めていくのと同時にいろんな意見が出てきています。

何かをシンボルにして人々の意識を集めるということに対して個人的には慎重になってしまうのだけど、これに当てはまらない唯一のことと思っている“自然の存在”に近いものが首里城にはあるのかな。あの風景の中にあったと皆が一緒に姿かたちを思い浮かべられるということは、やっぱり再建したほうがいいんだろうと思っています。

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